3.観戦者(9)
工場を出てからはロンゲが先頭を進み、後ろから俺とマルが付いて行った。アサルトライフを構えながら周囲を警戒して進むロンゲのその姿は熟練の兵士のそれだった。おかげで俺とマルは後方の警戒に注力する事ができた。中学校までの道筋は大通りは使わずに小道や建物が建つ敷地内を突っ切って進んだ。奴らの拠点周辺にも関わらずトラップの類の物は一つも見つけられないことから、奴らは自分達が襲撃される可能性をそれほど考慮していないと感じ取れた。中学校の敷地に着くとロンゲは手で合図を出して物陰に俺たちを誘導した。
「ここからは物音一つが命取りだから気をつけろ。あと俺が先導して最悪の場合は相手を排除するがそれは最後の手段だ。万が一俺が対応出来ない時はお前がそれをしなくちゃいけないが、……その覚悟はあるのか?」
「今更だな。その心配は要らない。必要なら俺は躊躇しないからな」
決して強がりではなかった。我ながら狂っていると思うが、長年の狩を通じて命を奪うといった行為が一般人に比べて身近にあるからなのか、それとも生来俺が持ち合わせた物なのかは分からないが、自分でも怖いほどにそれを行える核心があった。
「ならその言葉を信じるとするよ。だがあくまでも最後の手段だ、最後の。」
「その言葉は昨日俺も言った事だろ?ちゃんと分かってるから心配するな」
ロンゲは一瞬微笑み直ぐに表情を元に戻した。そして敷地内を目指して進みはじめた。グラウンドに置かれていたトラックは全てが外に出ているそれもありグラウンドを横切るには身を隠す場所がない。それもありロンゲは大回りをして校舎の近くから行うようだ。
校舎の側には流石に数人の武装した奴らが周囲をパトロールしていた。だが見たところ今まで問題が起きた事がないせいか、惰性でただ校舎の周りを歩きまわる程度だった。段差に腰掛けタバコを咥えて宙を見つめている奴さえいた。おかげで難なく敷地内に侵入する事ができた。ロンゲは迷う事なく辺りを警戒しながらも進んで行く、目的の場所に差し掛かったのか、手で俺たちに止まるように合図を送るとそれまで低く保っていた姿勢を解いて、校内の一室を確認した。人の気配はなかったようでロンゲは頻りに鍵が掛かった窓ガラスを上下左右にこねくるように動かすと鍵が少しずつ動き気づけば窓が空いていた。どうやら古い窓には錆や汚れで引っ掛かりができる為、窓をずらす事で鍵が開くようだ。
ロンゲが先に部屋の中に入り周囲の確認を行い、俺とマルもそのあとに続いて侵入した。部屋には使われていない机や教卓が所狭しと高く積み上げられており、廊下側の窓の前も塞がっていた。入って来た窓を閉めると、まずマルの耳が反応して俺の足を鼻で小突いた。続けてロンゲがその場に腰を下ろし口の前に指を立てると廊下から小走りする足音と声が聞こえて来た。
「――博士。Aグループの検査結果が出ました。しかし、残念ながら望んでいた数値に達していた被験者は出ていません。更なる投与を行いますか?」
「いえ、結構です。これ以上いくら投与量を増やした所で結果は変わらないでしょうから。」
「ではAグループはどうすればいいですか?」
「どうすればいい?……あなたいつからここにいるの?役に立たなくなったのなら処分するに決まってるでしょ」
驚いたことに日本語での会話が耳に届いた。しかもその内容はあまり宜しいものではなかった。日本語で話したからと言って日本人と決まってはいないのだが、普通に考えれば日本人もいると考えた方が自然ではあった。そうであれば、奴らの中には日本人も居てこの事態に陥った一因を担っていたのかと考えると強い憤りを感じた。特段愛国心がある訳でも正義感がある訳でもなく、ただ純粋に多くの人から平穏な日常を奪った奴らの中に同じ国から生まれた者が混ざっているのが許せなかっただけだ。
次第に話声が遠のき奴らが離れていったことがわかった。それを見計らいロンゲは積み上げられた机などを使って天板を外して天井裏へと入って行った。流石にマルを天井裏に上がらせる訳もいかずそのまま部屋で待機する様に言いつけてロンゲの後を追う。天井裏はカビの匂いが充満していたが気にせず進むロンゲの後を付いて行った。所々に出来た隙間から漏れてくる光のおかげで思いの外視野は確保できた。
目的の部屋に着いたのかロンゲは止まると部屋の様子を伺っている。少しすると天板を外して下に降りた。手で降りてこいと合図を出されて従って俺も室内に侵入した。部屋には人はおらず多くの衣服やカバンなどが乱雑に積み上げて置かれていた。
「ここは?」
「捕まった人たちが身につけていた物だ。俺の服や装備もあるから少し待て」
小声で話すとロンゲは積み上げられた衣服や荷物から自分の物と思しき物を次々に引っ張り出して着替え始めた。その間俺は廊下側の扉に耳を押し当てて足音が近づかないか見張りをしている。
「もういいぞ」
