第2話 魔女ベルトラ
2 魔女ベルトラ
フンコロガシが“ディン”という人間に出会って一週間がたった。
フンコロガシは生きるための仕事、フンを集めて転がすことをやめてしまった。そしてあちこちさまよった。
ときおりオスのフンコロガシに出会ってラブコールをされるが、すべて断った。
振られたオスのフンコロガシはすごすごと姿を消した。
フンコロガシなのにフンコロガシに興味がない様子。
奇妙といえば奇妙なフンコロガシ。
ときおり上を向いてその場をじっとしていた。
誰かが現れるのを待っている。そんな感じにも見えた。
《おやおや変わったフンコロガシがいたものだね》
どこからか声がした。
“ディン”と同じく人間の声の響き。
フンコロガシは辺りを見渡した
誰もいない。
《ここだよここ……》
フンコロガシの視線の先の空間が揺らいだ。
まるで真夏日の地面から立ちのぼるかげろうのように揺らいだ。
ユラユラ、ユラユラ。
空間の揺らぎから人間の顔があらわれた。続いて上半身さらに下半身があらわになった。
「よっこらしょ」
現れたのは老婆だった。黒いフード付きのマントを羽織っていた。
地面にしわしわの顔を近づけた。
老婆の鷲鼻がフンコロガシに触れんばかりの距離にあった。
そしてじっくりフンコロガシを観察した。
「おや、まあ、あら、ふ~ん、そういうことなの!」
もちろんフンコロガシは喋れない。
人間の言葉もわからない。
けどなぜかこの老婆の言葉は理解できた。
「かかかかかか! 人間の男に大事なアソコを見られたわけかい。そりゃ傑作だわさ」
老婆は腹を抱えた。
フンコロガシは手足をバタバタさせた。何やら焦っていた。
老婆はさらに興味深そうにフンコロガシを見た。目がキラリと光った。
「恋だね、恋」
「?」
「あんた恋してんだよ。人間の男に」
「!!!」
フンコロガシは固まった。
しばらくして老婆にお尻を向けて歩きはじめた。何事もなかったように。
「逃げんのかい!」
フンコロガシの動きが止まった。
体がワナワナ震えた。
「あんたべっぴんさんだから、フンコロガシ相手ならばよりどりみどりなんだけど、さすが人間相手となるとかっては違うか。とはいえ諦めるのは早すぎるぞ」
フンコロガシが振り向いた。
「あたしゃとてもとても長生きでね、遠いはるか昔に魔人や竜族に嫁いだ人間の女を見たことがある。種族が違っても結婚して幸せに暮らした実例は山ほど見てきた」
フンコロガシが嬉しそうにうなづく。
「でも、さすがに人間に嫁いだ昆虫は知らないなぁ~」
ドテッ!
フンコロガシがひっくり返った。
「だったらフンコロガシをやめたらどうだい。フンコロガシをやめて人間になったらいいじゃないか。なんならあたしが人間になる手助けをしてやってもいいよ」
老婆は地面にステッキで複雑な幾何学模様を描いた。小さな魔法陣だ。
そして呪文を呟くと魔法陣から光が溢れ出て空間に光のスクリーンが現れた。
突然そのスクリーンにフンコロガシが大写しになった。
老婆とともにスクリーンを見ていたフンコロガシはびっくりした。
「ほほほほ、これがあんたの顔だよ。生まれて初めて見た自分のつらはどうだい? 」
フンコロガシは前足で頭をかくしぐさをした。照れてる様子。
「じゃ、始めるよ」
貧相な女性がアップになった。歳の頃は三十前後、笑うと歯茎が見えた。
フンコロガシは前足でバツ印を作った。
「それじゃぁ次」
今度は二十歳ぐらいの女だった。髪を櫛でといでいた。ときおり口を尖らしたりウインクしたりしていた。
フンコロガシはバツ。
「ふーん、やっぱりお気に入りを見つけるのは難しいね」
「次」
髪がボサボサの少女だった。歳は十代前半。目の下にクマがあって顔色も悪い。
手ぐしで髪を撫でつけていた。
顔立ちは整っていてきれいな目をしていた。
フンコロガシは老婆に合図を送った。
「見る目があるね。まだ子どもだけど大きくなったらあんたと変わらないぐらいのべっぴんさんになるね」
フンコロガシがうなずいた。
「それじゃ決定だね」
光のスクリーンが消えた。
「ほら、お行き」
老婆がフンコロガシに手のひらを向けてうながした。
フンコロガシはすたすたと魔法陣の中央に行くと老婆を振り返った。
「忘れるんじゃないよ。あんたとあたしとの三つの契約」
フンコロガシはうなずいた。
そして立ち上がって前足をせわしく動かした。
「えっ、あたしの名前? 言ってなかったっけ。ベラトラ。魔女ベラトラがあたしの名前だよ。そうだねフンコロガシさんの名前も聞いてなかったね」
フンコロガシは自分の名を言った。
「ザジ! いい名じゃないの」
魔法陣からふたたび光が溢れてフンコロガシの姿が消えた。