第6話「憂鬱①」
中学生の頃、僕には憂鬱なことが三つあった。まずは、担任との面談。
「そこにかけてくれる?」
担任との面談は職員室で先生と一対一で行われる。毎年のことだ。
「えっと、早速だけど、仲の良い友人は誰かな?」
毎年されるこの質問が僕には憂鬱だ。先生は優しさから「仲の良い友人はいる?」ではなく「仲の良い友人は誰かな?」と、僕に仲の良い友人がいる前提で聞いてくれる。
しかし、その優しさが辛いのだ。先生の優しさに答えられない自分が惨めに思えてならない。
そして、沈黙の後、
「まあまあ、これは緊張をほぐすための質問だから次に行こうか」
別の話題に移る。先生は優しいから「なんでもない質問」ということにしてくれる。でも、本当は「なんでもない質問」ではないのだと思う。
他に憂鬱なことは体育の授業だ。
スポーツ自体は嫌いではない。運動が得意な人はかっこいいし、スポーツも詳しくはないけどたまに観ることがある。
でも、自分がプレイするのは嫌いだ。
周りに迷惑をかけてしまうから。怒られるから。自分がついていけないことを既に自覚しているのに、さらに自覚させられるから。
その日はバスケットボールの授業だった。
ゲーム展開が速く、それなのにボールを持ったらそのままでは走れない。その場でボールを弾ませるだけでも難しいのに。
そして、いつものように僕は怒られる。
「パス遅いって!」
彼は仙石アオイ君。サッカー部だが、バスケットボールもそつなくこなす。そんな彼が僕にはまぶしく映る。
「ご、ごめん……」
バスケットボールは、五対五のスポーツであるはずなのに、一対九のように感じる。いや、一対僕以外のクラス全員か。
別にうまくなくてもいい。仙石君のようにスポーツ万能でクラスのヒーローになれなくてもいい。
ただ、人並みにできたら、迷惑をかけないレベルでできたら、といつも思う。
最後に、授業参観が一番憂鬱だった。
母さんは毎回欠かさず授業参観に来ていた。しかし、僕としては、毎度活躍しない自分を母さんに見せることが心苦しかった。
授業で当てられるも、全然説明できず、先生、クラス全員、保護者一同が、僕の答えを待つ。
その空気が耐えられない。そんな絞り上げてももう僕からは何も出ない。出がらしなんだ。
「橋森君、ありがとう。ちょっと難しいところがあったかな。この問題は先生が説明しますね」
僕は着席し、全員の視線が先生に向けられる。そこでようやく助かったと思えるのだ。
「この後も頑張りなさい!」
授業が終わって休み時間に入った後、僕の肩をグッとつかんで母さんは笑顔でそう言った。
母さんは持ち前の明るさから何も気にしていないようだった。
体に何かがぶつかった。そしてすぐに声が飛んでくる。
「何ボーッとしてんだよ! 集中しろよ!」
仙石君が汗ばんだ顔で僕にそう言った。
どうやらバスケットボールが僕に飛んできたようだが、僕は考え事をしていたので、ボールは僕に当たって相手チームのものになったようだ。
そして、ここは高校の体育館で、今体育の授業で、僕は中学生の頃を思い出していたのだ、と状況を理解した。
僕達は交代となり、同じクラスの別の男子達が代わりに入って試合を始める。
視界の奥では女子達もバスケの試合をやっていた。その中には川端さんもいた。
僕はいつの間にか彼女のプレイから目が離せなくなっていた。
相手からボールを奪うと、華麗にドリブルをしてゴール。あるいは、スリーポイントシュート。と思ったら、今度は味方にキラーパス。
味方が失敗しても怒らず笑顔で対応して「次頑張ろう!」と励ます。
川端さんは大活躍で、彼女を中心にチームが回っていた。
かっこいい。
試合が終わって、川端さんは敵味方問わずクラスの女子に囲まれていた。
「川端さんすごい! 今日で何点決めた!?」