ロンゲの声で顔を向けるとそこには全身黒色の軍用戦闘服に身を包み、顔にはフェイスマスクを被ったロンゲが立っていた。
「馬子にも衣装だな」
「余計なお世話だ」
会話を終えるとロンゲは近くに転がっていたミリタリーバッグを開けて中から手鏡を取り出した。どうやらバッグもロンゲの物の様だ。バッグを背負いロンゲは廊下側の扉に向かうと手鏡を使い廊下に人がいないか確認している。俺は小声で疑問を口にした。
「天井裏から進まないのか?長い廊下を歩いていたら隠れる場所が無いぞ」
「そんな事はわかってる。校内にはこの時間見回りの類はないから心配するな。それにこの区域は普段使われてないから人通りもないんだよ。それぐらい調査済みだ」
廊下に出たロンゲの後を姿勢を低くして付いていく。だがすぐにロンゲの足が止まった。ロンゲは立ち止まり校舎の中央に位置する中庭に目を向け固まっている。
「おい、どうした?こんな所で立ち止まってたら流石に見つかるぞ」
ロンゲは声に反応したように一瞬身体をビクつかせた。
「……ぁあ。状況終了だ」
力無い返事に加えて突然の終わりに疑問を感じてロンゲが見つめる視線の先に目を移すと、中庭に植えられた木からバスケットボール程の大きさの物が幾つかぶら下がっている。
「何が吊るされてるんだ?」
返答が無いのを疑問に思いよくよく目を凝らしてそれを見たらようやくそれが何かを理解し、俺は直ぐに今ロンゲに対して、考え無しに吐き出した言葉を猛省した。それは首から下を失った人の頭だ。恐る恐る中庭側の窓を覗くと首が吊るされている木の根元には、首から上を失った体が首の数の分だけ転がっている。転がった体のあちこちに切り傷や、欠損、火傷の痕らしきものまでついていた。
「あれで全員なのか?」
「そうだ」
その言葉だけを口から絞り出すとロンゲはきびつを返して部屋に戻り来た道を引き返した。力無い背中を見つめて俺は黙って後ろからただ追いかけるしかなかった。
沈黙を貫き奴らの拠点である中学校を後にした。相変わらず黙々と歩を進めるロンゲの後を俺とマルは付いていく。あまりに長い沈黙に冷静さを失っていないかの疑念も生じていた。奴らの拠点を離れて既に三十分は経ち、流石に痺れを切らした俺はロンゲの肩を掴み引き止めた。
「気持ちは分かる。なんてありふれた言葉は吐けないが、取り敢えず冷静になれ。あんたまで奴らにやられたんじゃ殺された仲間も浮かばれやしない」
「……俺があいつらをそそのかして一緒に脱獄させたんだ。その結果があんな有様なんてな」
「何もしないで居てもいつかは殺されてただろ。仕方が無いなんて言えないがやるべき事をやった結果だ。それは受け止めて前に進め」
歩みを止めるために置いた手に身体の小刻みな震えが伝わってくる。
「そうだな。素人に慰められるなんて恥もいいとこだ。悪かったな」
「気にするな。それよりこれからどうするつもりだ?」
ロンゲは腰に手を当て少しの間空を見上げて気持ちを落ち着かせている様に見える。それが終わると手で目を拭い振り返った。
「お前を信用して話す。俺はこの後、部隊が待機している筈の本州最北の基地に帰還する」
「誰かの部隊は襲撃されたって話だったが生き残っているのか?」
「それは間違いないはずだ。何せ部隊を退却させる為に俺が囮になったんだからな。それに基地に戻れば俺たちの特殊部隊とは別に、表立っての戦力である主力部隊が待機している基地はそう簡単には落とせはしない。よかったらお前とマルも一緒に行かないか?」
「それならよかった。だがその申し出は有難いが一緒には行かない。俺は集団には向いていないからな」
「そう言うと思ったが一応な。だが気が変わって来るならいつでも歓迎する。お前には大きな借りがあるしな。まず一つ借りを返しておく」
そう言うとロンゲはバッグの中から出したメモに何かを書き込み同じバッグから取り出したスキットルと一緒に手渡してきた。
「その紙に基地の場所を書いてある。秘密裏に国が作った基地だから地図には載っていない。その紙を無くすなよ」
「紙は分かったがスキットルはなんだ?」
「それは酒の礼だ。……そろそろ俺は行くとするか。あと最後になっちまったが、俺の名前は無勢 清御だ。お互いまた生きて会おう」
振り返らずに手を振って別れを告げる無勢。俺はリュックの中を漁り酒の入った小瓶と双眼鏡を取り出して呼び止めた。振り返った無勢にその両方を投げて渡すと見事に両方とも手で受け止めた。
「その双眼鏡は大事な形見だ。その内に取りに行くから預かっとけ。それと酒は選別だ持って行け」
無勢は受け取った二つを持ち上げ手を振って見せる。
「それと最後に、……俺の名前は――――だ。また会う日まで達者でな」
「なるほどな。お前さんが名前を教えなかった意味がわかったよ。またな」
高笑いしながら去って行く無勢を見て、その後やはり名前を名乗るべきではなかったかと一抹の後悔が尾を引いた。




