2.別れ道(5)
肩まで伸びた髪に痩せた頬、だが痩せた身体に見合わない鋭く力強い目が印象的な青年。彼の後ろに隠れてこちらを伺う少女、長い髪を後ろに一つで纏め、男の子とは違い標準的な体格に幼いながらも理知的な顔立ちをしていた。
「お前たち二人だけか?」
青年はただ頷いた。少女は変わらず青年の後ろに隠れて小刻みに震えているのが見てわかる。
「とりあえず、話がしたいだけだ。先に降りて下で待ってるから降りて来い」
会議室に降りたが、あの二人はなかなか降りてこない。少し待つと隠れてこちらを伺う青年の顔が天井裏からチラリと見えるがあえて何も言わないようにした。今会ったばかりの俺に促されてすぐに言いなりにならず自ら考えて警戒している事に感心したからだ。この警戒心を彼らが持っていれば奴らに捕まらずにやり過ごせただろう。更に言えば店の表で横たわる彼女は今もまだ生きていたはずだ。
人にはどうしようもない虚栄心があり、時には正常な判断の妨げになる。もしかしたらあの凸凹コンビも隠れながら動く事が安全だとは分かっていたが、その姿を人に見られて弱気な姿と思われたくなかったのだろうか。本人にしか分からない事だが、命あっての物種なんて言葉があるぐらいだ、格好悪くても優先すべきものはあると俺は思っている。
俺以外に人がいない事を確認して安心したのか青年と少女はようやく下におりてきた。だがあからさまに俺に対しての恐れから距離を取り目線を床に向けて動かない。人間関係なんてものを円滑に進められた試しがない俺にはなにが正解かわからない。少女がまだ青年の後ろで震えているのを見て余計にやるせなくなる。荒らされた中から椅子を二つ立て座る様に促すと二人は黙ったまま椅子に座った。明かりに照らされると二人の唇が乾燥しているのがわかったので、リュックを開け中から取り出した水を手渡すと二人は目を見合わせ一瞬固まった。
「毒なんて入ってないから安心して飲め」
先に青年が毒味のつもりか少量の水を口に含み、意を決した表情で飲み込んだ。青年は自分の身体に異変がないとわかるや否や水を少女に手渡し飲むように促すと少女は、余程喉が渇いていたのか息を吐かずに水を一気に飲み干した。飲み干してから青年の分を残さなさなかった事に気づいた少女の顔は見るからに青ざめていった。そんな少女に青年は優しく微笑み頭を撫でている姿に、久しくなかった感情が胸に込み上げた。そんな二人の姿にマスクの中ではつい口角が上がってしまった、そのお礼では無いがもう一本、水を取り出し青年に渡すと少女の顔にも笑みが伺えてまんざらでもなく思えた。
水を半分程飲むと青年が近づき頭を下げた。
「…たすかりました」
少女も青年の後ろで同じく頭を下げるが声は聞こえなかった。どういたしまして、なんてありふれた言葉さえ自分の口から出ない事に驚かされた。下げ続ける彼の頭に恐縮する彼女の顔、年長者の自分が何かをしなくてはならない事は分かってはいたけれど動けない。
そんな気まずい空気を裂くようにマルの声が部屋へ響いた。普段言いつけを守るマルが外の監視を放って部屋へ入ってきた。普段なら叱責ものだが今この場においては助かった事この上ない。マルを見た瞬間、目を輝かせて少女はマルに向かい駆け寄った。だが慌てて青年が少女を抱えてマルから距離をとった。野良犬とでも思ったのかとも考えたが青年の怯えた様子から違うのがわかる。
「驚かせたな、こいつは俺の相棒で名前はマルだ。危険はないから安心していい」
「…安心ですか」
「俺もマルもお前達に危害をくわえる気はないって事だ。まぁお前達が襲ってくるなら話は変わるがな」
「襲うなんてとんでもないです」
目を見開き否定する青年の様子からその言葉に偽りがないのが伝わってくる。だからこそこれ以上彼らの事を詮索すべきか頭を悩ませた。悪人でなければ大人として、それではさようなら、とはいかなくなってしまう。そんな俺の考えを見透かした様にマルは俺の顔を覗き込み目を見つめた。ため息を一つ吐き出し彼らの顔を見た。
