第2話「席替え」
「おはよう、橋森君」
朝、ギリギリ教室に入ろうとする僕の前に、昨日の図書室の女子が現れた。
「お、おはよう……」
僕はそそくさと自分の席に着き、かばんを机の横のフックに引っ掛けた。
ただでさえ暑い今日だが、彼女に会ったことで余計に汗をかいたような気がした。
「皆、おはよう」
担任が教室に入ってくる。暑い日であっても担任はネクタイをしっかりと首まで締めていた。
僕の学校では、夏はネクタイをする必要がない。ただ、僕はこんな暑い日でもネクタイを締めるのも悪くないのではないかと冷静に考えた。
いや、でも昨日は、ネクタイを締めていた方が良かったのだろうか、締めていなくて正解だったのではないだろうか。
「起立」
僕はボーッとしながら、いつもの習慣に合わせて立ち、
「礼」
壁際の席にいる彼女を横目で見た。
「着席」
彼女は川端イツキさん。昨日は動揺してその名前すら出てこなかった。
「さて、今日は席替えの日だ。時間ないからさっさとやるぞ。箱を回すからどんどんくじを引いてくれ」
担任は前の席の生徒に円形の穴があいた箱を渡した後、黒板に座席表と対応する番号を書き始めた。
そして箱は僕のところへ回ってきた。箱の中に手を突っ込み、最初に触れた紙を取り出そうとしたが、嫌な予感がしたため、それを手放して別の紙を取り出した。
黒板の座席表を見るに、僕は窓際の一番後ろの席であった。最後列の角の席は当たり。それが教室の常識だ。
箱の行方を目で追った。川端さんもまた他の生徒同様、箱を受け取り紙を取り出して番号を確認した。
僕はそれを観察していたが、観察したところで何もわからなかった。彼女は表情を変えないし、彼女の番号が見えるわけがないからだ。
「よし、皆引いたな。じゃあ移動してくれ」
担任の号令に合わせて皆が一斉に机を持って動き出す。
皆の動きの合間を縫うように窓際の角の当たり席へ移動した。
そしてやってきたのだ。
「橋森君、よろしくね」
その優しい笑顔。すべてを委ねてしまいそうだ。
「よろしく……」
もうどうにでもなれ。
ホームルームが終わり、一限までの五分間。次の授業の準備と席替え直後の高揚感で教室は少しざわついていた。
「そんなおびえないで」
川端さんが二人にしか聞こえないくらいの声量でそう言った。
「いや、おびえてなんかいないよ」
僕は声を絞り出した。
それを聞いた彼女は微笑みながら、
「大丈夫だから」
と言い、そしてまた、
「大丈夫だから。私、全部わかってるから」
と付け加えた。
僕は「一体何がわかっているんだ」と言いかけたが、すぐに「ああ、本当に全部わかっているんだ」と直感した。
だから、彼女は皆の前では「ユウ君」ではなく「橋森君」と呼ぶ。僕と彼女の間に何もないことを示すかのように。
そうすることで、昨日のことが皆に勘づかれるのではないかと、僕が不安にならないように。
僕は彼女の理解に不思議と安堵感を覚えたのである。
そして一限開始のチャイムが鳴った。