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「いやほんと、真咲さんにはびっくりした」

 日曜、匠海はさざなみ荘に弟と妹を連れて昼ご飯を食べ、その後に釣りをするのだとやってきていた。昨日自分だけゲームしてずるいと二人に怒られたらしい。

 海に慣れているとはいえ、小学生二人を見るのは大変でしょうと、真咲さんが私に同行を命じ、今四人でさざなみ荘横の浜にいた。

「うん。私も知らなかった」

 ここは日陰がないから暑い。今日は凪いでいて風もない。

 そして、夏はここで何も釣れないのは、私も去年教えてもらっている。せめて舟に乗ってすこし出ればメバルがいるらしいけれど、勇海さんがいなければそれはできない。

 それでも、小学生二人は楽しそうに釣りをしたり、岸壁から海をのぞいて小さな魚を観察したり、楽しそうにしていた。

「真咲さんと真雪さんって、似てないよね」

 何げなしに私が言うと「そうか?」としゃがんでいた匠海が立ち上がった。

「雰囲気とか、真逆だし」

 真咲さんが麻なら、真雪さんはウールだ。しかもふさふさしたような。真咲さんが太陽なら真雪さんは月。

「そりゃ見た目はな。でもなんつうか、姉妹って感じはするよ」

 姉妹。匠海の口から出てきたのを横目でうかがう。もちろん訂正なんてしないけれど。

 でもやっぱり、女性に見えるのだなと改めて思う。

 私の中で、真雪さんは真雪さんだ。彼でも彼女でもない。月島真雪という存在。周囲からどう思われようと、自分らしくあろうと生きている人間。

「そういやさ、昨日の髪型、もうしないのか?」

「え?」

 急に話が変わって、匠海の方に顔を向けてしまう。

「あ……いや、似合ってたから」

 けれど匠海は私を見ず、二人が遊ぶ方をじっと見たままだった。

「……でも別人かと思ったって」

「そ、そりゃ、いつもと違うから」

 よく日に焼けた首筋に、汗が浮かんでいた。

 思わず自分の髪の毛を触ってしまう。今日はいつもと同じ、下で一つに結っただけ。真雪さんに勧められたアウトバストリートメントも、使っていない。

 いつもと違う。それは私も思った。見慣れないし、どうにもしっくりこない。

 似合ってたかどうかもわからない。けれど匠海はそう言う。似合うってことは私らしいということだろうか。

 じゃあ今日の私は、私らしくないのだろうか。

「すみれー!」

 背中側から大きな声がした。真雪さんだ。大きな籠を持って、浜に下りてくる。真っ黒な姿は、田舎の小さな漁港には異質に見える。

「暑いだろってねーちゃんが。はい、みんなに」

 籠の中にはお茶とジュースのペットボトルが入っていた。匠海の弟と妹が好きなのを選んでから、私たちも一本もらう。

「しかしいい気持ちだね」

 真雪さんの真っ白な肌に太陽の光が反射する。金色の髪は、溶けていってしまいそうだ。

「なんか釣れたかー?」

 ジュースを飲む小学生二人に真雪さんが聞くと「なんにもなーい」「ぼうずー」という言葉が帰ってくる。

「ボウズなんて知ってんだねー。さすが海の子」

「親父も兄貴も釣りするから」

「なるほど。で、二人は?」

 レモンティーを飲んでいたら、いきなり真雪さんの視線がこちらを向いた。射抜かれて固まってしまう。

「二人は、ってなんもないすよ」

 そんな私に代わり、匠海がさらっと言ってのけた。

 なんもないす。

 あっさりした言葉。身体がぐっと地面に引っ張られるように重くなる。

「ふーん」

 真雪さんはそれ以上なにも言ってこなかった。私は適当に笑って、その場をやり過ごした。

 わかってる。匠海は悪くない。悪くないもなにも、私だってそう望んでいるはずだ。

 祖母から産まれた母から私は産まれた。きっと同じになるのだから、ならないために努力しなければならない。

 だから、これでいい。そう、これでいいはず。

 匠海は額に汗をかきながら、海を眺めていた。

 私はそっと息を吸う。

 潮の匂いが、私の身体を満たしていった。


 月曜日はさざなみ荘の定休日。真咲さんは家が好きなのか、出かけることは多くないのだが、明日は朝から外出するという。

「遅くなるから、晩ご飯も二人で食べちゃって」

「わかりました」

 夕食のおかず、チキン南蛮をよそいながら頷いた。真咲さん特製のタルタルソースは、市販品が食べれなくなるほど美味だ。

「え、じゃあさ、肉食べよ肉!」

 ポテトサラダを取り分けていた真雪さんが明るい声を上げる。

「今晩だって肉よ」

「違う違う、焼き肉! ホットプレートぐらいあんでしょ?」

「ないわ」

「えっ、マジで? ないの?」

「だって使わないもの」

 くーっ、と真雪さんが天を仰いだ。

 確かにホットプレートは見たことがない。ホットケーキもお好み焼きも真咲さんが作ってくれたが、いつも鉄のフライパンで彼女が焼いていた。

「じゃあいい肉買ってステーキにする。菫は? ステーキでもいい?」

「あ、はい。もちろん」

 作ってもらうだけでもありがたいのだから、文句なんてあるわけがない。

 私とは違い、真雪さんはさざなみ荘の手伝いでキッチンにも入っている。手際よく野菜の下拵えをしたり、華麗なフライパン捌きで炒め物をしたりしていた。一人暮らしの間に覚えたらしい。