「元々バスケやってたの?」
「バスケ部入ればいいのに〜!」
反応したのは女子だけではない。男子同士の試合をそっちのけで、僕達男子も女子の試合を見ていたからだ。
「川端めちゃくちゃうまいじゃん」
「スポーツできるし勉強もできるし可愛いし、悪いところなんもないよな」
「川端って誰かと付き合ってたりする?」
「いや、いないと思うけど。何、お前狙ってんの?」
「まあな」
「やめとけやめとけ。ああいうのは大体先輩に惚れて付き合うって相場が決まっているから、俺達の出る幕はねえよ。つまんねーよな」
「せめて何か一つくらいとんでもない短所があってほしい。頭がめっちゃ臭いとか」
「なんだそれ?」
「僻みだよ、ほっとけ」
「次は女子と組んでペア練だってよ」
「お前川端んとこ行ってこいよ」
「うるせ、お前行けよ」
川端さんのことを皆好き放題言っちゃって。ちなみに、川端さんは良い匂いだったからね。
いや、今はそんなことどうでもよくて。僕は誰と組むことになるんだろう。そればかりが心配だ。
「よし! じゃあ皆、男女でペアを組んで練習を始めてくれ!」
先生の号令が体育館に響く。しかし、皆すぐには動き出さずざわざわしているだけだ。女子は周りとしゃべって、男子は恥ずかしさを隠すために「だりー」と言って。
「おーい! 時間ないぞ! 早くしろー!」
先生が手を叩いて皆を急かす。そして、皆が一斉に動き出してペアを作り始める。
まずい、急がないと。でも誰と組む? 僕は誰がいいんだ。いや、そんなことはわかっているんだけど、あんなに人気者だと僕とは組めないんじゃないか。
「橋森君、もうペアできてる?」
ボールを持って目の前に立っていたのは川端さんだった。
「い、いや、全然!」
声が上ずってしまうのは緊張しているからだけではない。
「よかった〜! なんか誰も来てくれなくて。余り物でごめんね」
「そんなことないよ! 僕も余り物だから」
「僕も」と言ってしまったことに焦った。調子に乗るなバカ!
川端さんは高嶺の花だから誰も勇気が出なくて行かなかっただけだ。僕とは違う。一緒にしちゃダメだ。
話を変えよう。
「川端さんって、あんなにバスケ上手だったんだね。知らなかったよ」
平静を装いつつそう言うと、川端さんが笑顔で答えた。
「見てたんだ! ありがとう。でもそんな上手じゃないよ」
「いや上手だったよ。僕は下手だから……」
「そんなこと気にしないで。それとも私とバスケするのは嫌?」
「い、いや、そんなことない!」
「そうこなくちゃ! きっと橋森君とバスケしたら楽しいと思う。スポーツって確かに勝負事でもあるんだけど、私はコミュニケーション方法のひとつだと思うんだよね」
「コミュニケーション?」
「そう。こうして会話するのと同じなんだよ。だから、私と話すみたいに気楽にやろうよ」
川端さんのパスはとても取りやすかった。最初こそ変なところに飛んでいきそうな僕のパスも次第に川端さんの元へ飛んでいくようになった。
会話こそないものの、相手が取りやすいようにお互いに意識してボールを渡し合うことで、気持ちが通じ合っているような気がした。
これが川端さんが言っていたコミュニケーションということなんだろうか。
パスをしているだけなのに、僕と川端さんの間でボールが行き来しているだけなのに、人生で一番楽しいバスケットボールだ。
「はい、そこまで! 皆、整列してくれ」
そんな楽しいバスケットボールはあっという間に終わった。
「なんだ、全然できるじゃん! 私と一緒にNBAを目指そう!」
「いや、さすがにNBAは……」
「なんてね!」
そう言って笑いながら川端さんは女子の列に走っていった。
彼女の言う冗談が、度々冗談に思えないことがある。
今日から毎日欠かさず牛乳を飲もうと心に決めた僕はあまりにも単純だ。