1.新境地(3)
今日もまた布団に潜り込んだナナシとマルを起こさない様にそっと布団から出る。これで三日連続だ。大きく欠伸をしてリビングに降りると既にサンドが起きてコーヒー豆を挽いていた。朝の挨拶をして俺は日課の柔軟をしながらサンドに話しかけた。
「早いな。何か用事か?」
サンドはコンロの前でヤカンの水が沸騰するのを待ちながら答えた。
「まぁね。ところで今日なんだけど、おっちゃんに付き合ってもらいたい場所があるんだ。時間ある?」
まだ報告の期限まで四日あるので無理に今日から偵察に出かけなくてもいいので時間は取れそうだ。
「別に時間は取れるが、何か用事か?」
「射撃練習するから付き合ってよ」
サンドの誘いは俺にとってもちょうど良かった。渡されたばかりのハンドガンの試し撃ちを、出発までにしておきたかったからだ。なのでサンドには二つ返事で承知した旨を伝えた。
朝食を食べ、準備を済ませて俺とサンドは一足先に射撃場に向かう為に家を出た。表に出ると空には薄い雲が一面に広がっているのでサンドに声をかけた。
「傘って家に置いてるのか?」
「あるけど、射撃場の建物にもあるはずだから大丈夫だと思うよ」
「そうなのか。……射撃場にはよく行くのか?」
サンドは俺に顔を向けて不敵に笑った。
「たまにロンゲさんに連れられて行くぐらいだよ。それよりもあの約束って覚えてる?」
「いや、悪いが覚えてないな。何の約束だ?」
「帰って来たら射撃で勝負するって約束だよ」
確かに以前あの町を脱出する前に約束していたのを今思い出した。
「してたな、そう言えば。今からその勝負をするのか?それはまたどうして急に」
「ロンゲさんに呼ばれたのって何か頼まれ事されたんでしょ?……僕が勝ったら手伝わせてよ」
元々の地頭の良さに加えて洞察力に磨きがかかってきたサンドには、今後嘘や隠し事が通用しそうにない。
「……勝てたらな」
約束した手前、無碍に断れずに仕方なく勝負を引き受けたが、どうなることか。実弾を使ってのサンドの射撃は見たことがないが、元々の才能に加えて、恐らく無勢に射撃の指導をされている事を考えれば決して侮ることができないのは分かりきっている。俺は前を歩くサンドに気づかれない様にそっと肩に担いだアサルトライフルを手に持ち替え、予習の意味も込めて何度もスコープを覗いては標準を合わせてを繰り返して手を馴染ませた。
サンドの後ろについて十分ほど歩くと滑走路横にある射撃場に到着した。
「遅かったな二人とも」
声の主を探すと射撃場のそばの喫煙スペースで、タバコを吹かしていた無勢がタバコを灰皿に捨ててこちらに向かい歩いて来た。
「何でお前がいるんだ?」
「何でって、サンドが射撃場を使う時はいつも俺が一緒に来て監視してるからだ。だがまぁ今日は面白いものが見れると思って、ついつい早く着きすぎたがな」
サンドは準備をすると言って先に射撃場に入って行った。それの後ろ姿を無勢と二人で見ながら俺は話しかけた。
「面白いねぇ……。お前から見てあいつの腕前はどうなんだ?」
「敵に塩は送れないな。それに気になるなら、自分の目で確かめたらいいだろ」
「いつから俺は敵になったんだか」
射撃場に入り、辺りを見回すと先に入ったサンドが既に俺のお下がりのライフルを使って射撃練習を開始していた。射撃場は発砲場所には屋根があったがその先、標的までの間は野外になっており雨風などの天候の影響も加味しなければならずより実践的な射撃が出来る作りになっている。
少しサンドの射撃の様子を見ていると、淡々と一定のリズムで撃つ乾いた発砲音が耳に届き心地良くさえ思えた。隣で双眼鏡を構えてサンドの射撃を観ていた無勢が、俺にその双眼鏡を押し付けて観てみろと促してくるので渋々レンズを覗くと、標的の紙に描かれた何重もの円の中央部分に複数の着弾跡が見られる。
「無勢。……距離は三百メートルか?」
「そうだ。さっき腕前を聞いたよな?ご覧の通りだ」
想像以上の腕前だった。あまりに正確な射撃に身体に鳥肌が立つほどだ。得意げに笑う無勢に続けて質問をした。
「お前が教えたのか?」
「いや、俺は教えてない。と言うよりも撃たせたその日には既に遠距離射撃は俺よりも上手かったからな。……そう言えば俺の部隊の凄腕の狙撃手が何度かアドバイスはしていたな」
「何度かアドバイス、か。才能の塊だな」
「だな。幾ら訓練しようと手に入らない天性の感覚を持っているんだろうな」
