3.観戦者(1)
扉を開ける前にノックを四回して鍵を開ける。これが取り決めになって早一週間。その日数は彼らと出会った日数と一緒だ。扉を明けるとマルとナナシが駆け寄って来る。気がつけばマルとナナシは親友のように日々過ごすようになりサンドの過保護のような付き添いは和らいだ。それに伴い物資集めに出かける相棒はマルからサンドに変わり、マルの仕事はもっぱらナナシの護衛になっていた。護衛と言っても主な仕事は遊び相手だが。サンドはナナシが喜ぶようにと持ち帰った大袋入りの飴を渡すとナナシは飛び跳ねて大喜びした。その様子を満足そうにサンドは眺めている。
持ち帰った物資を仕分けしてそれぞれの場所にしまう。保管場所には町役場の資料保管に使われていた書庫を活用しているので保管が楽で助かっている。今までの一人と一匹の生活から三人と一匹に増えたことであらゆる物資の必要量は必然的に多くなったが、荷物の運搬が出来るサンドが探索の相棒を担うのでそれほど困窮はしなかった。
「サンド、回収してきた雨水はちゃんと女子トイレにも入れたか?」
「ちゃんと入れたよ。でも今回は量が少なかったから男子トイレには三回分の雨水しか置いてないから忘れないでね」
拠点の町役場周辺で目立たない建物を中心に、雨水を回収するため雨どいにタンクを設置して雨水を集めて生活用水に活用している。日が落ちた後を除いてはトイレで用を足すのが習慣に変わった。一人ならバケツで事足りたが人が増えるとそうも言っていられない。それもあり役場周辺及び建物内に侵入者がいた場合に備えたトラップは念入りに設置おり、一個小隊までの規模の襲撃なら逃げる時間は確保できる。
「おっちゃん、整備の続き教えてよ」
サンドには葉山さんに借りたライフル型のスリングショット持たせている。すでに何度か狙撃練習に連れて行った。長らく狩猟に携わってきたが恐らく狙撃の才能だけで言えば今まで出会った誰よりも光るものを持っている。加えて単純に見える狙撃だが空気抵抗に風に気温、湿度に地球の引力その他諸々。弾を撃って目標に当てるだけの単純作業に数多の要因が絡み合う複雑さを併せ持っている作業でもある為、残念ながら馬鹿なままでは運の力が働かない限り遠距離射撃はできない。その点もサンドは恵まれていた。まだ平和だった頃、彼は東京にある某有名大学の学生をしていたそうだ。こんな世界にならなければ輝かしい未来が彼には約束されていたのではと考えると本当に不憫でならない。だがその努力が今の環境で活かされるだけ救われてはいる。
俺たちが外に出ている間にナナシは洗濯に掃除と家事に精を出している。きっかけはただ待っているだけでは暇だろうと洗濯物を畳ませたのだが、途中から本人が進んで色々な家事をやってくれるようになり今に至る。しかも言葉を発することができないナナシだが相棒のマルは仕草で彼女の意図を汲み取り手伝い、まさに阿吽の呼吸を体現していた。またナナシには流石に刃物やスリングショットの類を持たせる訳にもいかないので大きめの打ち上げ花火とライターを持たせている。万が一、助けが必要な事態に陥れば打ち上げ花火で外に出ている俺たちに合図を送るように教えた。数キロ離れて居ようとも静寂が常の今のこの世界では市販の花火といえど音は届く。昔の騒々しい日常では使えない手だ。
まだ彼らの面倒を見始めてたかだか一週間だが思っていたよりも順応性が高い二人に助けられている面も多分にしてある。生活面は勿論のこと、何よりも精神面で俺は二人に救われていた。
「ご飯できたよ。おっちゃん、机早く片付けてくれよ。いつもその机はみんなで使うから物は広げないでって言ってるだろ?いつまでも置いておくと僕が片付けるよ?ナナシはお皿の用意してくれ」
