10話【芸術的】
薄暗い交差点に立つ二の姿があった。左腕を押さえ、その隙間からは鮮血が滴り落ちている。先ほど目の前の男から手渡された瓶が爆発し、左腕に甚大な損傷を与えたのだ。腕の形こそ保たれているが、感覚はすでに麻痺しており、体温を奪われるような鈍い痛みだけが残っていた。
「おいおいおい、大丈夫か?!その腕、もう動かなくなっちゃったんじゃないか?」
目の前の男は、心底楽しそうに笑っていた。その声には冷酷さが滲んでおり、周囲に広がる惨状との相性が悪夢のように一致している。
「ぐッ…お前…何した!」
二は歯を食いしばり、傷口を押さえたまま男を睨みつける。
「何って、その爆弾を刑事さんに渡しただけだよ。」
男は肩をすくめ、無邪気さすら感じさせる態度で答えた。
「爆弾って、まさかお前が?!」
「ハハハ!そうだよ!俺がこれをやったんだ!」
男は交差点に広がる血溜まりを指差し、誇らしげに笑った。その様子は人間離れしており、どこか狂気じみている。
男は周囲を見渡すと、散乱している自転車や車に軽く手を触れていった。その動きはゆっくりとしたもので、あたかも作品に手を加える芸術家のようだ。
「おい、何をしている…?」
二の問いに男は答えず、全ての物に触れ終わると、にやりと笑みを浮かべた。そして次の瞬間、指を鳴らす音が静寂を破った。
ドォン――!
触れられた車や自転車が、一斉に爆発を起こす。爆風が周囲を巻き込み、破片があたり一帯に飛び散った。二はとっさに地面に伏せ、なんとか爆発の直撃を避けたが、強烈な衝撃波が全身を襲った。
「触れただけで車が爆発した…?!お前の異能は人を爆弾にする異能だと思ってたけど…」
爆発の衝撃に耐えながら、二は男に向けて声を上げる。
「人を爆弾に?惜しいな、俺の異能は人だけじゃ無いんだよね。」
「人だけじゃない…?」
その言葉に二は眉間に皺を寄せる。嫌な予感が脳裏をよぎる。
「まさか…人以外も爆弾に出来るのか…?!」
「ご名答!俺の異能は人や物質を問わず触れた物を爆弾に変える異能”破竹の勢い”!
まさに芸術だと思わないかい?」
「芸術だと?」
二は低い声で言い放つ。
「そうさ!人の今死ぬかもしれないと思う恐怖に満ちる瞬間を俺の意思で起こす事ができる!あぁ、なんて芸術的なんだッ!!」
男は両手を広げ、まるで舞台の主役のようにその言葉を響かせた。
突然、男は地面を強く踏み込み、二の部下へと一瞬で距離を詰めた。その動きは異能の力に裏打ちされたものか、常人の速度を遥かに超えていた。
「待て!!!!」
二が叫ぶも、男の動きは止まらない。
「ハハハ!もう遅いね!!!」
男の手が隊員の胸に触れる。その瞬間、隊員の顔が恐怖に歪む。
「え、…え?」
隊員は困惑した表情で二を振り返る。
「班長…お、俺…」
次の瞬間、男が触れた隊員の胸部が爆発。肉片が辺りに飛び散り、交差点の血溜まりに新たな血液が混ざる。
「くっ…ックソォ!!」
二怒りを押し殺し、腰から警棒を改造したスタンロッドを右手に引き抜いた。
「部下の無惨な姿に冷静を失うなって、残念な刑事さんだね。」
男は二の怒りをあざ笑うように、ポケットから大量の硬貨を取り出し、無造作に投げた。
「金?!」
ドォン――!
硬貨が空中で爆発し、二の目の前で爆風を起こす。二は瞬時に地面に身を伏せ、直撃を避けたものの、再び爆風に押し戻される。
「…この国の硬貨は故意に傷を付けると重罪に当たるの知らないのか?」
「爆発しちまって原型が無くなったんだ、罪に問う証拠もないでしょ?」
男は嘲笑うように肩をすくめる。
「くだらない…」
二体勢を整え、スタンロッドを握り直した。
「おいおい、真正面から突っ込むなんて正気か!?」
男は挑発するように声を上げ、手を二に向けて伸ばした。その動きは蛇のように鋭く、狙いを定めた一撃だった。
「タッチしちゃうよ~!!」
「させないよッ!!」
バチン――!
