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 真雪さんを表す四字熟語は自由奔放だと思う。

 あれから五日。さざなみ荘はほんのすこしだけ、騒がしくなった。真雪さんが起きてくるのはお昼近くらしいので、朝に会うことはないのだけれど「おかえり」の声は倍に。夕食のときの会話はそれ以上に。

 真雪さんの部屋は二階の私とは反対の隅に決まったのだけど、音楽なのかゲームなのか、なにかのメロディーが時々漏れて聞こえるようになった。

「ね、夜ってさ、マジで波の音しかしないんだね」

 ちょっと感動しちゃったよ、と真雪さんはまるで秘密の話をするみたいに、私に言ってきて。

「ちょっとねーちゃん、毎晩魚ばっかり過ぎない?」

 三日目の夕食には、そう言って真咲さんに「文句があるなら自分で作りなさい」と言われていた。

 それでもさざなみ荘の仕事は手伝っているらしいし、最初こそ常連さんにびっくりされたものの、すぐに馴染んだみたいだった。元々美容室で働いていたらしく、接客は慣れているらしい。

 ただ真雪さんのセクシュアリティーに関しては、あえて言う必要はない、ということになっている。

 真雪さん自身、男女どちらと言われてもあまり気にしないようだ。むしろ何も知らない人ならそんなものだし、いちいち訂正しようとは思わないという。

「そりゃ男らしくとか女のくせにとか言われたらうへぇって思うけど、それってべつに誰でもそうでしょ」

 あえて自分は男です、女です、どっちでもないんです、と日常生活で宣言する必要はない、というのが真雪さんの考えだった。

「性別が必要なときがあるのもわかってるから、そこに文句や不満を言う気はないよ」

 食後のアイスをかじりながらそう言う真雪さんからは、揺らがない自分、みたいなものを感じた。

 だけどそれ以外はかなりゆるくて、適当で、真咲さんとは全然違う。

 土曜日。真雪さんが起きてきたのも、もうすぐさざなみ荘を開けようか、という時間だった。

「おはよー……休みの日ぐらい、ゆっくり寝たらいいのに」

 玄関前を箒で掃いていると声をかけられたので「おはようございます」と振り返る……が、その姿を見て私は思わず一歩下がってしまった。

 きれいな金色の髪は寝癖でぼさぼさだし、着古してゆるゆるのTシャツからは鎖骨を越えて胸の半分まで見えそうだし、どう見ても学校のジャージだったろうズボンは膝に穴が空いていた。

 いつもと違う。おかえりーと出迎えてくれる真雪さんは鮮やかなフルメイクで、髪はさらさらのストレートで、かっこいい服に包まれていた。

 頭をがしがしとかいて欠伸をしている真雪さんは、何も言えない私に気がついたのか乾いた声で笑った。

「だいじょーぶ。お店開くまでには整えてくるし」

 毎日学校行ってたから寝起きみてないもんねーと一人納得している。

「あ……すいません、ちょっとイメージと違ったもので」

「あはは。これがあたしです」

 そう言って笑う顔は、いつも通りきれいで、眩しかった。長い睫も、きらきらしたアイシャドウも、美しい色の口紅も、いらないんじゃないかと思うぐらい、真雪さんだった。 

 そして宣言通り、真雪さんはそこから三十分で変身してきた。いつものように黒のアシンメトリーなデザインの、不思議なパンツを履いて颯爽と歩く真雪さんはさっきまでの人とは別人のように見えた。

「うーん」

 お客さんも帰って片づけ始めたとき、真雪さんが私を睨むように見ていることに気づく。

「えっと……なんでしょうか」

 調味料入れを整える手を止め聞く。

「似合ってない」

「え?」

「菫、その髪型と服、似合ってないよ」

 真雪さんは二日目には「菫ちゃんじゃなくて菫って呼んでもいい?」と聞いてきたのでいいですと答えた。一緒に「あたしも真雪でいーよ」と言われたけれど、それは年上なので、と断っていた。

