3.観戦者(2)
身につけた装備を再度確認する。いつもはライフルの弾倉のストックは一つしか用意しないが、更にもう一つ保管箱から取り出してウエストポーチに入れた。加えて銃弾が詰まった新しい箱を一箱取り出してリュックに詰める。撃つつもりも撃ちたくもないが奴らのテリトリーに向かう事を考えればこれでもまったく足りないぐらいだが、無限に持ち歩ける訳でもなくこの量で自分を納得させた。
町役場を出発する際の泣きじゃくり、しがみつくナナシには慌ててしまった。喋れないと思っていたが、鳴き声が地下室に響いて驚いた反面、発声は出来るのだと安心した。言葉が出せないのは恐らく心因性からの物なのかもしれない。それにしてもやはり俺は子供に弱いとつくづく実感した。あまりに泣くものだから土産に何か甘い物を持ち帰ると約束してしまったからだ。安易に物を与えてご機嫌を取るなんてナナシの母親がみたらなんと言うか不安な事この上ない。
必要な装備をリュックに詰め終わり、地下室から表に出た。玄関を出て振り返り以前までマルと二人で過ごしたメインの拠点である住宅を見つめるが何故か帰る場所と言う気がしない。少し立ち寄った場所ぐらいに感じている自分に少し寂しさを覚えた。
葉山さんの家に着くと標高が少し高いせいもあるのか、ついこの前に来た時には感じなかった肌寒さに冬がすぐそこまで来ている事を如実に教えてくれた。隣街とこの町を繋ぐ道路を監視できる葉山さんお気に入りの場所から単眼鏡で覗くが特段いつもと変わりはない。奴らが拠点にしていた校舎がある中学校はこの場所からは距離的に観察出来ない為、その他の見える範囲を確認するしかなかったのだが。
隣街に行く手段には選択肢がある。一つは隣街に通じる二本の道路だ。しかしこの道路には点在する乗り捨てられた車以外、遮蔽物は無く見通しが良いため道路に沿って山道を進むしかない。もう一つはその他の開発されていない山林を縫って進み隣街に出るかの二択だ。本来なら山林を進んで人目に付きにくい道を行きたいがそうすると道路に沿って進む道に比べて数倍の時間を要する。それを考えると道路に沿って進む方を選ぶ他なかった。
カリモさんが連れて行かれて一週間、奴らがサンドとナナシを探しに来なかった事を考えると恐らく拷問めいたことはされていないだろう。本来なら直ぐに救出に向かうべきだが、最低限の生きる術を二人に教えるまでは側を離れる訳にはいかなかった。そう自分に言い聞かせて救出が遅くなってしまったことを正当化する。それにさすがの奴らでも殺さずに連れ帰った人間をそう易々と処分はしないはずだ。とは言え直ぐに助けに行けなかった事で葉山さんに対して申し訳ない気持ちも多分にしてあった為、これ以上時間を取られたくなかった。
腕時計は午前十一時を表示している。隣街に通じる道はどちらも人気はない。奴らは整備された新しい道路をこの町との行き来に使っている。それを考えると整備されていない旧道を使う方がいい様に思えるが、もしも俺が奴らの立場なら自分たちが使わない道にこそ何か仕掛けをするはずだ。そのため多少見つかるリスクは増すが奴らが使う整備された道に沿って進む事を決めて山を降りた。
町と街を繋ぐ道路を挟み広がる山林の中を歩く事一時間、ようやく街の入り口が目に入った。どんよりとした空に浮かぶ厚い雲が太陽を遮っている。おかげで気温はそれほど上がらず行動しやすくて助かった。腕時計の表示はまだ午後一時にもなっていないのに太陽の光が届かない為やけに薄暗い。山林が途切れて目の前が開けるとそこには空き地が広がっていた。ゴールポストが置かれているこの場所はサッカー場として使われていたのを平和だった昔、何度か見かけた事がある。しかしその時には見かけなかった黒い物体がサッカー場の真ん中に大量に高く積み上げられていた。それを見て冷たい汗が背中を流れる。単眼鏡を取り出してピントを合わせるとハッキリと見えた、大量の焼死体だ。
