3.出立(4)
昔テレビで見かけた高校生が競い合う野球の祭典で流されていた様な大きなサイレン音が基地内に響く。別段何か異常事態が発生した訳ではない。管理体制を強めたい基地を牛耳る上層部が急に始めた始業の合図だ。このサイレンが始まってからというもの、それまでの穏やかな朝から一変して騒動前の忙しない朝の出勤風景が基地内には広がった。俺自身はそれを好ましく思っていないが、別段それ自体を否定するつもりはない。規律や規制、規則正しい生活は効率的に秩序をもたらすだろう。だがそれも扱う者達が正常であればこそだ。
一度タガが外れた者たちは自分達を咎め遮る存在がもはやないと分かると、際限なく己たちの思うがままに事を進める。そこにはもはや弱者の意見など挟む余地などない。この管理された環境に対して流石に声を上げる者たちもいた。しかしそれも最初だけで、声を上げた者たちが拘束されるのを目の当たりにした途端その声もすぐに治った。上層部は集団を率いるのに特化している連中だけに、さすがに上手く人を望む方向へと導く。とりわけ自分達に少しでも反抗的な態度をとった人間を、他の者たちの不満の吐口にする手法は流石の一言だ。処分の方法は様々だが大抵は本人及びその親族は奴隷の様な扱いをされるようになる。基本的に奴隷扱いとなった者たちには何をしてもも誰も何も言わない。だから住人の中には奴隷扱いされる人たちを率先して迫害する者たちもいる。
そんな風に意に沿わない者たちの、処分の片棒をここの住人に背負わせる事で、大抵の人間は自分はこうはなりたくない。自分は彼らより優れた存在だ。なんて馬鹿げた考えが湧き出てくる。そしてその環境に慣れたら最後それを当然の日常として受け入れてしまう。残念ながら既に基地内ではそういった空気が漂い始めていた。こうなればいつ脱出組から離反者が出るか分からない。その為、昨夜遅く無勢からの伝令が入り、予定していなかった脱出を急遽行うこととなった。
昨夜遅くから準備した荷物は先発する研究員達の車両に預け、俺たち4人と1匹は無勢の迎えが来るまで、リビングに集まりこの家で食べる最後の朝食を前にしている。
「さぁ、暗い顔しないで食べれる時にお腹いっぱい食べておきなさいよみんな」
静まりかえった室内に、はつらつとしたカリモさんの声が響く。俺たちはそれを皮切りに何気ない会話を交わしながら朝食を食べる。サンドは昨日起こった何気ない日常を話し、カリモさんはそれを微笑んで聞く。ナナシは相変わらず自分の皿から隣で座るマルに食べ物を与え、それを俺に見られているのに気づくと慌てて何事もなかったかの様に装う。そんないつもと変わらない食卓。肉付きのよくなったサンド。まだまだ言葉数は少ないが話せる様になったナナシ。出会った頃とは二人とも大分変わったが、誰よりも変わったのは今この場で心に安らぎを感じている俺自身なのは間違いない。
「みんな。新しい移住先に着くまで大変だが、頑張ってくれ。それと万が一みんなとはぐれても、ちゃんと俺が迎えに行くから心配はいらないからな」
何気なく話した言葉を3人は聞くとそれぞれが俺の顔を見て口角を上げている。それみて無性に身体がくすぐったくなり、妙に顔が火照った。「もう迎えが来るから早く食べて準備しておけよ」それだけ言って自室に向かうと、背後から3人の楽しそうな笑い声が聞こえて顔の火照りはいっそう増した。
部屋に入ってまとめた荷物を確認する。自前のライフル一丁に弾を少々。ナイフはホルダーごと腰に装着していつでも取り出せるようした。あとは念の為、最低限の食料と水。加えて救急セットに幾らかの薬をまとめてリュックに詰めて準備は完了だ。荷物を持ってリビングに戻ると、そこには当たり前の様に朝食を貪る無勢の後ろ姿があったので思わず頭を叩いた。
「痛ってーなぁ。すぐ暴力に頼りすぎだぞ薫ちゃん」
「いくら口で言っても伝わってないみたいだからな。……それで、上手くここを離れられそうか?」
無勢は尚も朝食をとりながら答える。
「まぁうちの隊の車両に遠隔操作出来る爆薬が取り付けられていたが、あんなお粗末な仕事をする奴等だ。きっと大丈夫だろ」
「爆薬付けられといて大丈夫ってことはないだろ。まさかとは思うが、情報が漏れてるなんてことないだろうな?」