 真咲さんのような栄養たっぷり滋味あふれるごはん、といった感じではないけれど、まかないで作ってくれた味の濃いチャーハンはとても美味しかった。

 真咲さんの車を使っていいとのことだったので、月曜の放課後、真雪さんと学校近くで待ち合わせをすることにした。道がわかるかと心配されていたけれど、真雪さんは約束の時間通りに現れた。

「お勤めおつかれ」

「お勤めでは」

 そしてその『お勤め』は仕事のことではないのでは、と思いながら助手席に乗ると真雪さんがあははと笑った。

「いやー学校なんてそんなもんっしょ」

 ゆっくりと動き出した車は、ショッピングモールへの道を軽快に進んでいく。

「きれいな道だね」

 ラジオから流れる曲を鼻歌で歌いながら、真雪さんが言った。

「景色、だいぶ変わったそうです」

 私も変わる前の景色は知らない。匠海や学校の友人らが言う話でしか聞いたことがない。彼らだってそのときはまだ幼かったのに、景色が一変してしまったことだけはわかるのだという。

「そっか。だよね。あたしもまだ子どもだったけど、あの日のことは覚えてるもんな」

 私も覚えている。あのときはまだ母と暮らしていて、母が迎えに来てくれた。その後のことはあまり記憶にないけれど、しばらくは電気や食料に困ったような気がする。

 そういやそのとき一度だけ母が料理をした気がする。できあがったそれが、なんだったのか覚えてない。苦くて、すっぱくて、ドロドロしていて、でも食べなきゃいけないのだと頑張って飲み込んだのだけ、覚えている。

 道は空いていて、目的地のショッピングモールにはすぐ着いてしまった。「おおー、いろいろ店あんじゃん」と真雪さんが車を降りて感嘆の声を上げる。

「しかし今日は肉が目的。菫、あたしがお金出したげるから好きなのを買うんだ」

 そしてどんと胸を張られたから、思わず笑ってしまった。

 ドーナツやアイスの店舗を横目にスーパーへと一緒に歩く。

「ステーキ以外はどうしますか?」

「え、以外? 肉以外食うの?」

「え、むしろお肉しか食べないんですか?」

 野菜売場を通り過ぎたなあと思っていたら、本当に肉しか目的になかったとわかって、また笑ってしまった。

「えー……じゃあ、菫に任せた。なんでもいいから作って」

 あたし肉担当なんで、と続けるから、もしかして毎日のように出てくる魚に辟易してたのかなと考える。

 私も去年はそうだった。もちろん真咲さんはさざなみ荘でごはんを出すから肉のおかずも作るし、それを私たちも食べる。けれどなぜか毎晩魚もあるのだ。しかも大概が刺身で。まぐろ、カツオ、めずらしいのだとマンボウ。贅沢な、と思われそうだけれど、いつだって冷凍庫に大きな塊があるのだから、ありがたみは薄い。

 その塊の半数は勇海さんがお裾分けだと持ってきて、残り半分はさざなみ荘にくるお客さんがお裾分けだと持ってくる。しかもみんなも毎晩のように食べるからさざなみ荘で出すのも難しい。必然と、晩ご飯のおかずとなる。

 とはいえ、そういうものなのだと理解して半年もすれば、慣れた。今では味噌汁と同じポジションだ。

「なんでもいいからと言われても、すみません、作れないです」

 真雪さんの肉への欲求は理解したけれど、それとこれとは話がべつ。

「マジで?」

「マジです。すみません」

「いや謝ることはないけどさ」

 驚かれるのは覚悟していたというか、当然だろうと思う。生まれてこのかた、料理をしたことがない。

 正確には学校の調理実習とかでしたことはある。けれども、そのときだって簡単な作業しかしなかった。

「そっかー。わかった、じゃああたしが教えてあげる」

「え?」

「いやだって作れないより作れたほうがいいでしょ? 毎日食べるんだから」

 言っていることは至極もっともだ。

「……できる気がしないんですが」

 さざなみ荘に来るまでを思い出してしまう。

 いつだって、買ってきたものが食卓に並んでいた。朝ご飯はただの食パンだったし、夕食はいいときはお弁当、ないときは五百円玉一枚。

 母も祖母も、台所に立っている姿を見たことがない。

「できるよー。あたしだってバカだけどできんだから。難しいこと考えないでやってみよ」

 真雪さんはあっけらかんとして「じゃあ味噌汁だな、やっぱし」と言いながら精肉コーナーへと向かった。

「えっと、味噌汁の材料は」

「ん? だいじょーぶ、家と畑にあるもんでなんとかなるから」

 そう言いながら真雪さんは、ステーキ肉の中でもとびきり大きく値段の高い一枚を手にして、にこにこと笑顔を見せてくれた。


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