感染が広がり最初の内は火葬場で手厚く弔っていたのだろうが、止まらない連鎖の果ての一つであろう山積みにされた焼死体を見ると人の性を見ているようで嫌気がさす。単眼鏡を片付けてゴーグルとマスクがズレていないか手で確かめる。遠巻きながら死体の山に向かって手を合わせて冥福を祈った。何かが違えば俺も彼らの様になっていたと思うと拝まずにはいられなかったからだ。手を合わせ終わり、死体の山を避けて周囲を警戒しながらその場を離れた。
サッカー場から三十分ほど街の郊外を進むと、今日から数日使う予定の拠点である廃墟のラブホテルに辿り着いた。数年前に廃墟になったホテルには人が侵入しないように入り口や窓に板が打ちつけられている。ホテルの周囲を確認して入った形跡がないか見て回るが入られた痕跡はない。周辺の安全確認を終えて、このホテルで唯一塞がれていない裏口に回る。ドアの前には屋外マットが敷かれており、俺は静かにそれを捲ってマットの下に仕込んでおいたガラス片が割れていないかを確かめる、ガラス片は仕込んだ時と変わらない形でそこにあった。胸を撫で下ろしてマットを元に戻す。そしてウエストポーチからいつものピッキング道具を出し鍵を開けてホテルに入った。真っ暗な室内をライトで照らして進み、受け付けで保管されていた鍵から、裏口のドアに一番近い部屋の鍵を選び部屋に向かった。部屋に入り入り口で荷物を下ろしてマスクとゴーグルを外した。
光が入り込まない室内には少しのカビ臭さが漂っているが不快になる程ではない。いや、恐らく以前なら不快になっていただろうが、長らく続いている今の生活に慣れて多少の不快など気にも止めなくなってきたのだろう。ベッドの下から以前置いて帰ったランタンを引っ張り出し電池を入れて部屋を照らした。ベッドに腰を下ろしてリュックからスキットル取り出して一口飲んだ。よく動いたせいか、食道から胃に流れるウイスキーが熱く感じる。腕時計の表示はまだ午後二時、まだ少し外を探索する時間があるのを確かめてゴーグルとマスクを着ける。ライフルを肩に掛けて、ナタをいつもの様に腰の掛け、ウエストポーチも腰に着けた。残りの荷物は部屋の隅に置き、毛布をかけすぐには目につかない様にして外に出かけた。
空は相変わらず厚い雲に覆われていて、いつ雨が降るか分からないほどだ。だが身を隠して行動している俺としては少しでも発見されにくい状況は嬉しい。奴らの拠点までは一時間ほど移動しなくてはいけない。車が使えたあの頃なら十分、十五分で移動出来た距離が今では一時間かかる。それを考えると何気なく使っていたあらゆる物があの豊かな生活を成り立たせていたのだと今更ながら感謝した。移動中は奴らのテリトリーと言うこともあり武器は構えずに移動する。もしも不意に遭遇した時にナタを手にしていたら言い訳の余地なく即殺し合いに発展しかねないからだ。少しでも相手の警戒を薄めて相手に隙を作らせるのには必要な事なのだが、見栄えを気にする人たちには理解されないだろう。いざとなれば泣きじゃくり命乞いをして、糞尿を垂れ流して惨めになる覚悟も時には必要なのだ。
姿勢を低くして奴らの拠点に向かう。郊外には店がほとんどなかったが、街の中央に近づくに連れて大小、様々な店が姿を表した。だがどの店も荒らされていた。その中でも主に食料品店を中心に荒らされているのが目立っている。店のガラスは破られ、飛散したガラス片が店内に散らばっており、外から見ても店内に何も残されていないのがわかるほどだ。街中荒れ果てており、酷い所では並んだ建物が数軒まとめて黒焦げで崩壊しているものさえあった。その姿に何があったか想像するのは難くなく、思わずため息が漏れてしまう。そんな光景を横目に目的地に向かうが、進むほどに足取りが重くなるのを感じた。




