84:慶事
「あ…なた方は…」
後から後から涙が溢れるのを抑えられない。
時代とこの人数を考えると、きっとカウンターテナーではない。恐らく…。
「方伯さま、秘密はお口になさいませんよう」
中性的な美貌と、何より当代随一の美声と歌手としての名声を一身に集める"神に愛されし声を持つ者たち"の第一歌手ベアンさん。彼は自分の唇に人差し指を当てて、続きを小さな声で止める。それは秘中の秘です、と。
「僕はこの声があったから、父が亡くなっても家族を飢えさせる事がありませんでした。
幼い僕に選べる事は少なかった。失った物もあります。
代わりに家族を飢えさせないという願いは叶いました。僕はそれで幸せです」
カストラート。日本語で、男性去勢歌手だ。
体格や肺活量は男性として育つため、女性では難しい表現が可能だと読んで知ったけど。最後のカストラートの音源を聴いた事もあるけどさ…。
「僕は冒険者となって稼ぐには幼く、体格にも恵まれていませんでした。選べる事そのものも少なかった。
そんな僕がこうして"終わりは始まり"の前の日、王城で王家の皆さまが信仰なさる神さまへの一年の感謝を捧げる歌を奉じる大役を頂くまでになりました」
選べる事は少なかったって。それはなりたくてなったんじゃないって事?
「他に選べる事があれば、選んだかもしれない?」
「…そうですね。もしあれば、選んだかもしれませんね」
寂しそうな笑顔でそう言うベアンさんに、新たな涙が溢れる。
「ああ、どうかもうお泣きにならないで下さい。僕はお礼を申し上げたくて謁見を願ったのです」
美しいレースの使われた、上品なハンカチを差し出される。そのハンカチをお借りして、涙を拭いながらどう言うことかと首を傾げる。
「オオシロ方伯さま、集団暴走を止めて下さってありがとうございます。おかげで故郷に住む母たち家族を失わずにすみました」
「ご家族を…?」
「はい。母たちは馬など持っておりませんでしたから、逃げるには徒歩しかありませんでした。ですので、さほどの距離を逃げられなかったらしいのです。
集団暴走が起こっていれば、間違いなく死んでいただろうと言っておりました」
ベアンさんとの謁見は、一時間ほどになった。
繰り返し、意識が戻られて良かった。幼い頃も、今も変わらず守りたかった大切な家族を守って下さってありがとうございますと仰って帰って行かれたよ。
◇
この世界にも落ち穂拾いは広く広まっていると教わった。だが、落ち穂拾いでは経済的な支援は足りないだろう。
女性の働ける場は圧倒的に少ない。運良く働けても、賃金がとても安い。
お父さんが存命でも、子供も重要な働き手なのだ。
そんな時代であって寡婦になった場合、実家に帰れるのは子供のいない女性だけという法律がある。なのに遺産の相続権なんてない。ほぼ家内制手工業だから、働く場もほとんどない。かといって、実家に帰る事もできないって…。
お父さんを亡くしたら、もはや生きて行けないじゃないか…っ。
お父さんが年金制度に力を入れるわけだ。
大好きになったこの国を、一人でも多くの人が住みやすい国になるように知恵を絞ろう。
年が明けたらしたい目標が、こうして定まった。
やる事はあるが、これはやりたい事。大変でも頑張るぞ。
◇
「エリザベーテ妃殿下、王女さまをご出産!玉のようなお元気な王女さまにございます!」
青い竜のブルヴィと空を遊覧散策してから二週間ちょっと。
一月七日早朝、王太子妃殿下が元気な王子をご出産なさった。
その日の夜、エリザベーテ妃殿下も産気づかれ、深夜にご出産なさった。
大改革したからか、妃殿下方も赤ちゃんたちもお健やかだって!良かった!
「見たこともないくらい王女も丸々として、なんと健康そうな赤子かしら!」
「ああ、泣き声もなんという大音声か」
「これも方伯のおかげですね。本当にありがとう」
王妃陛下の目には、うっすらと光るものが滲んでいらっしゃる。
国王陛下はとてもほっとしていらっしゃるように見受けられるかな。
「キナル王子ご夫妻に王女さまのご誕生。両陛下に謹んでお慶び申し上げます」
「クォーツ、王妃さん、おめでとう」
朝、お目覚めになられた陛下方にエリザベーテ妃殿下のご出産が伝えられ、朝食前に顔を出していらっしゃったのだ。
私とお父さんは、元気な王女がお生まれになったと陛下方からお聞きしてほっとした。
産後のあれこれもレクチャーが終わっている事だ。私たちも家に帰る時が来たな。
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