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死んでいった世界と、ありふれた悲しみのおはなし  作者: 吉野 諦一
第三章 さよなら、半分の世界
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命あっての物種


「作戦会議ですか?」


 例によってファミレスでチーズインハンバーグを頬張りながら、向かいの席の司は言った。


「遥斗さんにはお世話になってますから、話を聞くくらいお安い御用ですが」

「悪いな、恩着せがましくて」

「いえいえ、むしろ手伝わせてください」


 殊勝なことを言ってくれる。ミックスベジタブルを物凄い勢いでかき込みながらでなければもっと心を打ったかもしれないが。


「うわ……兄さんが妹尾先輩を餌付けしている……」


 借りてきた猫状態で僕の隣に座っている沙智が、放心した顔のままぽつりと呟いた。


「罪深いよ兄さん……あたしと一緒に悔い改めよ……?」

「沙智はいい加減現実に戻ってこい」

「ビスミッラーヒラフマーニラヒーム」


 なんか唱え始めた。普通に怖い。


「面白い妹さんですね」


 司も刺激するようなことを言わないでくれ。ほら小刻みに振動し始めた。


 果たしてこのメンツに相談して良いものかと一考する。しかしすぐに、他に相談できそうな相手がいないと気がつく。人脈の狭さを嘆いた。


 ちらほらと梅雨明け宣言が聞かれるようになり、僕らの住む地域でも現在降っている雨が止めばそうなるという話だ。長いようで短かった梅雨の終わりに、こうして僕は司と沙智を呼び出している。


 議題は、くだんの少女についてのことだった。


「憂月から色々訊き出したい。どうやったらいいか」


 僕の発言に、ふたりは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「いやぁ、それは無理だと思うんですが」

「あたしも同感です。教務課の小林さんに禁煙させるくらい無理でしょ」

「上手い例えだな。まさにその通り」

「いやその例えが僕にはわからない」

「つまり無理矢理ではどうにもならない、という話です」


 冷水を喉へ流し込んでから、司は問う。


「遥斗さんはカクリから何を訊き出したいんですか」

「何でも。向こうが隠していることは全部」

「プライバシーって言葉は知ってます?」

「その上でだよ」


 憂月は未だに語っていない秘密がある。僕にはその確信があった。だからこそ、彼女の願いを叶えた時点で僕からも願いを告げた。繋がりを失わないために。


「プライバシーを先に侵害したのはあっちのほうだ。この前、孤児院から連絡があった」


 沙智の表情が少しだけこわばった。構わず続ける。


「沙智の学友を名乗る女性が訪問してきたらしい。心当たりはあるよな?」

「……うん、あたしが白野さんに教えた」

「やっぱりか」

「でもまさか本当に行くなんて」

「僕だって訊かれれば教えていたと思う。けれど、もう少し警戒したほうがいいかもしれない」


 そこまでする憂月の目的がわからないのは、やはり不気味だ。常軌を逸していると言ってもいい。


 彼女は孤児院を訪れて、いったい何を確認したのか。


「こちらからも訊きたいことは山ほどある。どんな事情があるにせよ、問いただしておかないと気が済まない」

「なるほど、遥斗さんの気持ちはわかりました」


 司が神妙な面持ちになって言う。


「しかしあちらの意図が見えない以上、強引な手段は取れません。ただでさえカクリは何をしでかすかわからないですから」

「だよな。まったく、どうしてこんなことになったんだろう」


 普通の会話のように訊き出せるなら苦労はない。だが既に気安く尋ねるにしては度が過ぎてしまっているし、何より知らないほうがいいのではと思ってしまう。


 元から謎の多い少女だったが、今際の際を伝えた後になるといよいよ裏側の目的を無視し続けることは難しくなってきた。


「ともかく当人に探りを入れたいところだけど……どうしたらいいと思う、沙智」

「あたしは何となく心当たりある」

「そうか、では直接訊くのはやめておくとして――え?」


 聞き間違いだろうか。心当たりがある、と沙智が言った気がするのだが。


「すまない。もう一回言ってくれないか」

「あの子の目的に心当たりがある、って言ったんだよ」


 思わず凝視する。沙智の表情は得意げというより、呆れに近かった。


「兄さん……悪いことは言わないからもっと女の子の心理を学ぶべきだよ」


 やれやれと首を振る沙智。理解が追いつかないため、司に助けを求めるべく視線を送る。


 司は少しの間考えるそぶりを見せて、「なるほど」と手を打った。まさか今ので。


「理解したよ沙智ちゃん。あっ、言いにくいからさっちゃんでいい? 俺のことも名前で呼んでいいからさ」

「は、はひいっ! ……はわぁ、尊い……」


 天然たらしの司はともかく、沙智のキャラが正直よくわからない。


 僕の知らない高校での三年間で何かあったのだろうか。憂月のことより優先度は下がるものの、それなりに深刻な謎になりつつあった。


「遥斗さん。状況は概ね理解できました。要するに鍵を握っているのは遥斗さんということになります」

「何がどうなってそうなるのかから教えてくれないか」

「残念ながらそれはできません」

「なんでだよ」

「台無しになってしまいますからね。そんな野暮極まりないことをしては男が廃れます」


 隣で蚊の鳴くような声で「さすが先輩……男の中の男……」と呟いている沙智は放置するとして、どうやら僕は出来事の渦中にいながら知る権利を有していないということらしい。