熱々のフライパンを手に口うるさいサンドが指示を出す。まだ少ない付き合いながら、二十とまではいかないがそれに近い歳の差のサンドに人を率いる才能を感じていた。
ナナシが並べた皿に熱々のチャーハンが盛られる。具材はプランターで栽培したネギに缶詰の焼き鳥が入ってとても香ばしい香りが地下室に溢れていた。ナナシは皿を並べると今度はマルの餌入れにお気に入りの餌を俺が与えていた量よりも少し多く入れた。
「こら、毎日いい餌にしたら直ぐに底をつくだろ。それにそんなに入れたらマルがまん丸になるぞ」
注意を受けたナナシの前にマルが割って入り立ちはだかった。マルの表情はまさに子供相手に大人気ないとでも言わんばかりだ。ナナシはそんなマルの背に抱きつき、いつの間にか俺が入り込めない絆を二人は構築していた。
「まぁまぁ、おっちゃん僕からも言っておくからそれぐらいで。それにせっかくの温かいご飯が冷めるよ、早く食べよう」
立ちはだかるマルの前にサンドがさらに立ちはだかった。気づけば俺が悪者になっていた。あまり納得はいかないが一致団結する彼らの姿を見れるのは決して悪い気などしない。俺は苦笑いを浮かべて席につき、それに合わせてみんなもそれぞれの席に腰を下ろした。
「頂きます」
俺が食事の挨拶をするとサンドも続けて声に出す。ナナシは声が出せない分、深く頭を下げて食事に感謝を表した。食事の間は暗い話は厳禁、別段誰かが決めたわけではなく自然と俺たちはそうしていた。昔の他愛のない馬鹿話から今日の探索で起きた出来事を、俺とサンドが話してナナシとマルはそれを楽しく聞く。ただそれだけの時間だが夕食のこの時間が俺は嫌いではなかった。
夕食を終えて各自、自由に過ごしているとナナシの寝息か聞こえてきた。本を読んでいる途中で疲れて眠ってしまっていた。ナナシを抱えて、つい先日寝具店から人数分調達した上等な布団に寝かせた。皮肉な物で平和だったあの頃には縁のなかった物に、今こんな世界になってから触れる機会が増えた。マルは後を追ってナナシの側で横になって眠りについた。そんなマルの頭を一撫でして俺はウイスキーが入ったグラスと封筒を手に、机で本を読むサンドの隣に座り咳払いをする。
「明日から数日、私用で出かけるからナナシとマルの面倒を頼む。それと食料と備品は今の所足りてるが、もしも俺が帰って来なかった時はこの封筒を開けて指示に従え」
サンドの目は一瞬こちらを伺ったがすぐに本に視線が戻った。
「帰って来るんだから問題ないでしょ。その封筒はいらないよ」
「あぁ、帰ってくる。だがルール第四はなんだ?」
「……やれる事をやる」
「そうだ、お前はお前のやれる事をやれ、俺は俺にやれる事をする。なんでも出来ることは後悔が生まれないようにやるんだ」
「……わかったよ」
「ならいい。それとルール第三も忘れるなよ。おやすみ」
ウイスキーを飲み干し封筒を机に置いて、寝床に戻り横になる。腕時計に目をやると午後九時を表示していた。少し埃が腕時計に付いているのを指で拭い目を閉じて明日に備えた。
腕時計のアラームで起こされると何やらいい香りが鼻についく、匂いの元を探すと、いつもならまだ寝ているはずのサンドがすでに起きて朝食を作っていた。
「おはよう、おっちゃん」
「おはよう。随分早起きだが、ちゃんと寝たのか?」
「ルール第三、早寝早起きの早起きだよ」
それを言われると何も言えなくなった。いつもの様に柔軟体操を終えてナナシとマルが起きるのをサンドが淹れてくれたコーヒーを二人で飲みながら待った。
「僕さ、五日後に二十歳になるんだ」
「若さ自慢か?」
「違うよ。帰ってきたら美味しいお酒飲ませてよ」
「……あぁ、吐くほど飲ませてやるよ」
サンドが淹れてくれた入念に豆を挽いて細かくしたであろうコーヒーの雑味を楽しみながら、帰ったらコーヒーの淹れ方から教育し直そうと俺は心に決めた。




