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死んでいった世界と、ありふれた悲しみのおはなし  作者: 吉野 諦一
第三章 さよなら、半分の世界
19/23

僕たちは少女を救うことができない。


 永久に変わらない世界があったとしたら。


 誰も死なず、誰も生まれることのない世界。来訪者は永遠に抱かれ、何も不自由することのない理想の郷。


 そんな場所に僕は行ってみたいと思っていた。


 現実の世界では秒針が時を刻むよりも早く、どこかで命が絶たれ、また生じる。その繰り返しに何の意味があるというのか。どのみち喪失する命に、どんな価値を見出したって待つのは虚無なのに。


 この無意味な輪廻から逃れられる場所があったなら、どんなにいいだろう。何も失わずに済むのなら、何も得られなくたっていっこうに構わない。


 そう、思っていた。


 今僕の目の前にその世界へと続く道があったとしても、躊躇いこそすれ向かうことはないだろう。僕にはもう得難い存在があって、それは理想郷にはないものだとわかっていた。


 喪失が怖くなくなったわけじゃない。これからもその恐怖と隣り合わせのままで過ごしていくことを承認したというだけ。


 だが、それは常に死を意識するのとは違う。そんなことを続けていれば気が狂い、いたずらに命を縮める結果になる。終着点までの距離を延々と数え続けるだけの生なら、それは人間の道ではない。


 失うもの、得るもの。それらが等価値になるように人の一生が組まれているかはわからない。けれど価値は誰かが決めるものではなく、自分で決めたっていいんじゃないか。


 そうして最期に肯定できれば、幸福な人生だったと言えるんだ。


 それを僕が一番伝えたかった相手は――誰だったろう。





 ナガサキは飄々とした男だ。

 初対面の際に抱いたその印象は、二度目の対面においても全く変わりがなかった。


「よっ、遥斗くん」


 例のファミレスで、彼は如何にも偶然会ったかのように反応した。


 僕は先に司から聞いていた通り、そこでナガサキが待ち構えていることを知っていた。それを承知の上でやっている挙動だから、気に食わない。


「無視しないでくれよぉ、遥斗くん」

「ナガサキさんがそういう態度だからですよ」


 司がはっきりと言ってくれた。忍びないが、やはり頼りになる。


 席について間もなくやってきたウエイトレスから水の入ったコップを受け取る。ナガサキはその様子をまじまじと観察していた。


 変わり者だとは聞いていた。以前はあまり思わなかったが、眼の動かし方が独特な感じだ。具体的に形容するなら、虫眼鏡を前後に動かして対象を精査する探偵の目つき。


「なんか、前に会ったときから見違えたな」


 想定外の評価に内心で驚く。この人は僕を無条件に嫌っていると思っていた。


「ふわふわした感じがなくなった。地に足をつけたってとこか」


 あごに生えた無精ひげを撫でながらナガサキは言った。


 性格はともかく、この人の観察眼は本物らしい。僕自身、自分が何をすべきかもわからなかった冬の頃よりは堅実に先が見えるようになったと感じている。それを忽ちにして見抜かれるとは。


「やっぱりあれかな、きちんと就活して社会人になったら自然としっかりするのか」

「ずっと音楽一筋のあなたと比べたらそうでしょうよ」

「ははっ、痛いところを突くなぁ司は」


 言葉とは裏腹にまるで意に介していない様子。その隣で司は溜め息を吐く。


「本題に入りませんか。このメンツで楽しい会話なんて期待してませんし」

「同感だ」


 ナガサキはおもむろに一枚の紙を僕へ向けて差し出してきた。


「今度またワンマンライブがある。きみには、これを見届けてもらいたい」


 水彩で描かれた、少年と少女が手を繋いで草原に並び立っている絵。

 宣伝用のチラシのようだが、どことなく心惹かれる良い絵だった。


 いや、気にするのはそこじゃない。僕は何故ライブに誘われているんだ。


「自分がどうして誘われるのかって顔をしているな」


 高い洞察力。


「今なら最前列のチケットがあるぞ? お得だろ?」


 そこに魅力は感じないし、それで釣れると考えたあたりが残念だ。


 才能に特化する人間は皆こうなのだろうか。抜きん出る代わりに別の部分で著しくずれているような。誰のことを引き合いにしてそう思ったのかは、よくわからないが。


「冗談はさておいて、遥斗さんにライブを観に来てほしいというのは本当です」


 見るに見かねたのか、司が軌道修正に入った。女子会のときもそうだったが、彼は意外とサポート能力に長けている。主役のような顔をしている割に、脇役気質だ。


「以前に一度だけ観に来られたって話は聞きました。うちのリーダーが失礼なことを言って追い返したって話も、セトさんから」

「あれはまぁライブの直後で気が高ぶってたんだ。すまないと思っている」

「とか言ってますが本人は内心全く反省していないので、どうか俺の顔に免じて許してあげてくれませんか」

「うわぁ信用ないなぁ泣いちゃいそう」


 おどけた手振りのナガサキからは確かに反省の色はなさそうだ。シマネさんの評する通り、まるで子どものまま成長していない感じ。


 とはいえ僕はナガサキに謝ってもらいたいわけじゃない。向こうもそのために接触を求めてきたのではないだろう。どうしても頼まれてほしいことがあるから、一旦関係をリセットしようとしているだけに過ぎない。


