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死んでいった世界と、ありふれた悲しみのおはなし  作者: 吉野 諦一
第二章 流転する運命と僕らの選択
12/23

いもしとどめば




 司の弾き語りは相変わらず冴えていて、あの日のライブの熱気を思い起こさせた。


 特設ステージは想像していたよりも大掛かりだった。けれどその壇上に立つ司は着飾らない普段通りの服装で、その出で立ちは通りがかった人の意識さえも惹きつけた。


 あれだけ黄色い声援が多々あっても嫌味がないのは、彼の帯びる求道者のようなオーラがあってのことだろう。あんなひたむきな姿を見せられたら、熱狂的なファンが現れるのも頷けるというものだ。


 弾き語りが終わった後、あのライブは決して憂月の独壇場ではなかったのだと今更ながら気づく。僕にそれを聞き分ける力がなかっただけに過ぎない。


 気がつかないだけで、世界には色んなものがある。僕は自分が知ったかぶりをしていることに目を向けていなかった。知らないことを、知らなかった。


 今際の際が見えるからと全てが見えているつもりになっていた。相手の気持ちも行く末も、全て想定できると本気で思っていた。神様にでもなったつもりだったのだろう。なんてくだらない勘違いだと恥ずかしくもなる。


 恋人の想いも、少女の迷いも、自分自身の感情でさえ、僕は理解していなかった。今だって理解できていないに違いない。だからまだ正解を見つけられずにいる。


 けれど、見えるか見えないかは表質的な問題でしかないのだ。見えているものに依存すれば浅薄で、見えないものに依存すれば空虚。表か裏のどちらか一方だけでは、答えに辿り着けるわけなんてなかった。


 可視不可視では判別のつかないものから何かを選び取りたいのなら、手探りしかないのだと僕は思う。求め続けた者にだけ、やっと納得のいく答えが見つかるのだろう。有形無形で曖昧模糊な、ともすれば矛盾した答えが。


 そんな苦悶の道を、僕も歩めるだろうか。

 ひとりでは不可能だったとしても。誰かとなら、或いは。




   ◇ ◆ ◇




 夕刻が近づくにつれて日差しは傾き、影を細長く引き伸ばしていく。祭りの雰囲気を惜しみながら帰路につく人波から、僕は距離を置いて歩いた。


 沙智から頼まれたのは、大学の敷地外にあるコンビニへ冷却シートを買いに行くことだった。用途は不明なものの急を要するとかで代わりに買い出しを頼まれたのだ。断る理由も特になかったので、親愛なる義妹のため僕は二つ返事で引き受けた。