「それはないだろ。恐らく付けられていた爆弾は、奴らにとっては何かあった時の保険みたいなものなのさ。そうじゃないなら俺たちを処分出来る大義名分を得て動き出さない連中じゃない」
自信ありげに話す無勢にある疑問を投げかける。
「前から思っていたんだが、なんで上の連中は【ツチノコ】に手出しできないんだ?確かに一騎当千のお前たちを敵に回すのは得策ではないだろうが、大方の戦力を有している奴らにしてみればいくらでも手はありそうに思うんだが」
「いくつか理由はあるが、何より連中には俺たちが必要なんだよ。世界がこんな事になって情報を得ることが、以前にも増して重要度が増している。俺たちの隊は確かに戦闘にも特化しているが、それに並んで諜報活動にも高ている。だから俺たちが集める情報が奴らにも必要なのさ。それにこの基地に居る住人の中には俺たちの隊に助けられた奴も多い。変に手出しをしたら反乱の火種になりかねないからってのもあるだろうな」
思わずため息が出た。どんな状況になっても人間同士が起こすいざこざが、いつも事態を悪化させる。
無勢が食事を終えると全員で表に出た。家の前には車が2台待機している。「それで俺たちはどっちに乗ればいいんだ?」無勢に確認すると、前の大型トラックの荷台にカリモさんとナナシ、マルが乗り後ろの車両に俺とサンド、無勢に運転席で待機している蓮見の4人で乗ると伝えられた。
「……無勢。サンドはトラックに乗せた方がいいだろ?」
「言いたい事は分かってる。出来れば俺もそうしたかったが、基地内の仕事を外す許可が資材収集の護衛でしか下りなかったんだ。だから俺たちと一緒に護衛として乗っておかないと検問で引っかかる」
「だからって俺たちの車両が最終車両だろ?何かあったら——」
つい興奮して無勢に話していると、それをサンドが遮った。
「おっちゃん。ロンゲさんは何も悪くないよ。それに僕もいつまでも子供じゃないんだ。ちゃんとやれるから信用してよ」
真っ直ぐに目を見つめて話すサンドに俺は何も言えなくなり「分かった」とだけ言って荷台に乗ろうとしているカリモさんとナナシの元に行った。
「カリモさん。ナナシの事、お願いします」
「わかってるわかってる。あっ、そうだ。今回は置かれての合流なんてやめてよ?薫君」
「わかってますよ。ナナシ。新しい家までの道案内、大変だろうけど頼んだぞ?」
頭を撫でてそう言うと、ナナシは大きく頷いて「わたし……がんばる」と鼻息を荒くして答えた。最後にマルを抱えて荷台に乗せて頭を一撫でして「二人を頼んだぞ」と言うと優しく一度吠えた。
荷台には他にも多くの人達が乗っており、開けた扉の隙間から差し込んだ光が不安そうな表情を浮かべている人達を照らしていた。
トラックの運転手が荷台の扉を閉めるまでナナシは体の前で小さくいつまでも手を振っていた。扉が閉まったのを確かめて俺は、後続の軍用車に向かうと既に後部座席には無勢とサンドが乗っていたので助手席に乗り込んだ。
「なんでお前が後ろの席なんだよ無勢。検問所もあるしお前が前の方が勝手がいいだろ?」
「それもそうなんだが、俺の姿は極力晒さない方がいいかと思ってな。……実は昨日から脱出組の内の一人と連絡が付かないんだ。もしかしたら何かの理由で拘束されているかもしれない。最悪計画が漏れている可能性もあって急遽脱出を今日にしたんだ」
「何で今になって言うんだ」
「知ってても、知らなくても。やる事は変わらないからだよ。最低限の人間だけがハラハラドキドキしていればいい。蓮見、先発組の状況は?」
耳の片方にイヤホンを付けている蓮見は、通信機らしきものを手にしながら答える。
「ひとまずアリサさん含む先発組は、無事に基地から脱出して今は用意した車両に乗り換えています」
「順調でなによりだ。他に報告すべき事はあるか?」
蓮見はその問いに少し表情を曇らせて答える。
「実は……。アリサさん達先発組が基地を出たすぐ後ぐらいから、本部内に設置している盗聴器からどんどん人の話し声が減っていて。今ではほとんど聞こえないんです」
「……どの部屋の盗聴だ?」
「全ての盗聴器です」
それを聞いた無勢は口元に手を当て考え込んでいる。そうしている内に前方のトラックがゆっくりと発信すると、俺たちの乗る車もそれを追ってゆっくりと走り始めた。




