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死んでいった世界と、ありふれた悲しみのおはなし  作者: 吉野 諦一
第三章 さよなら、半分の世界
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女子会


「――でさぁ、私がそれは後で使う人のためにすることだよって注意したらね? 『後で使う人が気になるんだったらその人が拭けばいいだろ』って言うの。結局、彼にとっては洋式便座がどれだけ不特定多数の尻に触れているかなんてどうでもいいのよ!」

「何の話なんですかそれ」


 それこそどうでもいい話を聞かされて、僕の心はこれ以上なく虚無に近づいていた。


 女子会と称して集まった女性陣四人のうち、初対面の二人はバンド関係の人間だった。その一方がこの、僕にひたすら彼の話を聞かせてくる女性、シマネさんだ。


 シマネさんは『ザ・チョークスリーパーズ』(何度聞いてもダサいバンド名だ)のベース担当で、またサブリーダーでもあるという。僕と同じ歳だそうだが、隠し切れない苦労人気質が僕に敬語を選択させた。


 その彼女がどうしてか、僕にばかり愚痴をこぼしてくるのだ。主に彼――バンドリーダーのナガサキについての話である。


「本当にいつまでたっても子どもみたいなのよ彼。昔はお兄ちゃんだと思って慕ってたのに、気づいたら私が面倒を見るみたいになって」

「そうなんですね」

「そーなの! もう、私はお母さんじゃないっての……ひっく」


 アルコールのにおいが鼻を突いた。いつの間に飲んだんだこの人。


 シマネさんがしゃっくりをした拍子に、手に持っていた缶チューハイがこぼれて服にかかった。着ていたブラウスが透けて、妙に艶っぽい。女性的な曲線が目に毒だった。


 咄嗟に背を向けて視線を逸らすが、なぜかシマネさんは僕の背中に身体を寄せてきた。


「ふふっ、可愛い反応するのね。彼とは違ってシンセン」

「あ、あたってます、当たってますから」

「何が当たってるのかしらねぇ。なんて言いつつ、わざとなんだけど」

「シマネさん」


 凛とした、女性にしては低めの声が向かいの席から制止する。


 もう一人のバンド関係者。彼女はユウと名乗っていた。司から連絡を受けたところによると、ユウはシマネさんの抑止役として声を掛けたのだそう。


「そのあたりで止めてください」

「う、うん、わかったー」


 途端に縮こまるシマネさん。その様子を確かめた末、小さく吐息を漏らすユウ。


「すみません遥斗さん。ご迷惑を」

「……助かったよ」


 司の言う通り、確かに彼女は抑止力としてこの上ない特効性を発揮していた。ただバンドとどう関わっているかなどの情報が少なく、やや近寄りがたさもあってミステリアスな雰囲気を帯びていた。


 だが何よりも目を引くのは彼女の容貌。中性的でむしろ美少年然とした顔立ちは男の僕でも見惚れるほどで、それでいてきちんと女性的な可愛らしさも備えている。言ってしまえば憂月と出会ったときと同等の衝撃を僕は受けていた。


 そんなユウと憂月に挟まれた位置に座っている沙智。さすがに可哀想だと思った。


「なによ遥斗兄さん。文句あるの?」

「まだ何も言ってない」

「頼まれても譲らないからね。美少女二人に挟まれた、この席は!」


 そういえば沙智はそういうキャラになったのだった。心配して非常に損した気分だ。


 女子会は特に問題が起こることもなく進んでいる。とは言っても小規模な会食に過ぎないので特に段取りは存在しない。先に作っておいた大盛りのサラダに手を付けつつ、単に取り留めのない会話をするだけだった。


 ただし憂月の猛烈な希望により、初夏だというのに寄せ鍋をすることは決まっている。前々から憧れていたらしい『友達と鍋を囲む』が実現することに感無量な様子の憂月を、僕は何となく笑ってやることもできないでいた。


 僕が憂月に訊けないでいることは、裏側の目的についてだけではない。


 彼女は身体に多くの欠陥を持っている。それは既に摘出したという右の眼球に始まり、代替品で補っている臓器が在るということも、あの院内で噂として耳に入っていた。


 だがそうなった理由を、僕は知らない。当然直接訊くべきことでないとはわかっているが、彼女の過去と裏側の目的に何の関連性もないとも思えなかった。果たしてそこまで暴く必要があるかどうかは、まだ決心がついていない。


