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第8話「寄り道」

 ホームルームが終わり、これから帰宅しようとしている時のこと。

「少年! この後時間あるかね!?」

 無理して低い声を出した川端さんに、僕は驚きながらも答える。

「時間あるけど、それはどういうキャラ?」

「これからラーメンを食べようとする野球部の副キャプテン」

 川端さんは被っていない野球帽のつばを左右に少し動かすような動作をした。

「野球部の副キャプテンってそういう感じなの? というかこれからラーメン食べるの?」

「うん、この近くにおいしいラーメン屋があるんだ! もしよかったらどうかなって」

「行きたい! けど……」

「けど?」

「少なめにできるのかなって」

「できるよ!」

 僕に力強く親指を立ててみせた川端さんは野球少年になりきっているつもりだった。

 そんないつもと違う川端さんを見て変な感じもしたが、これはこれでいいと、新しい彼女を発見したことで思わず笑みがこぼれた。




「ユウ君は知ってた? この辺りって実はラーメン激戦区なんだ」

 僕達は学校を出て車が通る車道脇の歩道を歩きながら目的地へと向かっていた。

「そうなんだ。普段ラーメン屋に行くことがなかったから知らなかったよ」

 そういえば、こうして川端さんと並んで歩くのは初めてのことかもしれない。

「新しい店が現れては消え、また新しい店が現れては消え、まさに諸行無常なんだよね」

 こんなに熱心に話すくらい、ラーメンが好きなんだろう。

 人が自分の好きなものを語っている時が僕は好きだ。友達の家にお邪魔する時のようなワクワク感があるから。

「でもこれから行くところは、この激戦区でもずっと生き残っているお店なんだ」

 そして、川端さんは古びた土壁の建物の前で止まった。黒ずんだダクトの排出口から出たのか、ラーメンの匂いが立ち込めている。

 中が見えない磨りガラスの引き戸の前には、汚れで赤黒くなった暖簾がかかっていた。

「ユウ君はこの店を見てどう思う?」

「えっと……」

「いいよ、正直に言って」

「う〜ん、やっぱり汚いかな……。心配になるくらい汚いね」

「そうだよね。私も汚いと思う。入るの嫌になった?」

 川端さんは心配そうに僕に尋ねた。彼女もそんな表情をするんだ、と少し驚いたものの、

「確かに汚い。でも、それは百戦練磨の証だから、むしろ入ってみたいよ」

 と答えたので、川端さんは嬉しそうに頷いて、戸を引いた。

「いらっしゃい! お! イツキちゃんか!」

 白髪で短髪の色黒なおじいさんが笑顔で顔をしわくちゃにしていた。

 ラーメン屋はそんなに日焼けするのだろうか。

「おじいちゃん、こんにちは!」

「え? 川端さんの?」

 と言って僕は、店主のおじいさんと川端さんの間で手のひらを交互に動かした。

「あ、違うの! 通っているうちに仲良くなって、いつの間にかおじいちゃんって呼ぶようになっちゃってさ」

「おや、今日は友達も一緒かい?」

「そう!」

「こりゃ驚いたねえ、イツキちゃんが友達を連れてくるとは」

「お店がもっと綺麗なら、誘いやすいのに」

 そう言って店主をからかう川端さん。

「何言ってんだ! この雰囲気も含めてウチの味なんだ!」

 店主は誇らしげにそう言う。

「いつもこの調子なの」

 店主と川端さんは僕に笑ってみせた。

 店主としては川端さんが誰かとお店に来たことに驚いたようだったけど、僕から見れば川端さんが一人でこのお店に来ていることが驚きだった。

 彼女は人気者で、いつも人に囲まれているようなイメージがあったからだ。

「空いている席に腰掛けてくれ」

 カウンター席しかない店内。お世辞にも広いとは言えない。

 奥の席でワイシャツ姿の男性がラーメンをすすっている。忙しさのあまり昼食を食べ損ねて今食べているといったところだろうか。放課後のこの時間というのもあって、他にお客さんはいなかった。

