3.観戦者(3)
奴らが拠点に使っている中学校から一キロほど離れた高台に奴らの拠点を監視するのにちょうどいい古びた五階建のビルが立っている。外には非常階段がついており手間なく屋上に上がる事ができた。反射防止がついた単眼鏡だがさらに布でレンズを覆い、念入りに光が反射していないか目視で確認する。ビルの屋上の囲いのコンクリートには模様を模した穴が空いており身を隠したままその穴から単眼鏡で敷地内を覗いた。
中学校の敷地を囲むフェンスには有刺鉄線が巻かれておりグラウンドには複数台のトラックが並べられている。その内の一台にフェイスマスクやサングラスで顔を隠した奴らが集まりトラックから荷物を運び出して校舎の中に運び入れていた。前に見た時とは違い校舎の窓には板が打ち付けられていて内部を見ることはできない。したがってこのまま侵入した場合には以前目にした部屋の配置を頼りに捜索しなくてはいけなくなった。しかしさすがにそれは現実的ではない、奴らの人数すら把握できていない現状ではとても潜入などできないだろう。今数えられる範囲でもすでに二十人を超える人数が敷地内を行き来している。全員がアサルトライフルのAKやショットガンを肩から下げており正面突破は現実的ではない。だがそれを確認できただけでも監視に来た意味はあった。あそこからカリモさんを助け出すには様々なリスクを背負う覚悟が必要だということが分かったからだ。
ホテルのベッドに仰向けに寝転がり、持参したカンパンを口に運びながら明日からの対策を練る。単に潜入して救出、言葉にすれば簡単だ。しかし大人数で校舎を占拠する奴らが拠点を手薄にするとは考えにくい、なのである程度大胆な行動も必要になりそうだ。正直、つい先日までマルと二人で、ただ自分たちが生きる為に過ごした日々とは違い、目まぐるしく変化するこの毎日に少し嫌気も感じている。だが同時に温もりのないカンパンを一人で食べていると味気なく感じ、帰ってみんなと食事をする光景を浮かべている自分もいる。
果たして自分で決めたルールをどこまで破ってリスクを取るべきか。この日は答えを出せずに眠りについた。
町役場程近い住宅街の肩にスリングライフルを担ぎ、目にはゴーグル、口には防毒マスク、そして手にはポリタンクを持っていた。サンドは身を隠しながら腰を低くして移動している。住宅が何軒も並んでおり、住民が姿を消したせいで手入れをしなくなった庭は、どの家も雑草や剪定していない植物が生い茂っていた。サンドは辺りを警戒しながらその内の一軒の敷地に入り、通りから見えない家の裏手に回った。
雨水の回収の為に、エアコンの室外機で周りから見えない様に、隠して設置しておいたポリタンクを持参した空のポリタンクと差し替える。回収したポリタンクの雨水は少量しか入っていなかった。サンドは浅いため息をつき、隣接する隣の家の低い柵を乗り越えて、もう一つ設置しているポリタンクから先ほどのポリタンクに注ぎ足した。昨日はパラついた雨しか降っていなかったこともあり注ぎ足してもたいした量にはならなかった。サンドは雨水を集めたポリタンクの蓋を閉めると近くの室外機を椅子代わりに腰を下ろしす。
背負ったリュックを下ろし中から水を取り出し傍に置いて、マスクとゴーグルをはずした。サンドは住宅に囲まれた隙間から見える、雲がまばらに散らばる空を少しの間静観した。不意に我に返ったのか取り出した水をいくらか飲み、すぐにマスクとゴーグルを付け移動の準備に取り掛かった。
住宅から通りの道に出たサンドは一貫して低い姿勢での移動を続け教えられた事を忠実に守っていた。移動中にも頻繁に首を振り周囲を警戒している。雨水が入ったポリタンクを少し重たそうに持ち運びサンドは帰路についた。
町役場の地下に戻るとナナシとマルがサンドを出迎える。サンドはトイレのタンクに雨水を入れて空になったポリタンクを部屋の隅に置いた。そしてマスクやゴーグル、スリングライフルなどをサンドの物をまとめている棚に戻した。
「お腹すいたな。ナナシ、夕飯は蕎麦にしようと思ってるんだけどいいかな?」
部屋に干した洗濯物を集めるナナシはサンドに顔を向け笑顔で頷いた。マルはあちこちに干した洗濯物を集めるナナシの後をついて周り片時も離れずナナシの側にいる。まるで指示された事を忠実に守るように。
夕飯の時刻になりテーブルにはサンドが作ったショウガ入りのかけ蕎麦が三人分並べられており、ナナシの側に置かれた餌入れにはマルが二番目に好きな餌が入れらている。サンドに呼ばれてそれぞれの場所に座り二人は手を合わせた。