 ひとまず今は沙智の計画に従おう。そう考え、僕は決定を先送りにした。




  ◇ ◆ ◇




 加熱した鍋の出汁に具材を投入し、もう一度煮沸させたところで火を止めて居間の机へと運ぶ。蓋を開けると、具がほぼ野菜しかない寄せ鍋が姿を現した。揃って手を合わせてから、いよいよ鍋を囲んだ食事が始まった。


「肉を食べるとお腹を壊しちゃうんですよね、私」


 憂月は司が聞いたら卒倒しそうな発言をしたあと、鍋の隅から千住葱を箸で摘まみ上げた。


「だから白野さんはそんなに細いんだね」

「はっぴぃだって細いじゃん。……ユウさんも」

「別に。細くないですよ」

「カクリちゃん、私にも細いって言って!」

「シマネさんは、その、母性的な体型だと思いますよ」

「細いって言ってよ!」


 僕がキッチンで出汁を温めているうちに、彼女らはいかにも女子会らしい会話をしていたようだ。その延長線上で続いているらしく、僕には参加しづらい話題が繰り広げられていた。


 しかし一つわかったのは、鳴神祭のときに憂月が言っていた『バンドメンバーと仲良くしている』というのはあながち嘘ではなかった、ということだった。


 少なくともシマネさんは憂月に何かと気を遣っているし、憂月も露骨に避けたりはしない。ややぎこちなさはあっても、司の言っていた冷たい態度を取っている様子はない。


 無理は――まだしているのだと思う。心を閉ざすも開くも彼女次第で、そのどちらでも何かを堪えないといけない。前者は孤独に苛まれ、後者は慣れない行為に苦心する。


 だがその二択を選べる状況にすら、これまで憂月は面することがなかった。不幸体質と蔑まれ続け友人関係を築けなかった彼女が、半信半疑でいるのも仕方ないことなのかもしれない。


 そもそも不幸体質とは何が契機でそう呼ばれるようになったのか。


 憂月の過去を知ることで、全ての点が繋がるような気がしていた。


「遥斗兄さん、冷房もっと強くして」

「ああ、うん」


 梅雨明けからそれほど経っていないとはいえ、日中の気温は二十五度を超えている。そんなときに鍋をしようというのがまず奇妙な話だった。


 傍に置いてあったリモコンに手を伸ばす。その手がユウの手の甲に当たった。


「あっ、ごめん」


 咄嗟に謝ったが、その一瞬でユウの表情に違和感が生じる。どこかで見たような――


「どうかしましたか」

「……いや、何でも」


 冷房を強くしてと指示されたのは僕だった。なのにユウのほうが先にリモコンに触れていた。そしてユウにはリモコンを操作しようとする素振りがなかった。それはつまり、僕と手が重なるのを待っていた、ということであって。


 再びユウの顔を見る。まったく動じない表情で、今度は切れ長の眉一つ動かさない。


 ふと携帯が振動した。メッセージの主は司だった。


【一旦外に出てきてもらっていいですか】


 色々と思うところはあるが、指示に従ったほうが賢明に違いない。


【わかった】


 短い返信文を打った後、無言で席を立つ。


「お兄さん、どうされました?」


 そこに憂月が声を掛けてきた。言い訳を考えていなかった僕はたじろぐ。


「あ、えっと――」

「お隣がご在宅か確認するそうです」


 助け舟を出したのはユウだった。


「騒がしくなる前に一報入れておくべきかと思って私が提案しました」

「あー確かに近所迷惑になるかもですね。ありがとうございますユウさん」

「礼は遥斗さんに言ってください」


 坦々と述べ、僕よりも先に席を離れるユウ。


「行きましょう」


 どうにも行動が読めない。ただ者ではないのは間違いなさそうなんだけれど。


 ユウに後続して外に出る。陽は沈み、生温い空気が辺りに漂っていた。かといって不快でもなく、冷房の効いた部屋よりはむしろ過ごしやすく感じられた。


 扉を閉めると、ユウは大きく伸びをし始めた。


「はぁ、疲れますねやっぱり」


 先程までとは一転、クールな印象だったのが気さくな口調に変わる。声色はそのままで、大人びた調子がなくなっていた。


「シマネさんを連れてきたのは正解でした。酔っ払ったふりして上手く場を温めてくれています。それは私にはできませんから」


 スイッチが切り替わったかのように饒舌に話し出すユウ。戸惑いを隠せない僕は問わずにはいられなかった。


「いったいきみは誰なんだ」

「それ聞いちゃいます? では、ヒントはこの声」


 低かった声がさらに低くなった。しかもそれは聞き覚えのある声。


 まさか。


「きみが、司なのか」


 そこでようやく、見知った不敵な笑みが彼の顔と重なった。


「やっと気づいてくれましたね」



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