1.ニューライフ(6)
今日もまた時計のアラームで目が覚めた。起こした体は予想した通りに、疲労が残っているのを感じる。隣に寝るマルは今日も今日とて起きる気配はない。今日の柔軟体操はいつもよりも時間をかけて、ゆっくりと疲れをほぐすようにした。
柔軟体操を終えると幾分か体が軽くなったように感じるが、まだまだ疲労は拭えない。こんな時は食事にも気を使う。朝はいつもカンパンで済ませているが、今日は作ることにした。小分けにして保存してある米、サバ缶、トマト缶、オリーブ油その他調味料を集めパエリアを作る。今日は休養日と決めているので時間を気にせずに料理に取り組める。
朝食を終えてつい食べ過ぎてしまったと後悔しつつ、棚に保管しているビタミン剤をいくつか飲む。現状まだ食事をしっかりと摂れているのでビタミン剤の補給は極力減らしている。この判断が正しいのかは自分でもわからないが、とりあえず問題なく過ごせているので良しとした。
休養日の今日はマルとゆっくりと過ごす、その為にもまずはいつもの要領で地下室から一階へ出る。しかし休養日の俺の格好はパンツにタンクトップだ、だがしっかりとブーツは履いている。誰かに見られたら確実に変態だと思われるだろう。ゴーグルと防毒マスクを地下室に戻し、ライフルとナタ、本を一冊とビールを六本パックごと、あとマルのおやつを持ち、板を打ち付けた一階を通り過ぎて日の光がたっぷりと差し込む二階の部屋へマルと向かう。二階の窓は板を打ち付けていない為どの部屋も窓から光りが入り込んでいる。だが俺のお気に入りの部屋は決まっており、休養日はいつもその部屋で本を読みながらビールを飲み堕落した時間を過ごしている。部屋へ入ると日光が何もない部屋をただ照らしている、南側に位置するその部屋は日中を通して部屋が明るいので、重宝している。本当なら窓を開けて空気の入れ替えをしながら、本を読みたいが窓は開けることはしない。
「マル、毎日お疲れ」
骨型のガムをマルに与え、俺はビールを一本取り出して開け、一口飲む、いつ飲んでもやはり温い。そして栞を挟んだページから本を読み始め、マルと二人昔と同じ変わらない時を楽しんだ。
思いがけずうたた寝をしてしまった。時計は午後二時を表示している。マルもそばで気持ち良さそうに寝入っている、立ち上がり体をほぐす、床で寝てしまい少し痛みを感じるが問題というほどではない。窓際へ近寄り身を隠しながら外の様子を見るが、いつもと変わらず何も変化はない。もちろん変化を求めている訳ではない、今の安定した日々を否定したい訳でも、放棄したい訳でもない。しかし、なにもない毎日をいつまで続ければ終わりを迎えることができるのかという葛藤も同時に内在し、日々あらゆる感情同士が衝突を繰り返している。やはり人間には集団本能が備えられているのだと実感する、またこのままの生活を続けていては、いつの日か自分が自分でなくなる恐怖も覚えた。
夕食の片付けも終えていつもなら消灯する時刻だが、今日は映画鑑賞をしながら床に付く。ポータブルプレイヤーには電池で使える物もあり停電時にも使えて助かる。棚に保管している物の中からお気に入りの物を選びイヤホンを付け鑑賞を始める。映画の内容は数人の子供達が死体を探しに冒険に出かける物語だ、俺が子供の頃から数えていったい何度見返したかわからないほどに繰り返し観ている作品だ。特に印象的な場面が、夕食としてマシュマロを火で炙っている場面、まだ幼い子供の頃に見た時はまさかマシュマロを火で炙るとは考えず、あの白い食べ物は何なのかと悩んだのが懐かしい。その後それが炙ったマシュマロだと分かり試しに食べてみたが、それまで膨らませた期待を裏切らないものだった。その日は鑑賞中にいつのまにか眠りについてしまった。
