女王の間 ―勇者の奇跡―
殆ど全滅状態となり、クリーク達……いや、ダレンやソルシエ、メニーナは打ちひしがれていた。
自分たちの迂闊な判断の、これはその代償ってやつだな。
戦いが始まってほんの僅かな間で勝敗は決した。
クリークとルルディアは致命傷を受けて昏倒。
ダレンは片腕を失って戦闘不能。
メニーナも、肩に大怪我を負っている。
パルネは魔力を使いつくして気を失っているし、イルマはクリークとルルディアの命を繫ぎ止めるだけで精一杯。
唯一健常なソルシエだけど、そんな光景を目の当たりにして戦意喪失。
敵の本拠地、その中枢でこの状態じゃあ、全滅するのは時間の問題だな。
「……そんな」
ソルシエが、現実を受け入れられない声音で呟いた。そんなも何も、これが事実なんだから甘んじて受け入れないでどうするよ。
「う……うう」
ダレンは、クリークの状態を見てなのか自分の腕が無くなった事に失望しているのか、それとも今の状況に落胆しているのか涙を流している。自分たちの実力を見誤った、これは当然の結果なんだ。
「パ……パルネェ……」
メニーナは、ピクリとも動かないパルネの身を案じている。無茶をしただけで状況を打破出来る訳じゃないし、これはその代償なんだ。
「……せ……先生」
只管に回復魔法に集中しているイルマの口からは、俺を呼ぶ声が零れ落ちた。とは言え、そんなにいつも都合よく現れる訳が無いと知るべきだ。
彼らの命運はここで尽きたって事だ。でも残念ながら、そんな事は珍しい事でも何でもない。
多くの若者が意気揚々と冒険に出て、志半ば……まで行かず、本当に序盤で絶念せざるを得なくなるなんてどこででも聞ける話なんだ。
「せんせいぃ……」
涙と鼻水や涎で顔面をグチャグチャにして、ダレンが俺の事を呼ぶ。でもそれが、如何に都合の良い話なのかをもう少し理解するべきだったな。
勝てる相手には意気揚々と立ち向かい、形勢が不利になれば強い者に助けを求めるなんて愚の骨頂だ。
「先生……先生……」
いつもは生意気な口を利くソルシエも、まるで呪文のように何度も俺を呼んだ。調子に乗るのは勝手だけど、冒険者が賭けているのは常に自分の命なんだ。
常に冷静を旨とせよと教えて来たのに、それを忘れたのは自分の落ち度だと悔やむしかないな。
「ゆ……ゆうしゃさまぁ……」
メニーナは、まるで父母を慕うみたいな口調で俺の名を呟いた。彼女はまだ冒険を始めたばかりで、こんな所で命を失うなんて本当に不本意だろうな。
でも、これが冒険。これが冒険者であり戦いなんだ。一瞬の判断ミスで、自分の命なんてアッサリと失われる。
「……先生」「先生……」「せ……先生」「……ゆうしゃさま」
まだ意識ある全員が、まるで憑りつかれたみたいに俺を呼び続ける。
人生の最後に最も大事な者の名を呼ぶってのはある事だけど、それじゃあ事態の解決なんて望めないんだけどな。
「……先生!」「先生ぃ!」「先生ぇ!」「ゆうしゃさまぁ!」
彼女達の、俺に助けを乞う声は次第に大きくなってきた。
それが、絶望に打ちひしがれた人間の取る最後の行動だと知っているんだろうな。
その姿、声を聞いてなのか、これまで動きを見せなかった従者蟻がゆっくりと動き出しイルマ達との距離を詰めだした。
もはや戦意を失ったイルマ達の末路は、この巨蟻たちの食料となる以外にない。
「先生!」「先生!」「先生!」「ゆうしゃさま!」
その声は、もはや懇願となって全員の口から紡がれていた。
不思議な事に、死を齎す蟻がにじり寄って来ているにも拘らず誰一人としてその場から動き出そうとしない。
ダレンやソルシエなんかは、逃げ出す素振りを見せてもおかしくないんだけどな。
「先生……助けて!」
そして、イルマがとうとう内に秘めた言葉を口にしたんだ。それは、到底叶わぬ事であるにも関わらず願わずにはいられないイルマの本音だったに違いない。
彼女の目からは……いや、気付けばダレンやソルシエ、メニーナの瞳からも涙が溢れている。そこからは、恐怖や失望が多く含まれているが、それ以外のものも感じられたんだ。
それは未練か……。
それとも「勇者」と言われた奇跡の存在に対しての敬愛の気持ちなのか。
誰が口にしてもイルマだけは絶対にそんな事は言わないと思っていただけに、俺は大きく驚いていたんだ。
……そして。
「せ……先生」
イルマが、最初にポツリと呟いた。
「せ……先生!?」
次に、ダレンが呆然として口にしていた。