二はスタンロッドを一閃し、男の腕を弾き飛ばした。電流が走り、男の腕が痺れる。
そしてその勢いのまま二は回し蹴りをし、男を蹴り飛ばす。
「痛てて…そう簡単に掴ませてはくれないか。」
「いいかい、左腕の一本やられようと、部下が目の前で殺されようと異能犯罪者に屈しはしないよ。」
「へぇ、これが異能対策室とかいう人間なんだ。芸術的ではないね。」
男は痺れた腕を振り払い、真顔でそう言った。
夜の帳が交差点に迫る中、燕たちは急ぎ車を走らせていた。車内は妙に静まり返り、エンジン音だけが耳に響く。運転席に座る竜崎が前方を見据え、助手席の村崎は無線機を手に握りしめている。後部座席の燕は、焦りを押し殺しながら冷静に状況を整理しようとしていた。
「二さん、こちら王来王家です。犯人の異能に関してですけど訂正がありました。」
燕は無線機に呼びかけるが、応答はない。ただ、時折聞こえる微かな雑音が、不穏な予感を漂わせていた。
「二さん?聞こえますか?王来王家です。」
燕はもう一度呼びかけてみたが、応答は返ってくることが無かった。
「どうした?繋がらねえのか?」
竜崎が眉をひそめながら言う。
「何かあったと言うこと?」
村崎が短く息を吐いた。
「…急ぎましょう」
燕の言葉に、車内の空気がさらに引き締まる。
無線が鳴り響く。
「二さん、応答してください!」という声が聞こえるが、今の二にそれを取る余裕はなかった。
目の前に立つ男。この異能犯罪者から目を離すことは死を意味する。全ての神経をその動きに集中させ、わずかな油断すら許されない状況だった。
男はどこか気楽な様子で立ち、二を嘲笑うように見つめている。だが、その薄笑いの裏に潜む狂気が、二の背筋を冷やしていた。もし一瞬でも目を逸らせば――次の瞬間には身体が吹き飛ぶだろう。その確信が、二の全身を強張らせていた。
スタンロッドを強く握りしめる手には汗が滲み、重たい空気が喉を塞ぐ。それでも二は、覚悟を決めた眼差しで男を見据えた。そして次の瞬間、間合いを詰め、スタンロッドを振り下ろす。
バチバチと音を立てるスタンロッドが、男の頭上に迫る。
「おっと!危ない危ない。」
男は軽やかに後ろへ跳び、攻撃をかわした。その動きには余裕すら感じられる。
だが、二にとってその動きは想定済みだった。男が跳んだ先を見据え、すぐさま地面を蹴り飛ばすように駆け出す。次の一手を繰り出す準備は整っていた。
跳び去った男の懐に入り込むと同時に、二はスタンロッドを横に振り抜く。音を立てて火花が散る棒が、男の胴体に直撃した。
「ぃででででで!!?」
男は衝撃に仰け反り、膝から崩れ落ちた。その顔には、初めて見せる焦りの色が浮かぶ。
「効くだろ、これは。」
二の冷たい声が、男の耳元で響く。
「あ~…効くねえ、そのオモチャは。よっと!」
男はそう言うや否や、ポケットから数枚の硬貨を取り出し、指で弾いて二に向かって放った。
二は即座にスタンロッドを振り上げ、その硬貨を弾き飛ばす。
「あらら、反応速度早いね。」
男は感心したように口元を歪める。そして、硬貨が地面に落ちる瞬間、指を鳴らした。
「!」
弾き落とされた硬貨が爆発し、周囲に破片が飛び散る。ニは身を翻してその衝撃を最小限に抑えるが、わずかな間に脳裏に違和感が走る。
「(今、叩き落とした後に爆発した?叩き落とす前に爆発できたはず…いや、できなかったのか?)」
しかし一瞬の思考が、二の致命的な隙となった。
男の手が二の目前に迫っている。
「ッ!!」