朝を知らせるアラームが鳴り響く、朝を知らせる音。今日の柔軟体操をしながら体のコンディションを確かめる。溜まっていた疲労が取れていたので、今日からまた探索に戻る事ができる。朝食を済ませながら今日の予定を考え、いつものように準備を済ませる。扉を開けまたいつものようにマルに先行してもらい安全確認を行う、問題はなくまたいつものように外へ玄関から出ていく。今日も変わらず空には季節外れの照りつく太陽がそこにはある。今日の予定は幾つかある他の拠点の状況確認の予定をしていたが取りやめた。無性に空に近づきたくなり、この町で一番高い場所へ向かうことにした。この町の中心部には田舎には珍しい十五階建てのマンションがあり、非常階段から屋上に上がれるのも検証済みのため、マンションに向かうことにした。
あの日から約一年ほどになる。それからは毎日が激動だった、生まれてから過ごした世界と今、生きるこの世界が同じだとはとても思えないほどに、ついこの前までスイッチ一つで照らしてくれた部屋はいくらスイッチを押しても照らされることはなくなった。蛇口を捻れば水が流れ、街に繰り出せば物で溢れかえっていた。それらを全てを手に入れる為に毎日、労働を延々と続けて誰かが作った紙幣を掻き集めるのに人生の大半を費やした。それがその時代の常識で疑問に思った事も無かったが、今を生きて思ったのは、意外と本当に必要なものなんてものはないと思い知った。いつでも繋がれる魔法のインターネット、互いを監視するスマートフォン、人の代わりを期待されていたロボット。人間は何処を目指していたんだろうか、頭が良くない俺には到底分からない話だ。
あまり町の中心部には足を踏み入れない、資源回収はもっぱら郊外の店で事足りているからだ。あまり通り慣れていない道や景色の中、警戒はいつもよりも一層神経を使う、周囲の警戒にいつもより注意を払えるように今日は乗り捨てられた車の中は覗き見しなかった。
中心部に近づく程に乗り捨てられた車が散乱しているのが目立つ、問題が発生した際には人口が多い場所ほど混乱する。人から人に恐怖や怒りが伝染し一度火が付くと鎮火することは困難を極める。また移動するにも人混みで迅速な行動が出来ない。それらを踏まえれば人口密集地に居を構えるのは控えた方がいいだろう。
乗り捨てられた車を縫うように進みマンションの前に到着した。周囲には特に問題はない。マンションを見上げると玄関が開いたままの部屋がまばらながらあり、急いで家を後にしたのか、物取りが残した痕跡なのか区別はつかない。現代的なオートロックマンションでないため、容易に侵入ができる構造は住人にとっては悩みのタネなのだろうが、侵入者である俺にとっては大助かりだ。ナタを取り出しマンション内に入った、入り口には無数の空のポストが並んでおり、その側にマンション内の案内地図が飾られていた。非常階段は一階の廊下を突き当たりまで進んだ所にあるのを確かめ廊下を見渡す。やはりちらほらと玄関が開いており、念の為にマルを先行させながら進む事にした。俊敏なマルならば何か問題があっても逃げられるのを見越しての判断だ。
ナタを握る手袋の中に汗が滲み出て気持ちが悪い、先行するマルのあとを数メートルほど後ろから追いかけ過様に部屋の中を覗く。特別荒らされた様子は見られない、そのため物取りではなく慌てて部屋を出た住民達が玄関を閉める余裕さえなかったのが目に浮かんだ。問題なく非常階段の前に立つと非常階段の扉も既に開けられている。ここからもマルを先行させて上へと登る。しかしここからは身を隠しながら進む、半分程進んだ辺りで一度休憩を取る。ただでさえ十五階を階段で登るのは辛いのに身を屈めて登るとなると、もう訓練と変わらないほどの強度になり、とてもではないが一気には登れない。ウエストポーチから取り出した水をマルと二人で分け合いながら飲んだ。流石のマルも息を切らしていたので少し長めに休むと決めたので、ポケットのジャーキーをマルに与えると喜んで食べた。マルをその場で休ませ近くの玄関が開いていた一室に入ると、玄関に家族写真が飾られていた。男女の大人が二人、小学生ほどの女の子が二人写っていた。恐らくこの家の住人なのだろう、全員が満面の笑顔で写るその写真を見て俺は部屋を出て休憩を切り上げ、屋上へと向かった。