「せ……先生ぃ」
そしてソルシエは、俺の事を呼びながら更に大泣きしちまっている。
「ゆ……ゆうしゃさまぁ!」
3人とは逆に、メニーナはどこか歓喜した声音を出している。
まぁ分からないでもないけど、何がそんなに彼女たちを驚かせ喜ばせているかと言えば。
「せ……先生!? 何故……ここに!?」
この言葉に集約されているだろうな。そりゃあ、付いて来ていない筈の俺がここに突然現れたら、誰だって驚くだろうなぁ。
「……イルマ。それにダレン、ソルシエ、メニーナ。俺は一言も、女王蟻を倒せなんて言ってないんだけどな」
イルマの質問に俺は答えず、ただそれだけを強めの口調で言った。それを聞いた4人は、俯いて口を閉ざしちまったんだ。
まぁ俺の方も、まさかお前たちが心配だから「使い魔」を使って常に様子を伺っていたなんて言える訳もない。
ましてや、イルマの心からの救援を聞いて思わず飛び出しちまったなんて口が裂けても言えねぇよなぁ……。
「ご……ごめんなさあぃ……」
俺の声を聞いて、メニーナは俺が怒っているとでも思ったのかな? ブワッと涙をあふれさせて泣き出し謝った。
ぐぅ……。そんな姿を見せられたら、もうこれ以上こいつには強く言えないじゃないか。
「先生……先生……」
感極まってってやつか。ダレンは只管に俺の事を呼んで泣きじゃくっていた。
普段から俺の事を崇敬しているけど、ここまで来ればまるで神様扱いだな。
「先生ぃ……。うわぁん!」
ソルシエなんて安心したからなのか、大声で泣きだしちまった。こんな彼女を見るのなんて、この先にだって無いかも知れないからな。……貴重だ。
「せ……先生! クリークが! それに、ルルディアちゃんも!」
一番早く態勢を整えたイルマが、慌てて俺に告げた。何事も正確に分析できる彼女がここまで狼狽えるって事は、イルマの力もそろそろ限界なんだろう。
本当ならここでこのまま説教を始めたい処だけど、それをしちゃあクリークとルルディアの体力が持ちそうにないからな。
「……勇敢の紋章」
イルマの要望を受けて、俺はすぐさまクリーク達全員の回復に移ったんだ。小言を言い聞かせるにも叱りつけるにしたって、彼らが生きていないと出来ない話だしな。
「こ……これって!?」「せ……先生!?」「ゆ……ゆうしゃさま!?」
勇敢の紋章を発動させた俺の身体から、燃え盛る深紅のオーラが沸き上がる。それを見たソルシエ、ダレン、メニーナが絶句していた。イルマなんかは一言も発さず、瞬きも忘れて俺の姿を魅入っている様だ。
それどころか、それまで状況を伺っていたんだろう女王蟻と従者蟻にも変化が表れていた。バトラーアントは怯える様に後退り、クイーンアントも警戒心を露わとして身構えている。
明らかに強者の息吹を感じて、女王蟻なんかは焦っていたのかも知れない。
「……創世神話に名を馳せたる偉大な天の神々よ、なにとぞご照覧あれ」
兎も角今は、巨蟻族の事は後回しだ。俺はゆっくりと、この状態でなければ使用出来ない魔法の行使に入った。
「……傷つき昏倒した勇士たちに、再び屹立する活力を分け与え下さい。……勇壮なる愛し子たちに、神威なる神の息吹を吹き込みたまえ!」
俺が魔法を唱えると同時に、俺の足元から広がるように神々しい魔法陣が広がった。その範囲は、この部屋全体に及ぶほどだ。
「……静謐なる深遠の祭壇!」
そして魔法を発動させると同時に、その魔法陣上にいる全ての者の身体が金色に輝いた! それと同時に!
「……すごい」「……ええっ!?」「き……傷がっ!?」「傷が治っちゃった!?」
一瞬でダレンとメニーナの負っていた傷が癒えたんだ。メニーナの方の傷は塞がり痛みが無くなったのは勿論、ダレンの斬り落とされた腕も瞬時に再生されて復活した。
……それどころか。
「う……ううん」「……あれ? あたし……」
昏倒していたクリークとルルディアも、何事も無かったようにスックと立ち上がったんだ。これには流石に、一同も驚きを隠せないでいる。
それだけじゃあなく、意識を失っているパルネの呼吸も荒いものから安定した静かなものに変わった。この魔法で魔力を回復させる事は出来ないけど、心身の負傷や負担は解消されたはずだからな。
兎も角これで、クリーク達の火急の危機は乗り越えられたって事だな。
思わず飛び出しちまった俺は、早速全員の回復を済ませた。
とりあえず、至急の問題は解決した事になる。
さて……次の問題だけど。




