1.ニューライフ(4)
時計のアラームが耳を刺激する。一日の始まりの音だ。そばに置いているランタンの光量を上げて部屋を照らす。隣で寝ているマルの耳はアラーム音に反応はしているが、まだ身体を起こしそうにない。時計が午前六時を表示しているのを確認し、アラームを止める。大きな欠伸が一つ。
ルール第三、早寝早起き
まだ寝ていたい気持ちは大いにあるが、規則正しくない生活は全てにおいて破綻を招きかねない。一人暮らしを始めたばかりの若者が、自由な生活で不規則になりがちなのがいい見本だ。そんな若者達にも学校や、仕事など決まった時間にしなければならない事があり一定の規則性がある。もしもそれが無い環境になれば破滅へ一直線なのは想像に難くない。
朝、起床したらまずはゆっくりと時間をかけて、柔軟体操するのが日課となっている。若い頃は好き勝手に身体を使っていても特に問題を感じる事なく生活が出来ていたが、歳をとるにつれてガタが出始める。それを無視して無茶苦茶な生活をしようものならニ、三日身体を動かせなくなるなんて事もあり得るのだ。なので常日頃から入念にメンテナンスを怠らない、いついかなる時にも全力疾走ができるように。
柔軟体操のおかげですっかり目が覚めた。昨日の探索の疲れを少し、心配していたが身体に特に問題は感じられずに一安心だ。そろそろ朝食の準備をするかと、棚へ向かうと後ろからエサ入れを咥えたマルがついてくる。
「おはよう、お前もいい性格しているな」
自分用の朝食に棚から食べかけのカンパンの袋を出した。マルにはお気に入りではない普通のドックフードを入れる、すると恨めしそうにエサ入れをじっと見つめ続けた。
「期限が切れそうなんだよ、観念してこっちから食べろ。…よしっ」
合図と共に食べはしたが昨夜ほどの勢いはない。後でジャーキーでも与えて機嫌を取るとするか。
カンパンを食べながら今日の予定について考える。口の中の水分の大半をカンパンが奪うのを水で胃に流し込む。そばに置いたホルダーからナタを抜き出し刃こぼれがないかを確かめた、一通り見終わるとホルダーに戻し、機嫌が悪いマルを一撫で。
片付けを終えると出発の準備をする。ズボンは緑のカーゴパンツ、使い勝手がよく大量ストックしている為、ほとんどズボンはいつも同じだ、上には生地がしっかりとしたジージャンを選んだ。誰かに見せる訳ではないが、吟味した服に袖を通すと少し心が躍る。
今日はマルにも軍用のハーネスを取り付け、荷物を運びながらの移動訓練も兼ねて出かける。今までにも何度も付けている為、嫌がる事なく装着できた。荷物に水三リットルとマルのおやつのジャーキーを持たせた。そしてライフルを肩に、ナタを入れたホルダーを腰に。ゴーグルと防毒マスクを付ければ準備万端だ。階段を上がり床下扉を開けいつものように、マルを先行させ安全確認をさせた。今日も問題はない様だ。洗面器に溜めた生活用水を用水路へ流す。洗面器を地下室に戻して、昨日荷物運びに使った台車を持ち出してから移動を開始した。
この町は四方を山に囲まれており、隣の街へと通じる道は四方の内の一方向に二本だけ、辺鄙な場所に位置している。しかし、町には製造工場が多数点在しており住民の数は少なくなかった。二十四時間、稼動の工場が大多数を占めており、街から外れたこの町の立地は騒音対策にそれほど気を使わずに済む為、重宝されていたのだろう。勿論元からこの町に住人も少なくは無かったが、大勢の人がこの町に流れてくればそれだけ町が潤うことを理解していた。それもあり住民からの苦情はほとんど出なかった。おかげでこの町はその特需を求めて店が集まった。必要なもの、必要でないもの大抵の物は揃っている。かくいう俺もその影響で集まった人の一人でしかないのだが。
この町へはおおよそ三年ほど前に移り住んだ。勿論仕事があるから来たのだが、決定打はじいちゃんの知り合いの葉山さんがこの町に居るからだった。まだ狩を始めて間もない頃、よくじいちゃんと葉山さんに連れられて狩に行っては罵倒された。罵倒と言えば聞こえは悪いが、銃を持つ人はこの国では稀だ、扱いには相当な神経を使う、使えなければ持つ資格すらないのだ。何せ、すいません間違えました。が生命に直結するのだ、罵倒されようと、殴られようと、そんな事は大した事ではない。間違いを犯すなこれが大前提なのだから。
