2.別れ道(2)
拠点の近くに着いた頃には息も切れていた。防毒マスクを外したい衝動に駆られるがあと少しだと踏み止まり呼吸を整え直す、マルに指示を出して拠点、敷地内の安全確認に行ってもらった。二つ目の拠点は築三十年の二階建てアパートの一室を確保している。探索をしていた際に入った不動産管理会社に資料と鍵が合わせて管理されていたものをいくつか拝借した内の一つだ。おかげで空き家を活用する事ができて、幾分か罪悪感を減らして部屋を使える。部屋は二階に三部屋並んでいる真ん中の部屋だ。二階に上がる階段にはピアノ線を数箇所に設置しており、引っ掛かれば部屋に繋がった鈴が鳴る仕組みになっている。例に漏れずここでも安全確認から帰ってきたマルを抱えてトラップを避けて二階の部屋へ向かった。部屋に入り鍵とチェーンを掛ける、いつもの拠点と違い開けられたらすぐに俺たちがいる部屋という状況のため、少しでも問題に対処する時間を作るためここではあえてチェーンも掛ける。
部屋の作りはキッチンと部屋が二つのみで、一部屋が六畳ほどとそれほど広くはないが拠点としては十分だ。非常用の拠点のため部屋は窓から漏れる光を防ぐ細工をしている以外は食料と救急箱、電池式のランタンに睡眠用の毛布が置いてるぐらいで寂しい部屋だ。
キッチンの隅にまとめた荷物からランタンと水、マル用の水入れを取り出し部屋へ移動して腰を下ろした。
「今日も疲れたな、マル」
隣で座るマルに水を入れた容器を差し出し合図をすると勢いよく飲み出し、あっという間に飲み干したので追加で水を足したがまたすぐに飲み始めた、それを見届け俺も水を口にした。一口飲むと自分がこれほど喉が渇いていたのかと驚いた、さっきまでは緊張とそれに伴う集中で感じていなかったがマルも同じ様に渇いていた事を思うと反省をした。渇きが治り少し休みたいところではあるが、装備の確認だけは先に済ませる。ゴーグルと防毒マスクを外し異常がないか入念にチェックする、ゴーグルのゴムに傷はないか、マスクに破損は無いかをランタンの明かりを頼りに確かめた。次にホルダーとナタに問題はないか、今履いているブーツは壊れていないか、それらを確認し終わり肩に掛けたライフルを下ろし弾倉を外した。弾倉内には四発残っていた、ポーチの中の予備として持ってきていた、五発入りの弾倉に付け替え、外した弾倉から弾を一発抜いた。移動前に薬室内に一発分込めるためだ。本当なら銃弾を放ったライフルを整備したいがそのための道具はいつもの拠点にしか置いていないので諦めざるを得ない。そうこうしている内に時計は、午後七時を表示して外が暗闇に包まれたことを教えてくれた。
秋の夜長とはよく言ったものだ。日照時間としても長いのだろうが、辛うじて夏の暑さをまだ身体が覚えているこの時期の涼しくなった夜は、俺に孤独をひしひしと感じさせ、夜を一層長くさせた。最小限に灯したランタンの灯りに照らされたマルの毛を繕いながら、今日見つけた集団の事を考えた。この町に来たのであれば彼らは隣街も通って来たのだろう、よく子供連れで無事に通り抜けて町に辿り着いたと思う反面、なぜ逃げ場もないこの町にと疑問も浮かんだ。あの集団が明日を乗り越えれば取り敢えずの危機を脱するだろう、しかし今後俺が彼らと遭遇してしまう確率も生じる。行動を共にしたい訳ではない俺にとっては、そういったリスクが上がるのは好ましくなかった。あくまでも明日を無事に乗り越えればだが。