「頂きます。さぁ食べよう。今日は何とショウガ入りなんだ。たまたま前を通った家の庭に畑があって、驚いたことに枯れてないのが一握り分だけあったんだよ」
美味しそうに蕎麦を啜るナナシを見つめた。そして、誰も座っていない場所に置かれた蕎麦に、目を落とすお一抹の不安を帯びた表情を一瞬垣間見せたが、ハッとしてすぐにいつも通りの和かな顔で自分の器に入った蕎麦を黙々と啜る。下から見上げるマルは二人が食事に口をつけたのを確かめると、ようやく自分の食事を始めた。
ランタンの灯りに照らされた部屋には麺を啜る音と餌を頬張るマルの吐息だけが静かに響いていた。
今日はアラームの音で目を覚ました。近頃はアラームよりも先に目覚める事が多くなっていたので久々の事だった。日課の柔軟体操に朝食を済ませて出かける支度を済ませる。朝食には昨日の夜、食べ残しておいたカンパンを食べた。朝食に不満などないが、いかんせんコーヒーが飲めないせいもありイマイチ、頭が目覚めていない。その為、追加でラジオ体操を行い身体の血流を促進した。長年聞いていなかったはずの、ラジオ体操の音楽が脳内に流れる。小学生時代の夏休み、近所の神社で朝早くから足繁く通い皆勤賞まで貰った成果であり賜物だろう。
ラジオ体操が終わる頃には程よく温まった身体に眠気も飛んでいた。ベッドに腰掛け覚めた頭で今日の予定を脳内でまとめて、不安要素や起こる可能性が高そうなイレギュラーの想定、その後の対応なども頭の中で整理する。昔は周りに心配性だと小馬鹿にされたが今この時においてはそのお陰で生き残れているのだから滑稽な話だ。
全ての準備を済ませてホテルを出た。腕時計は午前七時を表示している。今日はいつもの通りライフを持っての探索だ。少し早い行動時間のせいもあり、街には朝露が降り注いで視界が悪い。十メートル先を見るのがやっとなぐらいだ。コソコソと隠密活動をする俺としては大変助かる環境ではあるが、朝霧はあっという間に消えるので早速目的地への移動を始めた。
今日の目的地は奴らの拠点を中心に考えて、町がある山側から正反対の位置だ。その為、大回りをして奴らの拠点を避けながら街の反対まで行かなければいけない。リュックのポケットに入れておいた街の地図を取り出し目を通して道順を確かめ朝露の中を物陰に隠れながら進んだ。
いつの間にか朝露は消え去り街には、雲一つない空から太陽の光が降り注いでいた。目的地の住宅街周辺には奴らの気配はなく、乗り捨てられた車や扉が開けられたままの住宅が目立っている。辺りを見回しながら住宅街を歩き、求めている条件が整っていそうな建物を探した。住宅街の端まで行くとようやく良さそうな二階建ての一軒家を見つけた。その家は他の建物と隣接しておらず、道路を除いた三方向を田んぼに囲まれた立地だ。玄関には鍵が掛けられておらず、室内に入ると廊下には埃が薄らと積もっている。屋内を一通り確かめ異常がない事を確かめてリビングに入った。リビングにはシンプルな家具が並び、大きな窓から入り込む太陽の光が部屋を明るく照らしている。リュックとライフルを部屋の隅に下ろして屋外にでた。また住宅街に向かい今度は屋外に置かれたLPガスのタンクの残量を確かめて周り、とりわけ残量が多いものを先程の住宅のリビングに運び込んだ。5本をリビングに並べガス漏れがないか入念にチェックを行い、安全を確保してから次の準備に移った。まず持参したリュックの中から密閉された包みを取り出しす。金属ナトリウムだ。以前忍び込んだ町の工場地帯で手に入れた貴重な代物だ。更に設定した時刻が来ると踊って知らせてくれる可愛いフラダンス人形が特徴的な目覚まし時計、裁縫用の糸、最後にここに来るまでに仕入れた水六リットル分を床に並べた。あとは住宅の外に置かれているゴミ箱として使われていたであろう大きいポリバケツの中身を空にしてリビングに運べば準備は完了だ。目覚まし時計時計に電池を入れ腕時計の時刻、午前九時に合わせる、次にタイマーを午前八時にセットした。ポリバケツに水を全て注ぎ部屋の中央に置き、金属ナトリウムを密閉した包みをめくって半分程剥き出しにした。後は目覚まし時計の人形部分と金属ナトリウムの包みの部分を外れない様に、裁縫糸でしっかりと結び合わせ水が入ったポリバケツのふちに金属ナトリウムをぶら下げる。この際決して濡らさないように細心の注意を払う、反対側の目覚まし時計をリビングに置かれた椅子に人形が動いた際に外れるように引っ掛ければ仕掛けは完成だ。
早々に荷物をまとめ出発の準備を終わらせた。リビングに飾られた家族写真に深々と頭を下げてから俺はその場を後にした。




