3.出立(3)
案内された部屋は客間だろう。調度品などはないが部屋の中央に置かれたテーブルには生花が飾れている。部屋を見回しているとアリサさんがインスタントコーヒーをテーブルに用意してくれたので、俺達は備えつけられた椅子に腰を下ろした。
「ところでそこの可愛らしい坊やも一緒に話に参加しても大丈夫なの?」
サンドを見て微笑むアリサさん。俺が口を開くよりも早く無勢が答える。
「いいのいいの。もうこいつも子供じゃないんだし、そろそろ大人の生き方を覚えさせないと」
まるで自分が育てたと言わんばかりに力説する無勢に呆れ半分ながらも、言わんとすることは理解できた。確かにこのまま過保護にし続けてもこれからこの世界で生きるサンドにとって良いことはないだろう。それこそ平和に生きてもらうことを望むのは俺自身の願望でしかない。だがそれでも、サンドが人を撃つことだけは認めるわけにはいかないのだが。
「そう言うことなら早速話を始めましょうか。まず無勢君からお願い」
全員が椅子に着席したのを見計らいアリサさんが切り出すと、無勢は出されたコーヒーに手持ちのウイスキーを注いで一口飲んでから話し始めた。
「まず今回の救助任務に向かって出会った奴らに関して。恐らく以前から話に出ていた【改竄者】で間違いないかと。命を落としかけましたが、薫ちゃんが帯同していたおかげで何とか助かりました。彼らと対峙して分かったのは事前準備なしの状態で遭遇するのは危険。ということです」
「やはりすでに日本各地に改竄者達は散らばっていると考えた方が良さそうね」
会話の合間にサンドが手を挙げて発言する。
「話の途中にすいません。改竄者ってなんなんですか?」
それを聞いたアリサさんから簡易的な説明がされた。全国に散らばった【ツチノコ】の隊員達から異常行動をとる人間の報告が多数されており、秘密裏に基地にその異常行動をとった者の死体を運び込んで調査を行い、その結果例の感染を人為的に改変した形跡が見つかったそうだ。俺にとっても初耳だった。それを聞いたサンドは「何で改竄なんです。普通なら改変とか改悪とかじゃないんですか?」と聞き、これまたその通りだと思った。これにもアリサさんは嫌な顔一つせずに答える。
「特別意味なんてないのよ。ただ遺伝子コードを書き換えた形跡があったから改変じゃなくて改竄にしたってだけよ。それにしても若いのにあなた良いところにきがつくのね。将来は無勢君みたいな切れ者になるんじゃない」
無勢みたいになるのは断固反対だ。反射的に出そうになった言葉を飲み込んだが、サンドはそう言わらてまんざらでもなさそうだ。その様子を見て人心掌握に関しては、無勢の事を認めざる得ない。傷心ではあるがこの機に聞いておかないといけない話があるので重い口を開いた。
「その改竄者達と接触する事で、その改竄されたモノに感染する可能性はないんですか?」
「全てを解明出来たわけじゃないから絶対とは言えないけど、恐らくは大丈夫ね。その辺の実験は勿論済ませているし、そもそも感染するなら既に基地内はパンデミックになってなきゃおかしいもの。それに外部で調査している隊員が誰一人として感染していない事を考えれば、飛沫感染や空気感染する可能性は限りなく低いわ」
この手の専門家であるアリサさんが言うのだから、恐らく感染の可能性は限りなく低いのだろう。だがまだ疑問は残っている。
「誰が何の目的でそんな事を?」
最も単純であるが最も重要な疑問を口に出すと、無勢が代わりに答える。
「目的は今のところ把握できていない。だが『誰が』に関しては大まかにわかってきた。それに奴らには薫ちゃんだってあってるだろ。俺と出会ったあの街で」
端的な物言いだが確かにそれだけで、何のことを指しているのかを理解できた。あの街を拠点にしていた奴らのことだろう。確かにまともじゃない奴等とは思ってはいたがそこまでの活動をしているなんて考えもしなかった。
「なら【ツチノコ】の隊員達はあの街に調査に出向いてるのか?」