この状況になって、人は無いものねだりをするのだと心底わかった。前まで数人の知人以外と接するのが苦痛に感じていたのに、今は少しの会話を求めていた。長く返答のないマルへの独り言が習慣付いているので言葉は恐らく出せるが、果たして人が発した言葉を聴き取れるのか、など当たり前の事にさえ不安になる。そしてこういった考えが出ている時点で俺はきっと人との接触を求めていると分かってはいた、だがそんなご都合主義の自分を認めたくはない。長い夜のせいだろう、どうにも葛藤が延々と頭の中で繰り返される。俺はどうしたいのだろう、深いため息を一つ吐いた。
「マル、明日あのショッピングセンターの連中。どうなったか遠くから見てみるか」
マルは寝たままわかったとばかりに尻尾を振った。自分の中である程度の決心がついたからか、それとも体力の限界か、急に眠気が強くなり抗わずにマルの隣で眠った。
今日はいつもより早くセットした時計のアラームが鳴る前に目が覚めた。畳とはいえ床にそのまま寝たせいでどうも身体のあちこちが痛い。柔軟体操をしながら昨日のショッピングセンターをどこから監視するかを考える。昨日のマンションは位置的には悪くないが、夕方のマンホールからあれの声が聞こえたこともありやめておく、後はそれほど高い建物がないので見通しのいい場所で尚且つ今日くる奴らに見つからない場所だ。そうなると学校や工場などの施設だと探索ついでに入ってこられることもありえる、やはり一番多い建物で見つかり難いとなると民家になる。あまり人が生活を営んだ家へ土足で上がり込みたくは無いのだが、背に腹はかえられないと覚悟を決めた。起きたマルと朝食を済ませ、念の為にリュックに入れておいたマル用のハーネスを取り出し装着させた。マルの身体を見回し怪我や異常がないかの確認をし、次に自分の準備を進める。ゴーグル、防毒マスク、ホルダーに収めたナタ、腰に巻いたウエストポーチ、背中に背負ったリュック、そして最後に壁に立てかけたライフルの薬室に銃弾を一発込めて安全装置をかけた。出発する前から鼓動が高まっているのが自分にもわかった、俺は自分を落ち着かせる為にマルの頭を一撫でした。
「マル、今日はもしかしたら危ない目に遭うかもしれない。だからもしも俺がいなくなったりしたらちゃんと逃げるんだぞ」
話の意味などわかるはずがないがマルは俺に身体を擦り付けて寂しそうに鳴いた。
「約束だからな、ちゃんと逃げるんだぞ」
マルは念押しする俺の顔を見て一言だけ吠えた、まるで返事をしているように。そんな殊勝な態度のマルを見て俺の中で行くと決めたはずの答えだが少し揺らいでしまう、俺の家族であるマルを余計な危険に晒していいのかと、だがそんな様子をみてかマルは俺の顔を見てもう一言、吠えた。そのおかげで揺らいだ心を持ち直すことができた。人間はつい楽な方へと流されていき、リスクを避けて生きると何かで読んだ。本当は俺もわかってはいた。今のままの毎日がいつまでも続くはずがないことぐらい。ただ俺の世界はこうなってしまったが、マルと二人過ごす今の生活も決して悪いものでなかった。だがマルはこのまま行けば俺よりも先に死んでしまう、仮に俺が先に死んだらマルは一人生きていけるのか、不安が尽きることはなかった。
人を探そう。共に生きるかは別として、自分とマルだけが安全に生きる世界から抜け出そうと心に決めた。
ルール第四、やれる事をやる、だ。
これだけは判る、やれる事をやった先が望んだ結果ではなくても俺は後悔せずに終われると。
食べ終わった食事のゴミを袋にまとめた後、リュックに入れる。残りの物資を確認してまだ余裕があることもわかった。玄関に腰を下ろしブーツの紐を力強く結び直す、玄関の覗き穴から外の様子を確かめたら準備は整った。目を閉じて深呼吸で高まっている鼓動を徐々に平常時の鼓動に戻していく。三分ほどでなんとかいつもと変わらない状態に戻せた、目をゆっくりと開き、側に付くマルの頭を一撫でして、ドアノブを力一杯握りしめ扉を静かに開けて出発した。