第7話「憂鬱②」
高校生になっても担任との面談はやってくる。
担任に連れられて職員室に入り、僕は担任の席に置かれた丸椅子に腰掛けた。
「さてと。まずは、仲の良い友達について聞いてもいいかな?」
また、この質問だ。でも以前と違うのは名前が自然に湧いてくること。
川端イツキさん。
いや、彼女は友達なんだろうか? そもそもどういう関係?
それに、彼女のことを誰かに言うのはなぜか恥ずかしい気がする。もし僕だけが一方的に友達だと思っていたら……。
「先生。これは質問と言いますか、相談です」
「ん? なんだね?」
「佐々木さんは挨拶する仲ですが、それ以外には何もありません。加藤君とはたまに漫画のことで話しますが、それ以上話したことがなく、これを友達としていいのかわかりません。もしこれで僕だけ友達として先生に報告した場合、加藤君に迷惑かかるかもしれない。そう考えると、答えるのが難しくて……」
担任は眉をひそめている。
「友達って何なんでしょうか?」
「う〜ん、難しいこと聞くね」
担任は苦笑いしながら頭をかいた。
そこで、近くを通り過ぎようとした先生に声をかける。
「楽しい時はもちろん、辛いことが続いて楽しくない時も、ジョッキ片手にバカ話して盛り上がったら友達でしょ」
「先生、相手は高校生ですよ」
「あ、そうだった。お酒はハタチからな」
笑いながらそう言ってその先生は去っていった。
担任は向かいの席に座るまた別の先生に質問をした。
「私は何でも言い合える関係ですかね。例えば、親には言いにくいこと、相談しにくいことでも友達なら話しやすいってことがありますし」
他の先生にも担任は同じ質問をした。
「大人になっても、会えばすぐ童心に帰ることができる関係とか?」
一通り尋ね終わると、担任は僕の方を向いた。
「こんな感じで友達って人それぞれ違うと思うんだ」
担任は話を続ける。
「ちなみに私の場合は、わざわざ『僕らは友達だよね』と確かめ合うことをしなくても、友達と聞いて橋森君の頭の中に浮かんだ顔があれば、それが友達なんじゃないかなと思っている」
僕はやはりまたしても川端さんを思い浮かべた。
彼女は友達。彼女が友達。
そうだとしたら僕は嬉しい。
「今は答えなくてもいいから、是非橋森君の考える友達という人を見つけてほしい。大丈夫、きっと見つかるよ。いや、もしかしたら既に見つかっているかもしれないね」
最初こそ眉間にシワを寄せていた担任だったが、それは機嫌が悪いのではなく答えるのが難しい質問だったからだとわかり少し安心した。
「先生、ありがとうございます。少しわかったような気がします」
「そうか、それならよかった」
担任の見せる笑顔に、僕はまたしても安心するのだった。
その翌日は授業参観だった。いつもと同じ苦痛な時間。またしても僕は憂鬱だった。
今日の授業はおじいちゃん先生の数学の授業だから、僕は当てられて発表することになるのではないかと心配だった。
いつものように存在しない宿題の確認するところから始まって、僕は川端さんと丸つけをした。
「橋森君、前より正答率上がっているよね」
「え? そう?」
川端さんにノートを返してもらって、見返してみると確かに丸の数が日に日に増えていた。
「自分でも気づかなかったよ」
「間違えた問題に対する説明もわかりやすくて上手になっていると思うし、ちゃんと勉強しているのが伝わってくる」
確かに、川端さんに初めて丸つけをしてもらってから、家でも復習するようになった。魔性の文字に魅せられて、ついついノートを開いてしまうからだ。
「ありがとう。でも相変わらず全問正解の川端さんと比べてしまうとまだまだだね」
僕がそう言うと、川端さんはまっすぐ僕を見つめてきた。
「私と比べる必要はないよ。勉強って自分のできない部分をできるようにしていくものだからさ」
彼女の真剣な眼差し。キリッとした目尻。すらっと伸びた鼻筋。赤みを帯びた唇。
「大丈夫。橋森君ならもっとできるようになる」
これはもう頑張るしかないじゃん。
「これはもう頑張るしかないじゃん」
自然と心の声が漏れていたことに気づいて恥ずかしくなった。
「頑張ろ!」