「いや。奴らの施設らしき建物はそれこそ日本全国で確認されている。それに奴らにばかり人員を割けるほど【ツチノコ】に隊員は居ない。だが、今回【改竄者】が見つかりその生態を目の当たりにしたからな。報告をあげたら隊長も本格的に調査に乗り出すと言っていた」
今後が心配になる話ばかりで気が滅入る。気分直しに出されたインスタントコーヒーに口をつけたが、さらに俺の気分を落ち込ませた。
「とりあえず今はここを離れることを優先するぞ。使用する車両は【ツチノコ】で所持している装甲車一台に通常装甲の車両一台。あとは街の警察署から運んで近くの森に隠した大型護送車が一台の計三台で移動する。搭乗者の内訳は追って伝える。あと基地から持ち出す物資は必要最低限の物のみ。欲をかいて大量に持ち出すとここに残る連中の恨みを買うことになるからそこは自重するように皆んなに周知してくれ。他に何か気になることはあるか?」
「目的地までのルートは既に決まってるのか?」
「大まかには決めてはいるが、問題が発生すればその都度変更することになる。できるだけ安全を確認できているルートを通る予定だが、そう簡単にはいかないだろうな」
無勢は渋い顔でため息を吐く。その様子を見たサンドが俺に目配せをして何度か小さく頷いた。それを確認してから俺は話を始めた。
「今から話すことは他言無用で頼みたいんだが。大丈夫か?」
それを聞いた無勢とアリサさんは小さく頷いた。
「結論を先に話すと恐らくだが、ある方法を用いれば安全に目的地の島まで移動することができる。と思われる」
「何だその『思われる』ってのは。まさか薫ちゃんが乗ってきたセスナの翼にみんなで捕まって飛んでいく。なんてリアルドリームプランでいくんじゃないだろうな」
無勢が話を遮り茶化すが、気にせずに話を続ける。
「まず第一に俺自身はそれを経験していない。——だが、ここにいるサンドとカリモさんは実際に体験している」
「何だその謎かけみたいな話は。本当にそんな方法があるなら早く言え」
「恐らく信じられないだろうが。……ナナシだ」
それを聞いた無勢の反応はまさに「はぁ?」といったものでアリサさんに至っては反応すら見せない。
「言いたいことはわかるが本当なんだ。まず第一にナナシ達は奴らが占拠する街を通って俺が住む町にまでやって来たんだ。あの街を知っている無勢ならそれが難しいってのは分かるだろ?」
「まぁ確かに素人が通るのは簡単ではないな。だが偶然が重なれば有り得ない話でもないだろ?」
「こいつらは東京からあの街まで何事もなく来たんだぞ?そしてあの街からここまでも無事に辿り着いたんだ。その全てが偶然ってありえるか?」
無勢は一瞬驚いたあと「それはないな」と短く答えた。
「有り得ないと思うだろうが、ナナシにルートを選ばせるのが一番安全に目的地に着ける手段だと思う」
「私はその案に賛成ね。何も目に見えるモノだけが信用に値する。なんてこともないでしょ」
アリサさんが微笑んで賛成すると、頭を掻きながら無勢が話す。
「それを研究者のあなたがいいますか?」
「研究者だから言うのよ。私達はそういった確証のないモノを研究するのだから」
「わかりました。わかりましたよ。俺はそういうオカルト的なモノは信じてないですけど、他ならぬ薫ちゃんが提案してアリサさんがそれを受け入れるのなら俺も信じてみますよ。……だけど俺がそんなオカルトに作戦を預けたってことは向こうに着いても絶対に隊長に言わないでくださいよ?もしもバレたら叱責程度じゃ済まないですからね」
「あら。良いんじゃない?たまにはカミナリ落としてもらわないとあなたずっと調子に乗り続けるでしょ」
アリサさんにそう言われると無勢は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて反論できずに口籠った。俺とサンドはその姿を見て妙に可笑しくなり、堪えきれない笑いが口から溢れ出すとそれに気づいた無勢は更にヘソを曲げた。
こんな風に他愛なく笑える日々が続く事を俺が望む。そんな日が来るなんてマルと二人で過ごしていた時には考えもしなかった。