 店内に入ると床がベタベタしているのが靴越しでもわかった。歩く度に靴が床に貼りついて持っていかれそうになるのだ。

 席に着いて僕達は早速注文をする。

「ここは醤油ラーメンがおすすめかな」

「じゃあ、醤油ラーメンにしようかな」

「おじいちゃん、醤油ラーメン二つ! それと片方は少なめで!」

「あいよ!」

 店主のおじいさんがラーメンを作っている姿が丸見えだった。僕にとってはラーメン屋は新鮮で、ひとつひとつの挙動が興味深くずっと見ていることができた。

「水族館で水槽に張りついている子供みたい」

「僕あまりラーメン屋に来たことがなかったからつい……」

「気持ちわかるよ。なんか黙って見ちゃうんだよね。燃えている火を見ている時のような感じで落ち着くんだ」

「わかる。落ち着くね」

 それから二人は店主の姿を見ながらゆっくりと待っていた。

「はいお待ち!」

 カウンター越しに2人の前にラーメンが出された。湯気が立っていて見るからに熱々そうだ。

 割箸がパンパンに詰まった箸入れから箸を取り出し、

「いただきます!」

 と早速食べ始めるのは川端さん。

 良いすすりっぷりだなあ……。

 食べる姿をジッと見ている僕に気づいた川端さんは、

「早く食べないと麺が伸びちゃうよ」

「ああ、うん」

 僕も箸を取り食べ始めた。

「おいしい!」

「でしょ」

 それ以降二人は食べることに集中するあまり一切会話せず、あっという間に完食した。

「ごちそうさまでした!」

 会計を済ませ、店主に挨拶をしてラーメン屋を後にした。

「川端さん、ありがとう。すごくおいしかったよ」

「それならよかった!」

 僕だけだったら、たぶんずっと入らなかったお店。川端さんのおかげで新しい体験ができた。

「ね、もしよかったらちょっと本屋に寄って行かない? 近くにあるんだ」

「うん、もちろん」

 断る理由なんてなかった。僕はこの非日常をめいっぱい楽しもうと思っていた。




 僕達は駅の近くの本屋に入った。とても広い本屋で本棚が何層にも重なっていた。

 店頭に平積みされた本を軽く見た後、雑誌コーナーや参考書、問題集コーナーなどを2人で眺めた。

「ちょっとトイレに行ってくるね」

 僕はそう言って川端さんと別れた。

 僕が戻ってくると、川端さんは海外小説の棚で立ち読みをしていた。

 声をかけようと近づいたが、川端さんが僕に気づく前にやめた。

 それは邪魔をしてはいけないと思ったから。そしてまた彼女が何を読んでいるかを知るのは彼女に悪いと思ったから。

 読んでいる本は写鏡のようだから、僕は他人に何の本を読んでいるかを知られるのは恥ずかしい。

 まるで、音楽のプレイリストを覗き見されるようなものだ。

 そういった意味では、一緒に本屋に行くということはそれだけ僕に対してオープンということか。

 いや、誰にも言えない思い出があるのに、何をいまさら。

 でも、僕の知らない川端さんに近づけたようで、嬉しくもあった。

 僕はもう一周本屋の中を回ることにした。

 回り切ったところで、先程までいた海外小説の棚とは別の場所で川端さんと合流した。

「私の方はもう終わったから大丈夫だよ。ユウ君はまだ見たいものある?」

「いや、こっちももう大丈夫だよ」

 僕達は本屋を後にして駅に向かうことにした。

 川端さんは海外小説の棚で読んでいた本について語ることはなかった。時折見せるどこか遠く見るような視線。そんな彼女の姿にまだ距離を感じてしまって寂しさを覚える。

 でも今日は行きつけのラーメン屋で一緒に食べたし、本屋にも一緒に行ったんだ。しかもずっと一人で行っていたあのラーメン屋に。

 僕は欲張りだ。

 駅に到着し改札を通り過ぎて駅のホームに降りると、川端さんがかばんから1冊の本を取り出した。

「どうしようかずっと迷っていたんだけど……」

 その本には先程の本屋のカバーが巻かれていた。

「本屋でこの本を見かけて、ユウ君の分も買おうか迷って、結局買ったはいいものの、やっぱり渡そうかどうか悩んでしまって……」

 それで、本屋から駅までの間、川端さんは上の空だったのか。

「もしよかったら受け取ってほしい」

 川端さんは肩にかばんをかけ、本を両手で差し出した。その手は少し震えているようだった。

「ありがとう。嬉しいよ」

 彼女の手からその本を受け取った。

 大した感想を言えない自分が恥ずかしい。

「は〜、よかった! 本をプレゼントするのって、勇気がいるよね」

 肩の荷が下りたのか、川端さんはリラックスして両手を上に伸ばして軽くストレッチをした。

「好みは違うから、合わない本だってあると思うし、ちょっと恥ずかしいところもあるし……」

 肩にかかるかばんの持ち手を片手で握りながら、僕から少し目線を外してそう言った。

「でも、ユウ君にはプレゼントしたかったんだ」

 今度は僕の目を見て話す。

「ごめんね、迷惑だった?」

「いや、そんなことないよ。すごく嬉しい。ありがとう」

 嬉しい。本をくれたことも、彼女の景色の中に僕がいることも。

「イツキさんの気持ちわかるよ。本を勧めたり、プレゼントしたりするのって難しいよね。相手との距離感もあるし、相手のことを考えるとやめておくべきかなと思うこともある」

 今度はちゃんと言いたい言葉が出てくる。少し落ち着いたからかもしれない。

「でも、僕はすごく素敵なことだと思う。同じ本を一緒に楽しみたいし、本を通して自分のことを知ってもらいたいし、そして何よりもプレゼントしてくれた相手のことを知りたいんだ」

「ありがとう、そう言ってくれて安心したよ。勇気を出してよかった」

 少し前までの曇りがかった川端さんの表情はどこへやら、そこには夕日に照らされた笑顔。

 熱さを感じるのは夏の太陽のせいだけではないだろう。

 そして、川端さんの乗る電車が到着した。

「バイバイ! また明日ね」

 電車に飛び乗った川端さんは、閉じた車窓から僕に向かって手を振った。

 僕もそれに応じるように手を振ろうと思ったが、胸を躍らせる川端さんの姿に見惚れて、手を軽く挙げるのみになってしまった。

 彼女の見る景色が僕にも少しは見えるようになったかもしれない。

 僕は確かな実感を抱いて、川端さんからもらった本を読みながら電車を待った。

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