「でも沙智、さっきは禁煙させるくらい無理とか言ってたじゃないか」

「なに言っているんですか。禁煙できない人なんてこの世にいませんよ」


 模範的な手のひら返しであった。


「より細かく言うなら、『兄さん』が白野さんから訊き出すのは無理なの」

「任せてください遥斗さん。貰った恩を利子付きで返させてもらいますから」


 幸い司は協力的だし、沙智も同調するだろうから助けは得られる。やや不安だが、ふたりに任せれば事は快方に向かうのだろう。


「わかった、任せるよ。多くは訊かないから、せめてどんなことをするのかだけ教えてくれ」

「ふっふっふ」


 満面に多幸感をぶら下げたまま、沙智はピースサインを掲げて提案する。


「こういうときは、女子会なのです」




  ◇ ◆ ◇




 女子会の会場は僕の自宅だった。


「どうしてそうなるんだ……」


 溜め息をこぼしながら粛々とシンクの前でレタスの葉を千切る。2LDKの間取りに沙智以外の客が来るのは三か月前に越してきて以来初めてのことだった。


「せっかくリビングのある家なんだから、お客を呼ばないとでしょ」


 沙智はそう言うが、そもそも僕は直前になって許可を取られたのだ。そこを問い詰めると、先に千世から許可を貰ったのだと白状された。僕が逆らえないのを含みに入れた沙智の狡猾な策である。


「千世姉さんは快諾してくれたっていうのに、兄さんはほんと思い切りが悪い」


 愚痴を言いたいのは僕のほうなんだけれど。沙智のレタスをひん剥く姿には有無を言わせぬ迫力があった。


 とはいえこの宅は本来千世と同棲するつもりで借りたマンションの一室なので、千世に許可を取っているならその点では文句は言えない。


「でも、外の店でやれば良かったんじゃないのか」

「わかってないなあ兄さん。家の中だから聞ける話もあるんだからね」

「泊まりにならなかったら何でもいいよ……」


 僕が言いたいのは女子会を男の独り暮らしの宅で行うことに問題は生じないかという話なのだが。どうにも嫌な予感しかしない。


「ちなみに参加するのはあたし含めて五人ね。白野さんと、つ、司先輩が二人連れてきてくれるっておっしゃってた」


 さすが司だと思ったが、果たして初対面の人も込みの女子会が盛り上がるのか甚だ疑問であった。


「ってちょっと待て。五人ってことは僕も入ってる?」

「え、そうだよ? 司先輩は来られないって言ってたし。うぅ、ざんねん」

「六人だと疑って訊いたわけじゃないんだが?」


 僕の知っている女子会の定義と違う。というか司が来ないなら男は僕だけじゃないか。


「司神……司先輩の連絡では二人とも白野さんと面識があるそうだよ。あたしはまあ、別に気にしないし大丈夫かな」


 この際神呼びは聞かなかったにするとして、僕と違い社交性の高い沙智なら初対面でも問題ないのかもしれない。だが気になるのは相手方のほうだ。


「憂月とも知り合い、って限られてくると思うんだけれど」

「あたし以外に友達いないわけだしね」


 何にせよ僕とは面識のなさそうな相手になりそうだ。


 許可した千世の心境を思うと複雑だった。元を辿るとこのマンションの一室は千世が入院する前から同棲のために準備していた物件なわけで、その計画が延期になった結果、就職とともに僕がひとりで住むようになった経緯がある。つまりまだ千世はこの住居に足を踏み入れてすらいない。


 沙智が押し切ったとは考えづらいから、千世は特に拘りを持っていなかったと考えるのが自然だ。だとしても僕が気にすることくらい彼女にはお見通しだろうし、その感情よりも優先して許可を与えるに足る理由があったのだろうか。


 考えても無駄だと思う気持ちはある。けれど僕は考えを放棄することをやめたのだ。彼女の全ては理解できなくても、考えることには必ず意味がある。そう信じたい。


 不意にインターホンのベルが鳴った。


「来たみたいだね。エントランスまで迎えに行ってくるよ」


 沙智はエプロンの紐を解きながらインターホン越しに応対し、足早に部屋を出る。少しだけ漏れ聞こえた声は、聞き覚えのない女性のものだった。


 さて、僕はどうするべきか。レタスは千切り終わったので気を遣ってもう一品くらい作っておくか。いや気を遣うというなら女子会に男が交じらないことが第一だろう。そもそも女子会とは何なんだ。もっとちゃんと説明しておいてくれよ沙智。


 長考した挙句、僕は抜け出すことに決めた。家主不在で新居に他人を入れるのは相当な抵抗があるが、それよりもここにいることで起こる面倒のほうが後処理が面倒そうだ。


 それにそもそもの目的を考えれば、彼女に少しでも警戒心を抱かせないほうがいい。彼女から情報を引き出すのが最優先だ。


 だから僕がここから離れるのは戦略的に必要なのだ。単に逃げたいわけではない。


 そうと決まれば大急ぎで靴を履く。紐を結ぶのに手が震えている。そんな馬鹿な。


「何しているんですか? お兄さん」

「何って見ればわかるだろ靴紐結んでるんだよ――って」


 見上げると憂月がドアを半開きにして間から顔を覗かせていた。


「へぇ、外出なさるんですね。これから『女子会』だというのに」


 僕は男子だ、と言い返すには甚だ強すぎる憂月の威圧感。いつもとオーラからして違う。


 いつも沙智から鈍感呼ばわりされる僕だけれど、さすがにここまで明確な意志の力に中てられては悟らざるを得なかった。


 憂月は――この女子会を滅茶苦茶楽しみにしている……!


「逃がしませんよぉお兄さん。私の長年の夢を成就させるために、手伝ってもらいますからね」

「ひぃっ」


 ドアの隙間から伸びてくる幽霊のような手に首元を掴まれ、上がる小さな悲鳴。


 かくして、僕は逆らう意志を根こそぎ奪われてしまったのだった。




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