「えっと……似合ってない、ですか」

 なぜか口角が上がってしまうような、なのに口の中が乾いていく感覚がしていた。なのにそうかもしれないです、と湿っぽい笑いが口からこぼれる。

 ファストファッションで買ったTシャツに、すこし明るめのブルーのデニム。そんな自分を何気なく確認するふりをする。

「うん。ちょっとさ、あとで髪型だけでもやったげるよ」

「……切るのは、ちょっと」

「あ、切らない切らない。さすがにそこまでは勝手にやらないよ。すこし結び方変えるだけ」

「真雪、勝手なことしないのよ」

 裏の部屋に行っていた真咲さんが言うと、真雪さんは「しないって」と手をひらひらと振った。

「やってみてダメだったら、やめたらいいしさ」

 真雪さんはにかっと笑った。

 低い位置で束ねただけの髪の毛を、思わず握ってしまう。

 似合うとか、似合わないとか、二の次だった。ただこれでいいから、これだった。髪も、服も。

 前とは違って、今はある程度自分で使えるお金はある。ヘアレンジだって動画を見て練習すればいいんだろう。

 だけど。

「……わかりました」

 私はそう答えた。

「よし、じゃあ準備してくるから待ってて」

 真雪さんはぴょんと跳ねるように椅子から立ち上がり、二階へと消えていく。

「菫ちゃん、無理して真雪につきあうことないからね?」

 再び片づけを再会した私に真咲さんが言う。「大丈夫です」と応えておく。

 ふと、誰かに見た目のことを言われたのは初めてかもしれない、と気づいた。母のことはあまり覚えていないけれど、少なくとも祖母は私のそういうことに興味はなかった。どちらかというと「みっともない格好はするんじゃないよ」と顔をしかめていた記憶しかない。

 真咲さんも、匠海も、言わない人だった。べつにそれで良かったのだけれど。

 数分後、籠のような大きなポーチを持った真雪さんが下りてきた。食事スペースでするのはさすがに、ということで畑に面した和室に移動する。

 開け放たれた履き出し窓窓に向かって座ると、真雪さんは私の後ろに膝立ちになった。

 バニティケースというらしいポーチの中には、何種類化の櫛と鋏、ヘアゴムやヘアピンなどの小物、中身のわからない瓶やボトルがぎっしりと詰まっていた。

「触るよー」

 そう言って髪を梳かしはじめる。細い指先が、うなじをかすめていく。

「まだ染めたことはない?」

「え? あ、はい。ないです」

「そっかー。きれいな色してる」

 柔らかな手つきだった。毛先から始まり、だんだんと頭頂部に近づくその動きに引っかかりはない。

「でも毛先は傷んでるなー。ケアしてる?」

「えっと、一応、トリートメントは」

「お風呂で?」

「はい」

「アウトバストリートメントもしたほうがいいよ。あたしの使っていいし、乾かす前につけてみて」

 誰かに髪の毛を梳かしてもらうのは、久しぶりだ。かろうじて、母がやってくれていたのは覚えている。

 けれどそれは、痛かったから覚えているだけだ。からまった髪を力任せに梳こうとして、痛くて痛くて、いつもぎゅっと我慢していた。

 じゃあねえ、と真雪さんが言って私の顔をのぞき込んだ。

「ちょっと前髪長すぎだから横に流していい?」

「あ、お任せします」

「おっけー。じゃあ痛かったりしたら遠慮なく言ってねー」

 そこからの真雪さんはプロだった。ワックスを髪にもみ込み、さっとまとめ上げ、あっという間に結い上げてしまう。前髪の形を作り、耳の前の毛をアイロンで巻き「はい、できたー」という明るい声が降ってきた。

「どう? すっきりしたでしょ?」

 大きめの手鏡を渡されたので、私はそっと自分を確認してみる。どうやら、高めの位置で一つに結んだのをお団子にしているらしい。私では真似できない、ほどよい後れ毛がバランスよくあり、いつもは見えない額が半分ほど出ている。

 鏡の中の自分と、目があって思わず反らしてしまった。

「さすがプロ、です」

 私には真似できない、かわいい髪型だ。

 鏡を返しながら言うと、真雪さんがむう、と口を尖らせる。

「いまいちかー。まあしゃーない」

 そう言いつつも、笑っていた。好みだってあるもんね、と。

「いや、そんなことないです。ただ見慣れなくって」

「いーのいーの。あのね、たとえ他人に似合うって言われたって、自分の好きな格好するのが一番なんだから」

 道具を大事そうに片づけながら、真雪さんは言った。

「ただちょっと、試してみなよ、って言いたかっただけ。だってほら、やってみるのとやらないのとでは違いがでっかいでしょ」

 だから、と続ける。

「やってみてダメなら、ダメでいいの」

 真雪さんにはめずらしい、柔らかい笑みだった。

「……はい」

「そうそう、素直なのが菫のいいところ……っと、匠海だ。おーい、匠海ー」

 バニティーケースのファスナーを閉め終えたところで、真雪さんが窓の外に向かって叫んだ。思わず私も顔を向けると、匠海がクーラーボックスを肩から下げて歩いてきている。私と真雪さんに気づくと「うす」と手を挙げた。

 玄関に入らず、そのままこちらに歩いてくる匠海と目が合う。

 あの日以降も、匠海は変わらずだった。

 けれど今日は、私を見てなぜか一度立ち止まった。

「なに匠海、菫のかわいさに驚いたか」

 すぐに真雪さんがそんなことを言い出して、私の喉から変な音が出た。

「いや、えーと、いつもと違うから。誰かと」

 匠海はすぐに歩き出してそう言うものの、明らかに声がうわずっている。

「だろー、あたしのプロの技術が出ちゃったね」

 いつもと違う位置で髪を結わえているせいか、うなじのあたりが強ばっていく。匠海のことだから、変なことは言わないと信じているけれど、どうにもそわそわしてしまって落ち着かない。

