光学迷彩
「金田さんは光学迷彩という言葉をご存知ですか」
「ええ、聞いたことはあります。映画の「プレデター」とか、アニメの「攻殻機動隊」なんかに出て来るあれですよね。光を屈折させることによって姿を消すという」
「まあ、だいたいそんな感じです。SFの世界だけの架空の物と思われがちですが、日本はもちろん世界中で研究されています。カナダでは量子ステルスと呼ばれるメタマテリアルも開発されました。決して荒唐無稽な物ではないんです」
「はあ、そうなんですか」
「社長はそれらのメタマテリアルとはまったく異なる方法で、着用することができる光学迷彩服を長年研究していたのです。しかし社長は極端な秘密主義でして、その研究がいったいどの程度まで進んでいるのか核心部分は私たち社員にも明かしてくれなかった。ああそうだ、金田さんにインビジブルスーツのプロトタイプをご覧いただきましょう。三階までお付き合いください」
私はインビジブルスーツにそれほど興味があったわけではなかったが、三階と屋上を見ておきたかったので、井土と三階への階段を上った。由紀恵は仕事のために二階に残るそうなのでひとまずここで別れた。
三階にはこの建物には似つかわしくない、何やら近代的な機器がたくさん並んでいて、いかにもSFに出て来る研究室のようであった。
「ここでレンズを製造しているのですか」
「いえ、ここは研究開発室ですよ。製造はこのビルの裏手にある別棟の工場で行っています。さあ、金田さんこちらに。このロッカーにインビジブルスーツの原型というべきスーツがあります」
井土はロッカーを開けると、なにやらきらびやかな全身タイツのようなものを取り出した。
「これがインビジブルスーツの原型のひとつ、ミラースーツです。これがここにあることを知っているのは社長と私だけ、金田先生で三人目ですね」
井土が両手で拡げて見せたそれは、表面が完全な鏡面になった全身タイツだった。
「うーん、確かにこれほどきれいなミラー素材は初めて見ますが、失礼ですがこんなものに光学迷彩の効果があるんですか」
「鏡は光学迷彩の基本ですよ。先生も三本脚の丸テーブルの脚に二枚の鏡を立てることによって、テーブル下に置かれた物体を見えなくするマジックはご存知でしょう。効果はもちろんあります。まあ見てください」
研究室の壁面に、模造の木々が並んだ小さな森のスタジオセットのようなスペースがある。ミラースーツをトルソーに着せて、そこの木の枝のひとつに吊るした。
「ああ、なるほど。鏡面のスーツに周りの木々が映り込んで森に溶け込んで見えますね。遠目なら確かにわからないかもしれない。まるでプレデターみたいだ」
「面白いでしょう。もっともこんな程度ではインビジブルとまでは言えません。社長の発想のユニークなのは、このミラー素材のスーツにわが社のレンズ作りの技術を組み合わせて、メタ素材を使用しないで完璧なインビジブルスーツを造ろうとしたことです」
「シンプルな発想で完璧を実現するということですね」
「もっとも学者にはずいぶんと馬鹿にされましたがね・・・それでも最近はスポンサー企業が付きまして、潤沢な資金も手に入れたのです。これからという時だったのですが、社長の死によって研究は大きく後退してしまった。さらにもしインビジブルスーツの完成品が犯人によって持ち去られているのであれば、わが社にとっては大変なピンチです」
由紀恵の婚約者であり次期社長と目されているらしい井土にとって、この事件はなんとしても早急に解決せねばならない大問題なのだろう。私が呼ばれたのは花城幸助の意思だけではなさそうだ。
「それで井土さん、今は私たち二人きりですから、腹を割ってお話しください。あなたは犯人にお心当たりがあるのでしょう」
井土は目を閉じて首を少し傾げ、かすかに口元を緩めた。
「さすが金田一耕助の再来と呼ばれるだけあって鋭いご指摘ですね。いえ、犯人に心当たりはありません。しかし私は内部犯を疑っているのです。わが社は見ての通りの零細企業で、社長を除けば社員はわずか五人の小さな会社です。誰にも疑われずに社内に立ち入れるのもこの五人だけです。この中に犯人が居る可能性は高いでしょう」
「井土さん、その考えには私も同意いたします」
「金田先生、あなたは探偵ですから、この私も嫌疑から外すことはないでしょう。もちろん、専務もです。それで結構ですので調査をお引き受けいただけますか」
「承知いたしました。では、これから私が自由に社内を歩き回ることを許可してください。見たいという場所は見せてください。社員さんには個別に聞き込みもいたします。それでよろしいですか」
「もちろんです。お引き受け下さってありがとうございます」
「では、早速ですがこの研究室の奥に、パーテーションで仕切られたスペースがありますね。あれはなんですか」
「ああ、あそこが社長専用の研究室です。別に鍵をかけているわけではないのですが、私ですら立ち入りが禁じられているのです。しかしもう社長は居ないのだからいいでしょう。私も興味があります、入りましょう」
そう言って立ち入った花城幸助の研究室であったが、そこには期待に反して、大きなスチールデスクと椅子、スチール戸棚、いくかの機材の他には何も無く、非常に殺風景であった。スチール戸棚を開けるとそこには、カップ麺や缶詰、レトルト食品や菓子類など、大量の食糧があった。念のため取り出して調べてみたが、すべて普通の食糧だった。
「社長はここで何日も籠って研究していることが多いので、食料を備蓄しているのですね。この階には湯沸室や簡易なシャワールームもありますので、泊まり込みは可能です」
デスクの引き出しは筆記用具以外すべて空で、床には足でペダルを踏めば蓋が跳ね上がるタイプのトラッシュボックスが置いてあったが、中を覗き込んでも紙屑ひとつ見当たらなかった。
「食料ゴミと紙ゴミはポリ袋に入れて一階の集積場に出しますから、このゴミ箱が空でも不思議はありません。本当に何もない。この部屋には書類も無ければ紙ごみも無いですね」
「犯人に持ち去られたのでしょうかね」
「その可能性もありますが、社長はとにかく秘密主義で、書類でも設計図でも試作品でも、用がなくなればすぐに工場にある焼却炉で焼却してしまうのです。だからいつも核心の部分は社長しか知らないということになる」
「社長が亡くなられた今、それはかなり頭の痛い問題なのでしょうね。では次に屋上を拝見したい」
「はい、屋上への階段はあれです。狭いので気を付けてください」
狭くて急な階段を上り切ると、やはり狭い階段室がある。コンクリート製の電話ボックスくらいの大きさで、階段を上がり切った正面にある、スチール製の扉を開けて屋上に出る。そこは特に何もない、ただ広いスペースだった。
「社長はこの鉄柵に錆止め塗料を塗っていたんですね。そして半分ほど塗ったところで柵にもたれて休憩した。そのときに誤って転落したというのが警察の見解だった」
私は井土にそう言ってから、幸助が転落したあたりの柵を確認した。
「柵の高さは低いですが、それでも1メートルはある。社長の身長が180cmだったとしても、普通にもたれていてバランスを崩して転落するとは思えません。確かにこれが事故死とは疑わしい。自殺でなければ、もたれているところを誰かに突き飛ばされた可能性がありますね。ああ、あの階段室、あの陰に人が隠れることはできそうだ。しかし・・・やはり防犯カメラの問題があるから、この建物から出入りはできない。うーん・・やっぱり透明人間の線しかないのかなあ」
いくら科学的な根拠があろうとも、不可能犯罪のトリックが透明人間であったと結論付けるのは、なんとも私の探偵としてのプライドが邪魔であったのだ。