非常にまずい。今見ただけでも恐らく俺と同等か、それ以上の狙撃能力を有しているのがわかってしまった。戦闘であればまだやりようは幾らでもあるのだが、いかんせん的当てに限れば負ける可能性も大いにある。
「ちなみに遠距離射撃以外はどうなんだ?」
「まぁ良く言って並だな。若いが身体能力自体はそれほど高くない、それもあって近接戦は向いてないがな。だが、それを補って余りある射撃能力がある。完全に狙撃手特化型だ」
「射程距離は?何処までなら信用できる?」
「信用できるかはわからんが、俺が確認しているのはサンドに渡しているTAC338で撃たせた約千二百メートル射撃だな」
「……勿論、観測手は居たんだよな?」
もしも狙撃に必要な計算を担う観測手無しで、千二百メートルもの遠距離射撃を成功させたとなればそれはもう化け物どころの話ではない。
「あぁ、観測手は居た。ただ千メートルまでならどんな環境でも観測手無しで問題はないはずだ」
「……化け物だな」
「化け物だ」
「……それと話は変わるがサンドに渡したって言うTAC338なんて、自衛隊は保有してないんじゃないのか?」
「薫ちゃん知ってるか?特殊部隊の特の字は特別の特だってこと」
これ以上の問いは無意味だろうと思いそこで話は終わらせた。そんな事をしていると射撃を終えたサンドが標的の紙を持って近寄ってきて自慢気に俺の前にかざした。
「なかなかやるでしょ僕。おっちゃんもウォーミングアップする?」
中々に生意気なサンドではあるが、ここは大人らしく余裕を持った振る舞いを貫くことにした。ウォーミングアップなんて必要ない、早速始めよう。そう伝える為に口を開いた。
「そうだな。久々だからちょっと練習するかな。まぁ久々に撃つから調子が出るかはわからないがな。何せ久々だからな」
射撃が終わり、帰り支度を済ませて出入り口に向かうと、予想した通り、雨が降っている。空を眺める俺の背後から無勢とサンドが近づいてきた。とりわけ無勢は意気揚々と弾けた声で会話をしている。
「いやーー、また腕を上げたんじゃないかサンド。何せ師匠に勝っちゃうぐらいなんだからな」
「ろ、ロンゲさん。たまたまです、たまたま。それに一発の差ですから」
「いやいや、この穴なんて同じ所を弾が通ってるんだぞ?ワンホールショットだぞ?大きな一発差だなこりゃーー」
謙遜し続けるサンドの爪の垢を爪ごと全て無勢に飲ませたとしてもこの男の性格が改善される事は無さそうだ。確かに負けはしたが、たかだか一発差ならいい方だ。なにせこの化け物とやり合ったのだから。
「無勢、それほど馬鹿にするからには、今度はお前がサンドと勝負するんだよな?そりゃあ厳しい訓練を乗り越えた特殊部隊員の無勢様だ、それはそれは素晴らしい射撃を見せてくれる筈だぞサンド」
「えっ……?」
目が点になっている無勢に追い討ちを掛けるべく、畳みかける様に話す。
「でも何も賭けないんじゃ面白みがない。万が一サンドが勝ったら何かご褒美を貰わないとな。それも何かスペシャルなやつだ、サンド今から考えておけよ?」
「お、俺が勝ったらどうするんだ?」
「えっ?何も無いに決まってるだろ?お前は特殊部隊の隊員でサンドはただの二十歳そこらの唯の一般人だぞ?それとも勝つ自信がないのか?」
口をパクパクさせて言葉が出ない無勢をサンドと二人で面白おかしく眺めた。そして諦めたのか吹っ切れたのか肩を落とした無勢は、出入り口に置いてある傘立てから出した傘を、開いて差すと強く降る雨の中に出た。
「やってやるよ。だがまた今度だ。特殊部隊の隊員の力を見せてやるからな。それと話は変わるが、明日出かける前にちゃんと部屋に顔出せよ」
俺とサンドが笑いながら、わかったと答えると無勢は振り返り自分の持ち場へと歩いて帰り始めたのだが、その背中は随分と小さく丸まっていた。それを見て俺はまた大きな声を出して笑った。こんなに笑うのは本当に久しぶりだった。
そして家に帰ろうと傘立てを見たが、残りの傘が一本しか無かったので、仕方なく二人で一緒に一本の傘に入り帰路についた。
「サンド、本当に射撃が上手くなったな。驚いたよ」
「まぁね。これでも結構頑張ったんだよ。……次に何かあったらおっちゃんの力になれるように、さ」
照れくさそうに、はにかむサンドが雨に濡れない様に、少し傘をサンドの方に傾けた。気づかれない様にほんの少しだけ。




