第6話 サートル・ヴラド
6 サートル・ヴラド
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サートル・ヴラドが湯船から上がると、全裸姿で大理石の床を濡らしながら、へっぴり腰で座り込んだコビのもとに近づいた。
筋肉質のコビとは違って痩せてはいるが贅肉そのものがない肉体、鍛錬で鍛え上げられたものだ。
コビがパワーを求めた肉体ならば、サートルは俊敏さを極めた体だった。
コビの目の前で足を止めると両膝を折って、目線を合わせた。
「あなたには以前から興味があったのです」
「俺はねーよ、そんな趣味はねー」
「ん!」
サートルが首の後ろに手をやった。
指でつまんだのは大きな蜂だった。
「チクッと刺すんですね。この毒蜂はかなり痛いです」
つまんだ蜂を離した。蜂は慌てて逃げ去った。
コビは仰天した。サートルの子分たちとはちがって、手加減なしに致死量の毒を注入したはずなのに、ピンピンしている。
ありえないことだ。
「化物かよ」
「あなたに言われたくないですね。私は“王の毒見役”として子どもの頃から毒を味わうのが仕事でしたから、この程度の毒は効きませんよ」
「毒の耐性ができているのか……」
「そりゃ何度も何度も血反吐を吐いてあの世と現世を彷徨った人間ですからね、毒の耐性もできるでしょう」
サートルがニヤリと笑った。
その笑みを見て、コビの背中に電流のような衝撃が走った。
(へっ、こいつはとんでもない奴だ。肉弾戦なら勝てるかな? 体の大きさやパワーは俺が秀でているのは間違いない。だが奴には焦りの色はこれっぽっちもない。見た目と違って格闘技の達人かも……。俺の師匠も闘いに無駄な筋肉はいらないって言ってたな)
「私は以前からずっとあなたに興味がありました。辺境の村コーサスの“蜂に誘拐された赤ん坊”の噂は、ハミルトン城内でもいっとき話題になりました。私は当時子どもでしたが、そのような怪異がこの世界に存在することに高揚感を覚えたものです。そしていつか蜂の呪詛を授かった赤ん坊と出会うことがあれば、それが私の運命を一変させるきっかけになると確信していました」
「まさか俺がハミルトンに来るのを待ってたのか」
「そのまさかです! 【双頭の蛇】の情報網はロータス王国隅々まで張っていますから、私が父の跡目を継いだその日からあなたの動向は手下に見張られていたのです。ですが、一年前から音信不通になりました。なぜなんですか、コビさん⁉」
(やべー、やべーよ。俺が手をくだしたことを知ってやがる……それともカマをかけているのか? どちらにしてもこいつは危険だ。危険人物は始末するしかないな)
グサッ!
サートルの顔が変色した。だんだんと青ざめてきた。
「ゴホッ!」
サートルは大理石の床に血反吐を吐いた。大量の血が拡散した。
サートルの視線が自らの腹部に注がれた。
巨大な槍のようなものが背中から腹を貫いていた。
「離せ」
コビが言った。
サートルを貫いた物体が引き抜かれた。
サートルが床に崩れ落ちた。体を震わせながら後ろを振り返った。
そこには体長3メートルを越える巨大な蜂が宙に浮いていた。槍のような針はサートルの血で染まっていた。
「し、してやられましたね……」
「あのとき蜂を逃がさずに潰しておけばよかったのにな。甘ちゃんだよお前は」
サートルは体を震わせていたが、やがて動かなくなった。目は見開いたままだった。
(これで【双頭の蛇】のボスは片付けたと。後は手下どもだな。う〜ん、最初の計画通り幹部たちは全員始末するか……)
コビは顎を指で触りながら考えた。
その時、湯船の方から声がした。
「何を考えているのです、コビさん」
コビは仰天した!
顔を湯船に向けると、湯けむりの向こうにサートルがいた。
「バカな……」
コビは目の前で死んでいるサートルを見た。
そして、恐る恐る体に触れた。
(明らかに実体がある。幻影などではない。どういうことだ⁉ サートルが二人いる?)
プシュー!
床にうつ伏せになったのサートルの死体から、音がした。
シュッ、シュッ、シュー!