「僕が」


 少しだけ声がかすれるのを感じて、それが僕の第一声であることに気がついた。


「僕がそのライブを観に行くことで、何かが変わるんでしょうか」

「変わらないさ。きっと何も」


 ナガサキの反応は冷たかった。


「きみが来ようが来なかろうが、俺らは普段通りにやるだけだしね。きみ自体に何かを変える力なんてない」


 けれどそれらの言葉は、どこか自嘲の響きを纏ってもいた。


「俺は音楽が色々なものを変えられると信じてきた。それは俺自身が何も変えられないことの裏返しなんだと思ってる。人は、何かを拠り所にしなきゃまともでいられないんだ」


 ナガサキは軽薄な表情のままで言う。まるで本心を誤魔化すかのように。


 彼も、自分の無力さを苛んでいた。音楽活動を通して、変えたいものがあったのかもしれない。そういった心情が僕には共感できた。


 切実に望むものを、思い通りにできず苦しむ。僕にとってのそれは、かけがえのない彼女を守りたかったからこその経験だったから。


「人は、あなたが思っているより弱くはないです」


 今度はかすれず、はっきりと声にした。


「何も変えられなくても、変えたいという気持ちさえあればそこから変化は起こる。それはあの子だって、感じているはず」

「あの子は――カクリちゃんは、もう駄目かもしれない」


 それがナガサキの本音だということは明らかだった。


「最近ようやく俺たちを仲間として見てくれるようになった、ような気がする。でももう遅すぎる。あの子はどうしようもなく、行き着く先を決めてしまっている」

「だから僕を頼るんですか。自分では変えられないからって――」

「わかってるさ!」


 突然の怒号に、店内の喧騒が一時止んだ。しかしまた何事もなかったかのように雑多な音が戻ってくる。


「わかってるんだよ……でも他に方法がないんだ。カクリちゃんが何を望んでいるか、知っているのはきみだけなんだろうから」

「知っていても、変えられませんよ」

「変えなくていい。望みを叶える必要だってない。俺はただ、あの子に幸福な結末を迎えさせてやりたいだけなんだ」


 幸福な結末。


 僕にとってそれが自分で決められないものであるからといって、あの子にとってのそれが同様であるとは限らない。


 他人に与えられるまでもなく、彼女の終着点は決定している。

 そのために彼女は死と隣り合わせで生きてきた。


 それを今更、他人が手出しなんてできるはずがない。


「あなたは、あの子がどんなふうに生きてきたか、知っていますか」


 僕が言うべきことでないのは、わかっていた。


「あの子はとっくの昔に自分の心を殺していた。生きるために殺したんだ。抜け殻の人形みたいになって、心の残滓だけで動いている」


 それを憐れむことはない。彼女はそれでも確かに生きていた。


「あの子を救えるのは、この世から消えてなくなることだけですよ。そうして真っ白になってもう一度生まれ変わる。それがあの子の望みです」


 その言葉を聞いて、ナガサキは目を伏せた。


「薄々気づいてはいたさ……だから俺はあの子をカクリと名付けたんだ」

「隔離して、消えさせないためにですか」

「ははっ、違うよ」


 力なく笑うナガサキ。


「カクリというのは幽世(かくりよ)に由来しているんだ。この現世(うつしよ)に何かの間違いでやってきた不滅の存在、という痛々しい設定だよ」


 ――永久に変わらない世界があったとしたら。

 ――その世界は幽世と呼ばれる。


「俺は初め、彼女をどこか別の世界の住人だと思っていた。くすぶってる俺なんかとは比にならない圧倒的な才能があって、なのにそれと見合わない弱すぎる肉体で生きている。実存を疑ったよ。こんなにも儚くて美しい人間がいていいのかと思った」


 ナガサキは続ける。


「でもそんなのは妄想だった。カクリは別世界の住人ではないし、ましてや人形でもない。単なる普通の人間として、この世界で生きているんだな」


 今この時だって彼女はどこかで息をして、心臓を動かしている。誰が何を言ったって、疑いようがない事実だ。


 それを僕らはあれこれと憶測して、彼女自身の姿を見失っていた。どんな道を歩んでいても、どんな思いを抱いていても、生きている彼女に目を向けなかった。


 だからこそ、彼女はあの舞台で唄い続けるのだろう。


 白野憂月が生きていることを、主張するために。




 そして僕は思い出す。


 少女の唄声を。


 その孤独を。


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