第5話 裏切り者
5 裏切り者
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コビがロータス王国の首都ハミルトンにやって来たその夜、安宿のベッドのへりに座りながら考えた。
(とりあえず情報収集の結果をまとめるか。街なかでやたら見慣れぬ風貌の人間がいると思ったら中原各国からの観光客か。まっ、温泉が名物の保養地だからな。観光客のみならず各国の王族や高官もハミルトンに来るというから【中原のオアシス】という異名も納得だな。
それと街を牛耳ってる裏社会についてはみんな口が重くてよそ者には何も言わないところをみると、これはやっかいだな……)
コビは顎を指でなぜた。
コビが商人の荷車に乗せてもらって最初についてのはロータス王国の港カイサだった。港を異国の船が行き通うのを目撃して、田舎育ちのコビは仰天した。
浜辺では市場があって賑わっていた。新鮮な魚や異国の物品などが販売されていた。
肉と野菜を炒めてパンに挟んだものを売っている店でコビは足を止めた。
後ろの棚に黄色いビンが一つあったからだ。
「あれは蜂蜜だな。いくらだ」
「スプーン一杯で銀貨2枚だ」
店主の親父が言った。
「おいおい、本当かよ! 蜂蜜がそんなに高価なのか?」
「当然だ。希少品だから金持ちしか買わないけどな」
コビは背中に背負ったザックからビンを1個取り出した。
店主は目を見開いた。ビン越しに見える黄色い液体はまさしく蜂蜜そのものだ。しかも店に置いているものと比べて純度が高く綺麗だ。黄金色に輝いていた。
「少し舐めさせてくれ」
店主がスプーンを取り出した。
コビは蓋を外すと受けとったスプーンで蜂蜜を店主の手のひらに乗せた。
店主は臭いを嗅ぐとペロッと舐めた。破顔した。
「うめー! コクがあって混ざりっけなし、こんな上物舐めたの初めてだぜ。どこで手に入れた?」
「俺は養蜂家だ。高く売れる販路を開拓しに田舎からハミルトンにやって来た。ツテがあるなら紹介してくれないか、お礼はたんまりするぜ」
コビは蜂蜜は評判が良かった。一般家庭の市民から、酒場や娼館で働く女たちまで手に入れることができた。
コビは蜂蜜をディスカウントして売った。マーケットを支配してから値上げすればいいという考え方だった。
半年後。森の奥深く。目の前に広がる菜の花畑の前にコビはいた。足元には木株をくり抜いた蜂の巣箱があった。
上蓋を開けると大量の蜂が花畑の蜜を吸いに飛び立った。
「ほー、みごとなもんじゃなー」
コビが振り返ると老人がいた。
「ムガビ先生、どうしてここに?」
「宿屋のおかみさんが教えてくれたよ。ロータス王国にこんな奇麗な場所があるとは知らなんだ……」
ムガビはよっこらしょと座って膝を抱えた。
その様子を見ていたコビも隣に座った。
「ここは王室御用達の花畑です。ここの管理人に頼み込んで使わせてもらってます」
「なるほどそれで昼間姿を見かけないわけだね。養蜂のことはよくわからないけど、君から授かったローヤルゼリーは患者たちに評判が良くてね。これからもよろしく頼むよ」
「へっ、もちろんです」
「……これはうちの患者から小耳に挟んだんだが、君のことをよく思わない人物がいるとのことだ」
「恨まれる覚えはないですが。商人ギルドの加盟も済ませたし。先生のコネのおかげですが……」
「【双頭の蛇】のこと聞いたことがあるか……」
ムガビはジロッとコビを見た。
コビは首を横に振った。
「この“中原の真珠”と呼ばれているハミルトンの暗部じゃよ。【双頭の蛇】は闇組織のギルドで賭博、売春宿、商人たちのみかじめ料と荒稼ぎをしておるが、貴族上層部とのパイプがあるので誰も手が出せないでいる。君の蜂蜜をさばいている業者から【双頭の蛇】にお金が流れているのは知っておるの」