川端さんは拳を握りながら力強くそう言った。でも熱血教師のように見えないのは、その優しい笑顔のおかげだろうか。
「うん、頑張る」
そこで、先生の声が聞こえた。
「はい、そこまで。では発表ということで、問題の解き方を説明してもらいます。え〜、では〜」
おじいちゃん先生は眼鏡を外して名簿に顔を近づけながら指でたどる。
「橋森さん」
僕だ。
名前を呼ばれてその場に立つ。そして、ノートに手をかけようとした。
いや、いらない。もう頭の中に入っている。
いつもの僕の口とは思えないくらい、すらすらと言葉が出てきた。澱みなく説明ができていることを実感していた。
「はい、橋森さん、ありがとう。とてもわかりやすい説明だった。よく勉強しているようだね」
川端さんが机の下で親指を立てて、僕の方に見せてくれた。僕もそれに答えるようにして机の下で親指を立てた。
その後は特に問題なく授業は平和に終わった。
休み時間に入って、僕は達成感に包まれていた。初めての感覚。授業参観のトラウマから解放されそうだ。
「橋森君、ナイスだったね!」
「川端さん、君のおかげでうまく発表することができたよ。ありがとう」
「私は大したことしてないよ。橋森君の力だよ」
その時、右肩に力がかかった。踏ん張らないと椅子から転げ落ちそうだった。
「あんた、やるじゃない!」
「痛っ!」
僕の母さんだ。いつものように満面の笑みで明るさだけは誰にも負けない。
「あら、こちらはお友達?」
そう言うと、母さんは川端さんの方を向いた。
「もう母さん、恥ずかしいからやめてよ」
「何よ、せっかくのお友達じゃない。挨拶させなさいよ」
母さんは妙に声色を高くして、
「すみません、ユウの母です。息子がお世話になっています」
母さんの挨拶に合わせて川端さんは起立して、
「橋森君のお母様なんですね。同じクラスの川端イツキと言います。よろしくお願いします」
と丁寧に挨拶した。
「もしかして、あなたがユウのノートに赤ペンで書いてくれたのかしら?」
「数学のノートのことですよね? であれば、私が書きました!」
「はは〜ん、なるほどね!」
母さんは薄ら笑いを浮かべながら、横目で僕を見た。
「まさかユウにこんな素晴らしいお友達がいるなんて、お母さん嬉しいわ! なかなかお友達ができないのかと心配していたんだから! これはお父さんにも連絡しないと!」
「父さんに連絡してどうするんだよ……」
「とりあえず母さんはこれで帰るわね! 川端さん、今度ウチに遊びに来てくださいね!」
「ええ、是非お願いします」
そう言って母さんは慌ただしく教室から出ていった。
「明るいお母様ね」
川端さんは席に着いて笑いながら言う。
「明るすぎるくらいだよ」
夏というより恥ずかしさから体が熱い。シャツの胸元を持ってバタバタと風を取り入れた。
「それにごめん、川端さん……。勝手に友達認定させてしまって」
僕はついポロッとそう言ってしまった。
「え? 私達、友達じゃなかったの?」
川端さんは悲しそうな表情をして、潤んだ目で僕を見つめた。
「い、いや、もちろん友達だよ!」
「なんてね。ちょっとからかってみただけ」
すぐに川端さんは笑った。
「焦った……」
「でも少し傷ついたかな。私一人で友達だと思っていたみたいで」
「ごめん。母さんも言っていたように、今まで友達らしい友達ができたことがなかったからさ。川端さんのこと勝手に友達だと思って、実は川端さんの方はそのつもりがなくて、迷惑かけたら嫌だなと思ったんだ」
「本当に真面目だよね」
真顔でそう呟いた。
「そ、そうかな?」
「うん、真面目だよ。でもそんなところも好き。私とまっすぐに向き合ってくれているんだなって。それに、この真面目さがあるからこそ、ギャップが見えた時に興奮するからね」
たまにこういう冗談なのかどうかわからない真剣なトーンで話してくるから僕は戸惑ってしまう。しかもさらっと好きなんて言うもんだからもうパニックだよ。後半のギャップって何のこと? どういうシチュエーションで見せるギャップのことを考えているんだろう。
あれこれ考えて何も言えないまま、休み時間終了のチャイムが鳴った。