「で?」と真雪さんが言う。

「で?」と匠海が繰り返して焦っている。

 妙な空気が、窓を隔てて流れていた。

「いや、で、匠海はなんか用事で来たのか? って」

 数拍おいてから出てきた真雪さんの質問に、匠海ははっとして頷いた。

「え、あ、ああ。うん、兄貴がアイスたくさん買ってきたから持ってけって」

「マジで? ありがとー、わーいっぱいあんじゃん」

 ささっとクーラーボックスが受け渡され、惜しむことなくオープンされる。真雪さんに促され私ものぞくと、箱アイスだけでなく、スーパーで見かける有名どころのアイスが一通り入っている。

「こんなに、いいの?」

 匠海の家は四人きょうだい。下二人はまだ小学生だ。その二人のほうが喜ぶのでは、と私が訊ねると匠海はようやくいつものように笑ってくれた。

「たくさん入ってると延々に食べるからあいつら」

「わかるー。夏だもん、アイス食べたいよね」

 そう言いながら真雪さんは「やっぱこれだよ」とスイカのアイスを取り出した。

「ありがとう。匠海も一個、食べる?」

「え、いいのか?」

「いいぞー、せっかくだしみんなで食べよう」

 真雪さんのその提案で、私たちは窓辺に座ってアイスを楽しむことにした。私はフルーツの入ったアイスバー、匠海はモナカタイプのを選んで、残りは冷凍庫へしまってくる。

 私が二人に挟まれる格好で並ぶ。足を履き出し窓から垂らすと太陽がつま先をじりじりと焦がしていく。

「匠海と真雪さん、いつの間にか仲良しなんですね」

 垂らさないように気をつけて食べながら聞いてみると、あぐらをかいていた真雪さんがこくこくと頷いた。

「ゲームの話で盛り上がったからね」

「あ、そういえば匠海もゲーム好きだったね」

「おう。あんま身近にあのゲームやってる人いなかったから」

「そーそ。菫は?」

「菫はゲームしたことないんだよな」

 私より先に匠海が答えたので、私は頷くだけにした。

「えっ、マジで?」

 真雪さんが目をまんまるくする。

「はい。あの……、ゲーム持ってなくて」

「スマホは?」

「え、スマホは持ってますけど」

「違う違う、アプリとかでゲームしないの?」

「ああ……ない、ですね」

 そういやスマホがあればゲームができるのか、と今気がついた。学校の友人たちは匠海を始めやってる子も多い、と思う。でもどうしてか、自分ができるのだということに今まで無頓着だった。

「よし、匠海、ゲーム大会しよう!」

 スイカのアイスを平らげた真雪さんが、突如立ち上がった。

「ゲーム大会っすか? 今から?」

 まあできますけど? といった表情の匠海もなぜか立ち上がる。

「菫、やるよ」

「え? え、私もですか?」

「もちろん。大丈夫、誰でも遊べるやつにしよう。やっぱレース系か……」

「格ゲーって手も」

「いや格ゲーはなー……ねーちゃん誘ってアリカーかな」

 両隣が頭の上で協議を始めている。

「真咲さんもゲームするんですか?」

 気になって少しだけ見上げて問うと、真雪さんが腕を組んで「あの人はねえ……」としみじみし出した。

「あたしが唯一、ゲームで勝てない相手」

 その言葉に、私も匠海も「えっ」という驚嘆の声が重なる。

 まったく想像できない。優しくて自然体で、鼻歌交じりで料理して、畑仕事や庭仕事に勤しむ真咲さんがゲームとは。真雪さんの実力がどんなものでも、意外すぎる新事実だった。

「あたしもねーちゃんにリベンジしてやる。菫、準備するよ! やるよね?」

 すっかり開催する気満々で、参加の有無を聞かれたけれど、逆に月島きょうだいのゲーム事情が気になりだして、私も二つ返事で頷いてしまった。

 その後、真雪さん主催のゲーム大会は四人参加で夜遅くまで続いた。合間合間にお菓子を食べ、ジュースを飲み、真咲さん特製なんちゃってピザを食べ、盛り上がった。

 最初に言っていたアリの世界でカートレースをするアリカートデラックスなるものを四人で対戦し、真咲さんが圧勝。その後、三人で格ゲー対決へと進み、またしても真咲さんが圧勝。

 真雪さんだけでなく、匠海までもがリベンジを誓う展開に、私はほどよい疲れと胸がいっぱいになるような感覚を初めて味わっていた。


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