「はい。街を牛耳ってる怖い組織があるからと聞いたので、いくばくか支払っています」
「昨日のことじゃが……」
ムガビは前を向いた。
「大丈夫じゃ、病気にはかかっておらん」
ムガビ医師が桶のアルコールでゆすいだ手をタオルで拭きながら言った。
カーテンの向こうでは、女が診察台の上で広げた足を閉じて、身支度をただした。
カーテンが開いて赤毛の若い女がムガビ医師の前にやって来た。
椅子に座ってムガビ医師に向かい合った。
「あ〜良かった! もう性病は勘弁してほしいもん。商売上がったりなったら女将さんに追い出されるよ」
「ほれ、調合した薬草とローヤルゼリー、蜂蜜じゃい。食後に飲みなさい。これを飲んだら体調も良くなるじゃろ。蜂蜜は紅茶に入れたらおいしいぞ」
ムガビ医師が薬草とローヤルゼリーと蜂蜜のビンを袋に詰めて手渡した。
すると、女が複雑そうな顔をした。
「サラさん、どうかしたか?」
「うちに出入りしている馴染みの客がいるんだけど、事を済ませた後あたしがローヤルゼリーを飲んでるのを見て、『もうそいつは飲めねーかもな』と言ったの。で、なんで? って聞いたら最近ちまたで評判の蜂蜜を売っている養蜂家が【双頭の蛇】に上納金を収めないから、もうすぐいなくなると」
「なんじゃと」
「養蜂家の代理人に話をしたら、『うちの大将に掛け合って、何度も【双頭の蛇】に上納金を払ってくれと進言したけど、全くとりあってくれなかった。困っています』ってさ。それで頭にきたからその養蜂家を始末するって言ってた」
「それは聞き捨てならんな」
「それでここに来たわけじゃよ」
「まいったな。俺は商売のことはすべてコルネに任せていたけど、上納金までくすねていたとはなぁ……」
「……」
「前から売上が少ないと薄々思ってたが、そうか【双頭の蛇】の連中とつるんでいたか。おそらく俺の商売が軌道に乗ったから殺してすべてを奪おうというもくろみだろうな。こすっからいやつらだ」
コビは薄笑いをした。
「君は【双頭の蛇】が怖くないのか?」
「しょんべんちびるぐらい怖いですよ、先生」
「ザックの旦那」
夜遅く売春宿【紫の扉】の玄関からひとりの男が出てきた。
声をかけられて振り向くと、そこにコルネがいた。
「コルネか、何のようだ?」
ザックは周りを見渡し、路地の奥に入った。
「そりゃねーですぜ旦那、こちとらコビの親方を呼び出す手はずはできているのに、いつまでたってもつなぎの連絡が来ないのはどういうわけで」
「あっ、まーあれだ。よくよく考えたら命を取るまでもねー事案だからな」
「旦那!」
コルネの顔が紅潮した。
「しかたねーんだよ。上からのお達しで、あいつをボスに会わせないといけなくなった。殺すわけには行かなくなった」
「ボス⁉ ザックの旦那のボスといえば幹部のジオルバさんですよね」
「その上だ。本物の【ザ・ボス】ことサートル・ヴラド様だ」
「うえっ。なんで組織のボスが出てくるんで」
「サートル様は以前から養蜂家のコビに目をつけていたらしい、あの人は何でも知ってるんだ。で、明日の夜連れて来いってさ」
「……でも五体満足で連れて来いとは命令されてませんよね。死なない程度には痛めつけてくださいよ」
「わかった。そこんとこはまかせな」
ザックは路地から出て行った。
取り残されたコルネはじっとその場に佇んでいた。
突如、コルネの目が白目になった。
口が半開きになって、だらしなくよだれがこぼれた。
「よっこらしょ」
コルネの口が開いた。舌の上に全裸の小人がいた。両腕を使って上顎を支えていた。
コビだった。
「【双頭の蛇】のボス、サートル・ヴラドが出てきたか。こりゃ面白くなってきたぜ」
ブーンという羽音が聞こえてきた。
蜂が一匹コルネの口元にやって来ると、コビは蜂の背中に乗って飛び立った。
翌朝、売春宿近くの路地の奥にコルネが死んでいるのが発見された。