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死んでいった世界と、ありふれた悲しみのおはなし  作者: 吉野 諦一
第三章 さよなら、半分の世界
17/23

生生生生暗生始


 市内の図書館は自宅から徒歩で二十分の距離にあった。


 この周辺地域はベッドタウンとなっていて、大半の建物は住宅が占める。その中で点在する背の低い集合住宅が、アスファルトにまだらな陰影を作り出していた。


 通りがかった小さな公園。連日の猛暑からか誰もいなかった。空間に浮かんだ陽炎が、滑り台の青い塗装を今にも溶かそうとしている。僕は見て見ぬ振りをした。


 公園の入り口付近にあった自販機で半透明の清涼飲料水を購入して、すぐさま口に含んだ。冬の空気を閉じ込めたような冷たさが喉を通過して、僅かな気晴らしをもたらす。でもすぐに在処がわからなくなって、夏に引き戻された。


 安定している、と思う。


 夏という現象は至るところに存在する。眼を閉じても、耳を塞いでも、身を覆ったって夏は何らかの手段で訴えかけてくる。逃げ場はないとでも言うかのように。


 現代でこそ、眼を閉じて耳を塞ぎ保温された空間に居れば追手を遮ることができるのだろう。けれどそうすること自体が夏を意識するということで、結局はその存在を忘れられない限り逃れる術はないのだと気づく。


 そのくせ、季節は気紛れに過ぎ去るもの。


 定型化された繰り返す事象を、僕は卑怯だと思った。





 図書館は肌寒いくらいに冷房が効いていた。


 菓子の箱を横に倒したような外観の通り、館内は幅が狭い代わりに奥行きがあった。大きな吹き抜けが天井の高さを誇示していて、まるで理想の秘密基地みたいだ。


 子どもが多いのは夏休みに入ったからだろう。閲覧席で図鑑を楽しむ親子に、カラフルな絨毯の敷き詰められたスペースで大きな絵本に夢中になる三兄弟。不意に懐かしくなったのは、孤児院に居た頃の風景と重なるからだろう。


 目的を果たす前にと館内を散策するうちに、読書感想文のためのおすすめ作品と題されたコーナーを見つける。そこに置かれた書籍たちはどれも綺麗にコーティング加工されていた。手に取った銀河鉄道の夜の背表紙が、ざらりとした触感を僕に与える。


 ――ほんとうのさいわいは一体何だろう――


 旅をする二人の少年。ジョバンニは、カムパネルラにそう問うた。


 その問いに僕が答えられるわけはないけれど、どうしてもその答えを欲してしまう気持ちはわかるような気がしていた。


 本を元の位置に戻してから、僕は受付カウンターで男性職員に声を掛ける。


「問い合わせていた橙崎ですが」

「ああ、電話の。話は伺っていますよ」


 その男性職員は、敢えて抑揚を控えたような話し方をしていた。


「十二年前の交通事故に関する記事ですが、こちらに取り揃えておきました」


 渡されたのは透明なカバーに包まれた新聞の束。


「ネットのデータベースで閲覧することもできますが」

「いいえ。これがいいんです」


 遠慮がちに言う男性に、僕は小さく首を振って応える。


「楽をして知るのは、なんだか違うような気がして」


 新聞記事を館内用のカートに乗せて閲覧席まで運ぶ。先客の居ない机を見つけるのには手間取ったが、このくらいのロスは気にするほどではない。


 長方形の机の上に、一部ずつ広げていく。

 めあての記事は、あっけなく見つかった。


『東名高速で玉突き事故 十五人死傷』

『死亡したのは○○県在住の会社員白野謙一(34)、妻の藍里(31)、――』

『長女の憂月(6)は重傷で――』


 疑いようもなく、それは憂月が当事者となった事故の記事だった。


 当時はかなり大々的に報道されたようで、幾つかの記事は一面に掲載されていた。けれど何らかの理由があって報道規制がかかったのか、後続する記事はどれも紙面の隅に小さく載るだけに変わっていった。


 両親を失った憂月は自らも重傷を負い、おそらくはそこで右眼を摘出している。これだけの事故では後遺症も深刻だろう。日常生活を送れるほどまで回復するためのケアやリハビリは長く苦しかったに違いない。やっとのことで退院しても引き取り手の親族には忌み子扱いを受け、それでも自分は不幸ではないと信じて――


 たった六歳の少女に降りかかるにはあまりにも容赦のない現実。


 憂月はそれを乗り越えて、これまで生きてきたのか。


 僕だって覚悟せずにこの場を訪れたわけじゃない。あの夜、憂月が語った内容は彼女の壮絶な過去を想起させるものだった。だからそれを確かめるため、直視するため調べることにしたのだ。


 でもこれは、知らないほうが良かった。

 こんなものを知ってしまったら、彼女の願いを叶えたくなってしまう。


 憂月を生まれ変わらせたい。この世界の呪縛から解き放って、まっさらに戻して、純粋に世界を愛させてやりたい。


 今世の憂月が抱いている世界への愛は、絶対に間違っている。


「だけど、どうすればいいんだよ」


 彼女の願いは叶えようがなく、まるで何も願っていないのと同じだ。


 転生するということは今ある生を殺すということで、それを憂月が本当に望んでいるとは思えない。そして望まない死が、近くにあることを知っている。


 ああ――だから彼女は今際の際を知りたがったのか。


 死期から逆算し、死だけを目標として計画的に命を使い果たすために。

 不要なものを削ぎ落とすようにして生き急ぐ彼女には、明確な終着点が必要だったのだ。


 そうして、最悪の推測が浮かび上がった。


 生まれ変わりたいという願いは希望でしかない。橙崎遥斗の子ども、という条件のほうが重要なのだとすれば。


 憂月には、僕があの病院でとある人物を見舞っていることだけを伝えていた。それが千世という名の恋人であることまでは話していない。


 にもかかわらず憂月は、僕との会話の中でただの一度も言及してこなかった。あれだけ話す機会があったというのに、故意にその話題を避け、退院するその日さえ何も言ってこなかった。


 憂月は英千世という人物を既に知っていたのではないか。


 それはいつから? そんなの、僕と出会う前からとしか考えられない。


 何故なら彼女は余計な人間関係を望まないから。僕と接触したのも、沙智と友好的に関わったのも、千世との接点としての価値があるから。


 ここまでなら僕の飛躍した妄想だと切り捨てられる。憂月の主義は簡単に翻って矛盾するし、偶然と言われればまだ自分を納得させられる。


 でも、万が一それらの推測が正しかったとしたら。


 憂月にとって千世が重要な意味合いを持つ人間だったとしたら。


『私は、あなたの子として生まれ変わりたいのです』


 そんな台詞が、千世が治療によって子を産めない身体になるかもしれない、という事実を知ったうえで発せられたものだったとしたら――


 推論に没頭するあまり、吐き気が突如としてこみ上げたような嫌悪感に晒される。俯く頭部は鉛のように重い。視野が狭窄し、脳が揺れた。


 最低の気分だ。

 僕は一体、何を選ぼうとしているのだろう。


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