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カモミール

作者: takei nana

今日はとても心地の良い日のはじまりだった。朝はほんとうに珍しく気持ちよく起きれたし、朝日も照らしてくれているように感じた。19日の日めくりカレンダーをめくり、スムーズに支度をした。いつもより少し早く家を出て、いつもより少し早く学校に着いた。通年頭痛持ちの私にとってこんな日は滅多に来ない。何もしていなくても笑みが溢れた。どこか浮かれていた。「そういえば今日はテストがあったっけ?」いつもなら憂鬱なはずのテストすらも楽しく思えるほどに。

最近話すようになった隣の席の子との会話も弾んだ。その子は昨日見たテレビの話をしてくれた。好きな芸能人が大層格好良かったそうで。私はその芸能人もよく知らないし、そもそも頭痛を持つようになってからテレビなんてほとんど見なくなったから、その子から出る言葉はほとんど分からないものだったけれどそんなことどうでも良かった。ただ友達と楽しく会話をする。願ってもない幸せだ。頭痛がないだけでたわいもない会話がこんなにも楽しいものだったとは、忘れていた遠い昔のまだ頭痛なんかなかった私を思い出した。こんな日は滅多に来てくれない。授業なんかちっとも耳に入らず、「この後お昼は何を食べようか?いやいや、その前に次の休み時間は何をしようか?やっぱり友達と一緒に遊びたいなー。あ!学校が終わったらどこに行こうか?うーん。遊園地とか?あー食べ歩きもしてみたい!」ずっとそんな事ばかり考えていた。今日だけは不真面目な生徒でいたかった。いさせて欲しかった。

"♪..."

そんなことを考えていたらあっという間に授業終了のチャイムがなっていた。流石に授業を聞いていなさすぎて何だか申し訳なくもなった。「まーでも、とにかくせっかく休み時間になったんだし」と友達との会話を楽しもうと思った。「トイレにでも行ってからまたさっきの話の続きを聞こうかな?」そんなふうに呑気に鼻歌を口ずさみかけて、あわててやめて、トイレへと向かった。

 教室へ急いで戻ろうとした時、急に耳鳴りがした。その瞬間私の嫌な予感は的中してしまった。あの忌々しい頭痛が戻ってきてしまったのだ。正直心の奥底ではいつか戻ってくるのではないかとヒヤヒヤしていた。でも今日だけはそんな事はないと必死の思いでかき消していた。誰にも分かってもらえないこのかち割れそうに痛む頭を抱えながら、やっとの思いで自分の机に戻りそのまま突っ伏した。

"♪..."

少しして授業開始のチャイムが鳴った。朝は調子が良かったのだからこの時間を耐えればもしかしたら消えてくれるかもしれない。そんな淡い希望を持ちながら授業を耐えた。

"♪..."

やっと授業終了のチャイムが鳴った。さっきとは比べものにならないほど長く長く長い時間だった。しかし、淡い希望も虚しく私の頭痛はいまだに私に張り付いていた。もうこの状態になってしまうとどうにも出来ない。分かるのだ私には。またいつもに戻ってしまったのだと。見慣れた保健室までの道のりをゆっくりと辿った。扉を開くといつもの優しい保健室の先生が私を迎え入れてくれた。慣れた手つきで私をベットに案内してくれた。促されるままにベットに寝転びそのまま目を閉じた。

 今日は寝過ぎてしまった。そう思って保健室のベットから急いで起き上がると、私は保健室のベットの上ではなく家までの帰り道を歩いていた。何が起きているのか全く理解ができなかった。夢だと初めは思ったが、頬に当たる風は生暖かく、ほんのり香ってくる洗濯物の匂いはあまりにリアルだった。「きっと、早退することになって、ぼーっとした意識のまま帰り道を歩いていた」のだと思うことにした。これが夢だと信じてしまえば、今朝のあの心地よさが全て消えてしまう気がして怖かった。昼間の街は人気もなく、カラスやハトやスズメもどこかで一休みしているように静かでとてもゆっくりとしていた。まるで私の頭の中のようにボーッとしていて、頭から首から体から腕から手から指から体の全てがゆっくり、風呂に浸かってほぐれていく体のようにじんわりと溶け込んでいく感覚がした。

 昼間と一体になった私はどこか強くなれた気がして家まで少し遠回りして帰ろうと思った。思い立って近くの団地に入った。近所にあるのは知っていたが、外壁は経年劣化で塗装が剥がれ、錆び付いて黒ずんでいてすぐにでも崩れてしまいそうだ。小さい頃迷子になって迷い込んで以来、怖くて近づいてこなかった。しかし今日はどうもその団地に惹かれてしまう。都市の再開発で全て建て壊すらしく半年ほど前から住人は立ち退いていた。もともと老朽化していた上、あまり管理もされていないようだったから特に反対運動も起こらず、着々とまっさらになる準備をしていた。だから、今はほんの僅かしか残っていないのだと思う。団地の中は心なしかひんやりとした空気が流れていた。

 しばらくあたりを彷徨っていると小さな花壇を見つけた。おそらく前に住んでいた住人が作ったのだろう。丁寧に花のネームプレートが植えられていた。しかし、虚しくもそのほとんどは枯れてしまっていた。隅に植えられたカモミールというネームプレートのそばに白い花が咲いているのが見えた。茎はもうすぐ折れてしまいそうなほど弱っているのにも関わらず、その白い花だけは美しく咲いていた。今まで花屋で見てきたどんな美しい花々をも超える美しさを感じた。きっとこの花には持ち主の愛が詰まっているのだと思う。なんだかこの花は私に少し優しさを与えてくれそうな気がしてそっと「頭痛が少しでも良くなりますように」と祈った。心がじんわりと温かくなった。その後はそのままゆっくりと帰路についた。家に着いたのが何時だったのか確認する間もなく、私は自分のベットに寝転び、眠りについた。

 朝、母の呼ぶ声で目が覚めた。とても心地が良かった。いつも私を起こしていた頭痛が、今日は起こしに来なかった。「2日目だ!」2日続けて頭痛なく目覚められたのは初めてだった。飛び上がりそうな気分を抑えつつ、日課の日めくりカレンダーをめくろうとした。私が昨日めくったはずの19日のカレンダーがまだそこには着いていた。私は2回目の20日を迎えたようだった。いつもより早く支度ができ、いつもより早く学校に着いた。隣に座る友達は昨日聞いた話と同じ話をしていた。しかし、昨日と違って頭痛が戻ってくることはなかった。学校が終わり、私は急いで昨日の団地へと向かった。そしてあの花壇に向かった。昨日は咲いていたはずのあの白くて美しいカモミールが枯れていた。



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