しかし、狩を離れた葉山さんには本当に可愛がってもらった。今から向う目的地は、その葉山さんが住んでいた家だ。葉山さんの家は隣の街に面する山頂にある。なぜ反対側の山じゃなくて街側なのか一度、葉山さんに聞いた事があった。
「葉山さん、なんでわざわざ街側の山に家を建てたんだい?どうせ葉山さんは死ぬまで狩をするだろうから反対側の山が深い所に家を建てればよかったのに」
俺の問いかけに対する回答は単純明快だった。
「景色が綺麗だから」
それを聞いた時、俺は当然ながら、普段、仏頂面のじいちゃんまで笑っていた。
歩いて向かうには中々に遠い。山の麓に来るのも一苦労だ、マルはまだまだ余裕がある。台車に何も積んでいないのが唯一の救いだ。
「お前はまだまだ若いな」
ようやく葉山さんの家へと通じる、唯一の山への入り口についた。車一台が通れる程の道幅だ、車のすれ違いは絶対にできない道幅だがこの道から先は葉山さんの家以外何もない為、特に不便もしなかったのだろう。まぁ家を訪れる際は事前連絡が必須ではあったのだが。入り口に仕掛けたトラップを確認する。トラップの作り方は至って簡単、まずはチューイングガムを二、三個口に入れて甘味を堪能する。そして程よく味がなくなったら、それを適当な大きさに千切り山の入り口に適当に配置する。その上にシャープペンシルの芯をくっつける、芯は細ければ細いほど見つかりにくい、仕上げに落ち葉を乗せてカモフラージュすれば完成だ。確実ではないが芯が折れていれば疑いを持つ材料にはなる。そのすぐ先にピアノ線を足元には張る、しかしこれは引っかかると取れる様に結び付けておく。ダメージを与えるのが目的ではなく、侵入されたか否かの確認用だからだ。
マルを待たせて仕掛けを確認するがどちらにも異常はない。台車をトラップの先まで抱えて運ぶ。次はマルの元に戻り今度は背中に背負って先まで運んだ。マルの吐息が顔に当たり暑さに拍車がかかる。息を整えるのもそこそこに山頂目指して歩を進める、コンクリートで舗装された道ではなく、土の地面を均した道を台車で進むとガタガタと揺れ続ける。しかし、マルには嬉しいだろう、コンクリートとは違い熱を溜め込まない土の地面を歩くマルは心なしか軽やかに見える。延々と続く悪路を歩くこと約一時間、ようやく葉山さんの家に着いた。
この家の周辺にも入り口と同じトラップを仕掛けている。またマルを待たせて、それらを確認して回る。入り口と違い広範囲に仕掛けているので確認に時間を要する。三十分ほどでようやくすべてのトラップの確認を終えた。葉山さんの家はあの日、後にした時と特に変わりなくそこに建っていた。カーゴパンツに付いている大きめのポケットから鍵を取り出し玄関の鍵を開ける。マルの足をタオルで拭き、念の為マルを先行させて安全確認を行うが、やはりその心配は杞憂に終わった。問題がない事が確認出来たのでマルに付けたハーネスを外し辺りを自由に走らせ、俺は戻る。拠点でさえあまり脱ぐ事がないコンバットブーツだが気心知れた仲とはいえ、知った人の家に土足で上がり込む勇気は俺には無かった。玄関に座りコンバットブーツを脱ぐ、やはり蒸れて臭い足をウエストポーチから出した除菌シートで、これでもかと入念に拭き。数少ないブーツを脱ぐ機会だからと外の日の当たる場所でブーツを天日干しする。中に戻りリビングの棚に並べられたウイスキーコレクションから俺が好きな《ジョニーの歩行者の青い名札》を取り出しグラスに注ぎソファではなく一人用のチェアーに腰を下ろし息を吐く。三人で酒を飲む時の俺の指定席だ。ソファにはじいちゃんと葉山さんが、俺はこの椅子に座る。俺に気を利かせた葉山さんの奥さんがこれでもかと、盛り沢山の料理をテーブルへ並べて皆んなで遅くまで飲み明かした。
グラスを回し香りを楽しみ、一口。やはり美味い。
この酒を無断で飲んだのがバレたらきっと大目玉を食らうだろう、その時は新しい酒を買ってきて謝るとしよう。