二は反射的にスタンロッドを振り抜いて男を振り払おうとした。だが、その動きを見越していたかのように、男はスタンロッドを片手で掴み取った。
「おっと、コイツが悪さしてるんだよね。自衛用銃刀具…異能者にとっては小賢しい物だよ。ホント。」
「しまッ…」
二が叫ぶ間もなく、男は指を鳴らした。
パチン――
次の瞬間、スタンロッドが爆発する。爆風と共に火花が飛び散り、二の右手は衝撃で裂傷を負った。
「ぐッ…アァァ…!」
二の呻き声が夜の静寂を切り裂く。右手から滴る血が瓦礫の上に落ち、暗い赤い染みを作る。
「あらら、右手まで負傷しちゃったな刑事さん。」
男は涼しい顔で嘲笑いながら、二を見下ろしていた。
「ほら、次はこれどう躱す?」
男は再びポケットから硬貨を取り出し、今度はそれを大量にばら撒く。硬貨が空中を舞う。
その光景を見た二は、咄嗟に身構える。
「くそ…体が…」
両腕の裂傷と爆発の衝撃で、二の身体は思うように動かない。そんな彼を嘲笑うかのように、男は指を鳴らした。
爆発音と共に二の身体が吹き飛ばされる。遠くの地面に叩きつけられた二は、息を切らしながらも痛みに声をあげることすらできなかった。
ゆっくりと近づいてくる男の足音が、彼の耳に響く。
「考え方自体は芸術的ではないけど、貴方みたいなやる気のある刑事さんを爆発したら、その光景自体は芸術的なんだろうな!」
男は二の前に立ち、その首に手を伸ばす。
「異能対策室の班長さんなんだっけ?ここまでご苦労様。中々悪くない捜査と戦闘だったよ!」
そして、二の首を掴み、無理やり立ち上がらせた――。
交差点に到着した燕達を待ち構えていたのは、昼間とは打って変わって変貌した姿だった。
車や自転車などが爆発により無惨に焼け焦げ、あたり一帯に争った形跡が多くなっていた。
「なんだこりゃ、昼間より酷くなってねえか?」
竜崎の眉間に皺がよる。
「異能者、帰ってきた可能性…」
村崎は息を飲みながら言った。
「二さんを探しましょう。まだ近くに居るはずです…!」
燕達は車から降りると注意深く周囲を見渡した。
竜崎と村崎が燕の後ろを付いていく形で捜索を開始した。
少し歩いたその先で、話し声が聞こえた燕達は急いで近づいた。
「二さん!!……え…?」
二の首を掴んでいた男はその声に視線を送った。
「お、意外と早かったんだな。ほら刑事さんお仲間が到着したよ?最期にその目で見れて良かったね~」
そう言った男は二を燕達に向けて押した。
「二さん…これは一体…」
「王来王家…さん…すまない、コイツを止める事が俺には…出来なかった…」
二の途切れ途切れの声がその場に響く。
「CSチーム…こいつ…の…異の…うは…人を爆…弾…にす…る異能…じゃな…い。こいつ…のイ…ノウ…は……」
そう言いかけた所で指を鳴らす音が聞こえた。
その音に気を取られた瞬間目の前の二は首元が爆発した。
首から上が吹き飛び、噴水の様に鮮やかな血が吹き出た。
その下の体はまるで人形の様に力を失い目の前に倒れ込んだ。
「アアーーーーなんって…芸術的な光景だ…!!!!
現場に引き返してきて良かった!!!!」
男は興奮し切った様子で叫んだ。
「あ、、あ、ぁぁ…」
燕は呆然と立ち尽くした。
今日会ったばかりの人ではあった。
少ししか会話もしてなかった。
だがこれから同じ異能対策室の人として接していくんだとそう思っていた。
同じ事件に挑んだ別の班の人。
それだけで実は心強かった。
そんな人間が最も容易く絶命する。
そんな光景と現実に燕の心は折れかけたのであった。