 携帯の地図機能を使いながら、指定されたコンビニへと向かう。夏の予行練習みたく照っていた太陽も落ち着きを取り戻したようで、そこそこ過ごしやすい気候になっていた。


 道すがら、見覚えのある街路に行き当たる。立ち並ぶ古惚けた売店の隙間、地下へと続く階段が備わっている。潜り込めば厚い扉が待つ、『Hey音峯寺』への入り口。


 引き寄せられるように、昏い口の中を覗く。そこには段の途中で座り込む人影があった。


「……憂月?」


 名を呼ぶと、小さな影がぴくりと動いた。僕は階段を下りて、少女の隣に腰を降ろす。


「なんでこんな所にいるんだ」

「それはこっちの台詞です」


 元を辿ると、憂月が手洗いに行っているうちにその場を離れたのは僕のほうだ。だから、僕が先に尋ねるというのも妙と言えば妙な話だった。


「僕は冷却シートを買いに来たんだ。近くのコンビニに行くつもりなんだけれど、道に迷ってしまった」

「そうですか」


 素っ気ない態度の憂月。らしくない、と思いつつも会話が途切れないよう注意を払う。


「僕は答えたぞ。きみは何しに?」

「私も冷却シートを。はっぴぃに頼まれて」

「……そうか」


 薄々そんな気はしていたが、やはりこれは仕組まれた出来事だったらしい。相変わらず沙智はお節介を焼いてくれる。


「でも、どうしてこんなところで座っていたんだ?」

「休憩していたんです。見ればわかるでしょう」


 思ったより機嫌が悪い。というか、沙智の差し金だとはっきりわかっていそうな様子だ。しかしこの場に放っておくわけにもいかない。どうしたものか。


「道は、もちろんわかるんだよな」

「はい」

「じゃあ案内してくれないか」

「嫌です」

「頼むよ」

「私のお願いは聞いてくれない癖に」


 心底根に持っているらしい。不機嫌なのも向かい風。これは僕が折れるしかなさそうだ。


「わかった。教えるよ」

「本当ですか?」

「それできみが満足するなら」


 やっと憂月がこちらを向いた。ゾンビの化粧は落とされて、顔色も土気色から白に戻っている。とはいえ浮世離れした容貌であることには変わりない。間近で見るとさらに顕著だった。


「なんで急に。今まで教えてくれる気配もなかったのに」

「怖気づいた?」

「そっ、そんなわけないですけどっ」

「ならいいんじゃないか」


 右側の視界を遮る髪を掻き上げる。憂月の全体像を映し込むため、僕も壁に背中をつけて極力視野が広がるようにする。端々はぼんやりしているが、どうにか全身を捉えることができた。


 冷たい壁を肌で感じながら、ノイズが入り込まないよう意識的に眼を大きく見開く。こめかみがきりきりと鈍く痙攣した。


「けどその、いきなりすぎるというか、心の準備が」

「しつこい」


 既に僕には()()()()()。あとはどうなろうと関係ない。

 憂月が僕に尋ねれば、それで完了だ。


「自分の今際の際を知る覚悟はできたか?」


 わざと侮るように笑ってやる。もったいぶるつもりもないし、さっきの糾弾のお返しをするならこの場面だろう。


 それに、今が幸せだというのなら――今際の際を教えずにいる理由も、もはやない。


「……はい。教えてください」


 その言葉に僕は安堵した。もしも尋ねられることがなかったら、と内心怖れていたのだ。本当のことを伝えられずに秘め続けられるほどの強さは、どうやら僕には備わっていないようだったから。


 地表から滑り落ちた空気を浅く吸い込む。僅かな質量を舌の先に感じながら、僕はゆっくりと、それを言葉にした。


「きみの今際の際は、現在だ」

「現在……いまこの時、ってことですか?」

「そうだ」

「それは」


 憂月の作り物ではないほうの瞳が、ぐらりと揺れたような気がした。


「なんの、冗談ですか」

「本気だ。僕に大層な嘘を吐く器用さはない」

「胸を張って言えないでしょうそれ」


 思ったよりも憂月は平気なようだった。どこかで予感はしていたらしい。


 生きながらに死んでいる――今際の際がないのは死がないからではなく、現在進行形で死と隣り合わせているからなのだ。少なくとも僕はそう解釈していた。


「なるほど、私はずっと死にかけているわけですか。はははっ」


 憂月は乾いた声で自嘲気味に笑った。


「不思議な感じです。腑に落ちた、ってこういうのを言うんですね」

「納得するのか」

「これ以上ありませんよ」


 いつかは必ず訪れる自身の死期を前もって受け入れるのは難しい。僕はずっとそう思い込んで誰にも死期を伝えることをしなかった。その考えの根本は今現在でも変わっていない。


 でも、それは僕が勝手に決めつけていた人間の在り様の枠内だけでの論理だ。


 憂月はその枠組みに収まらない、予測不可能な存在だった。死んでいるのと大して変わらない状態のまま、それでも確かに生きている。そんな彼女に、僕はどこか希望すら見出していたのかもしれない。


 義眼の少女。白磁の人形。隔離姫。


 どんなカテゴライズも実情とは当てはまらない、白野憂月という一個人。


「今度は、僕の頼みを聞いてくれないか」


 迷いが消え去った今、ただ望むこと。

 それは誰にも打ち明けたことのない願いだった。


「この右眼を貰ってくれ。僕はもう、生命の絶えるところなんて見たくないんだ」


 そうして、完膚なきまでに否定してほしい。

 命の終末が半分を占める、この僕の世界は、間違っているのだと。


「はい――あなたが、そう望むのなら」


 憂月は小さく、けれど強かに頷く。


 そのときの仄かな震えを、僕は生涯幾度となく思い出すことになる。





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