「俺は自分の名前が嫌いだ。だからおっさんと呼んでくれ、お前たちの名前はなんて言うんだ?」
「僕は、山巣 道明です。こっちのこの子は、……わかりません」
「わからないって、お前たち兄妹じゃないのか?」
「いえ、違います。この子とはランドから逃げる時、一緒になっただけで知り合ったのもつい一週間前です」
「それじゃあ連れて行かれたお仲間もみんなそのランドって所から逃げてきたのか?」
目を見て頷く山巣。よくわからない状況で頭が痛いが思わぬ収穫もあった。長らく交わしていなかった会話が、俺の不安を他所に問題なく出来たことだ。しかし、色々と整理したい情報が多すぎて頭が痛い。
「まず、なんで彼女に名前を聞かないんだ?」
「それは、彼女喋れないんですよ。それにどうも記憶喪失みたいで、……まぁあんな所で過ごしたんだから、それも仕方がないですよ」
「あんな所?」
追求して聞こうとした時、マルが軽く一つ吠えたので時計を確認すると午後四時を表示していた。
「お前たちの仲間は口は硬いのか?」
「えっと、どうでしょう。まだ知り合って間もないので」
もしも連れ去られた彼らが、この子たちの事を奴らに話せば間違いなく捕まえにくる。さすがにそれを何もせずに放っておく訳にもいかない。
「積もる話は落ち着いてからするぞ。とりあえずここに居るのはまずい。休める場所に案内してやるから荷物をまとめて出発の準備をしろ、今すぐに」
まだ疑念は、残っているだろうが二人は大人しく天井裏に荷物を纏めに登って行った。側に座るマルに目をやると何やら満足そうな表情に見える気がする。
装備の確認を済ませると丁度、二人が荷物を持って階段を降りてきたがマスクやゴーグルを付けていない。
「お前たちマスクとゴーグルは持ってないのか?」
二人はきょとんとした表情で顔を見合わせた。背負ったリュックを下ろし中から簡易マスクを取り出し二人に付けさせたが予備のゴーグルは一つしかなかった為、自分のゴーグルを山巣に、予備を少女に渡した。
「忘れ物は無いか?もうここには来れないからな」
二人はは頷きゴーグルとマスクを着用した。
「これから俺とマルの後をついて来い。それと俺がいいと言うまで一言も発するな、何があってもだ。わかったら頷け」
二人は黙って頷いた。マルに殿を任せ、俺が先導して確保していた裏口からショッピングセンターを出ると曇っていた空からポツポツと雨粒が降り始めていた。回り込んで表に出た方が早く移動できるが、表に転がった死体を二人に見せる訳にもいかない為、少し大回りをした。
小雨が振る中、メインに使っている拠点から反対方向にある拠点を目指して移動を始めた。普段あまり使わない地域の拠点のため、本当は気が進まないが彼らを信用しきれないのは勿論の事、万が一にも奴らに追跡されては困るので苦渋の決断だ。
普段よりも一層警戒を強めたい所ではあるが、日没までの時間を考えるとそう悠長にもしていられないので気持ちが焦る。時折後ろを振り返りマルと彼らが離れていないかと確かめると山巣は名前すら知らない少女が遅れないように寄り添って移動を続けている。空を見渡して俺は少し移動速度を落として辺りの警戒を強めた。
三十分ほど、移動するとようやく目的地の町役場が見えた。雨は強まる一方で涼しさが増してきた季節のため濡れた衣服が身体を少し凍えさせた。
山巣と少女の二人は町役場近くの家の軒下に待機させて、マルと二人で町役場が安全か確認に向かったが仕掛けておいたトラップは作動していない上、施錠も破られておらず侵入された痕跡はなかった。
待機した二人を連れて町役場の裏口に回りリュックから取り出した鍵の束から町役場裏口と書かれた鍵を取り出して鍵を開けて全員で中に入る。外の雨はいつしか大量に降る大粒の雨に吹き荒れる風と、嵐になっていた。