みるみるうちに死体の体から空気が抜けていった。あっという間に皮だけが残った。
「蛇の脱皮か……」
「私は【双頭の蛇】のボスでありますが、同時に賢者ギルド【紅蓮の杖】の第二位の賢者であることをお忘れなく。自分の分身を作る【空蝉魂】はギルドメンバーの中でも私だけができる秘術なのです」
(だったら本体をやればいいだけだな……)
コビはほくそ笑んだ。
風呂場の囲いのへりに両腕を出してつかまっているサートルの後ろに、巨大化した蜂がホバリングしていた。
しかし、なぜかブーンという羽音はしない。
無音だ。
すーと、サートルの背後に近づいた。
巨大化した蜂がその尻を曲げて針をサートルに刺そうとした!
刹那。
サートルが右手の指を鳴らした。
ドーン!
蜂が爆発した。爆風と煙がコビのところまで届いた。
コビが目を開けると湯船に巨大蜂の頭部が浮かんでいた。
「これは【爆裂印】という秘術です。先程、つまんだ蜂を逃したときすでに仕込んでいました。そして当然のごとく、あなたの体にも仕込みました」
(ひえっ。いつ、いつだ。俺の体にも爆薬が仕込まれているのか。だったら終わりじゃねーか……でもいつだ? ここに来てから誰にも触れられていない)
コビはハッとした。
「まさかあのときか……」
☆
酒場から出たコビは突然呼び止められた。
「兄ちゃん、ちょっと話があるんやけどな」
サートルの手下の一人がコビの肩に手を回して腕を掴んだ。そしてもう一人がコビの行く手をふさいだ。
二人組。【双頭の蛇】の幹部ザックの手下だった。
二人組はコビを路地に連れて行った
すると路地奥からブーンと蜂の集団が現れて、二人組に襲いかかった!
✩
「そうです。あなたの腕や首を押さえた男によって見えない【爆裂印】が皮膚にきざまれたのです。私が指を鳴らすとあなたは……終わりです」
コビは濡れた大理石の床に両手をついてうなだれた。
「俺の負けだ。殺すなら生殺しではなく今すぐ殺せ!」
「あらら、私は【双頭の蛇】ですよ。獲物をいたぶって殺すのが本分なのですが……」
サートルは湯船から上がった。
まっすぐコビの前に来た。
気配に気づいてコビは頭を上げると、サートルが裸で仁王立ちしていた。
「あんた【双頭の蛇】というのは嘘だな」
「?」
「もう一匹いるじゃないか。凶暴な蛇が!」
コビがサートルの股間を見て言った。
「ふふふ、そうです。本当は【双頭の蛇】ではなく、【三頭の蛇】が私の秘密なのです。その秘密を知ったからには……」
サートル顔が険しくなった。
サートルの全身から、殺気のオーラが揺らめいた。
(殺される!)
コビは目を閉じた。
サートルの表情が崩れた。
口元に笑みが浮かび、白い歯を見せて、やがて大笑いをした。
「ふはははは! コビさんの蛇もなかなかのモノじゃないですか! どうです私と組みませんか。あなたと私が組めば【四頭の蛇】と言うわけですよ」
「俺を殺さないのか?」
「もちろんです。殺すつもりなら、あの路地裏で蜂に襲われたときにあなたの命を奪っていました」
「えっ⁉ まさか……俺がボコったチンピラの一人があんただったのか」
「そうです。心配なさらないでください。毒と暴力に対する耐性は折り紙つきなので、何も問題ありません。それに手加減してくださったからありがたく思っています」
「なんだ最初から詰んでいたのか。ちくしょーめ!」
すっと、サートルが右手を差し伸ばした。
その手をコビが掴んで立ち上がった。
「私と組んでください。手下になれなんてことは言いません。対等の同盟関係をあなたと築きたいのです。そして私に力を貸してほしいのです」
サートルはコビの手を離さず力強く握った。
(痛え。なんて握力だ。この細い腕にどこからこんな力が……)
コビの握られた手が青くなった。
サートルは笑った。
その笑顔は弾けるように輝いていた。
「わかったわかった。サートルさん、とにかく手を離してくださいよ」
「あ、失礼。あなたと握手できたことが嬉しくてついつい力が入りました」
コビは握られた手に息を吹きかけた。
「俺も一匹狼では限界があると思ってた。サートルさんの見ている“絵”が何か知らないが、面白くなりそうなことはわかる。頼むぜ兄貴」
「私とともに“美しい世界”を作りましょう」