S.S.R.I本部
古い住宅街の一角に、長らく剪定されず伸び放題になっている垣根らしきものに囲まれている、安普請でしかも老朽化した民家のような建物がある。昭和レトロなガラス格子の引き戸の玄関の脇に、表札替わりに掛けられている小さな木の看板には『科学捜査研究所』とペンキで書かれていた。ここは表向きは県警刑事課に付属する科学捜査研究所(S.R.I)の分室ということになっている。
「それにしても相変わらずただの古い民家だな。昨年のコスモエナジー救世会事件の功績で、ここもちっとは予算が降りたかと思ったのに」
畳の六畳間のちゃぶ台に出された湯呑でほうじ茶を啜りながら、山科警部が言った。山科の言う通り、ここはとても化学捜査研究が出来るとは思えない、ただの民家だ。家具の類が何も無いのが普通の民家と違うところで、畳敷きの部屋には骨董に近いこのちゃぶ台があるだけだ。
「まあ総理の命を救いましたからね、いちおうここの存続が許されているのと、科捜研で唯一私たちだけに警察官としての捜査権が付与されたのが褒美みたいなもんですよ。警察庁科学警察研究所直轄組織としての超科学捜査研究所は表向きは存在しないんです。予算は県警科捜研のおこぼれで賄ってますから、この建物を維持できるだけましなんですよ」
そう応えた五十代半ばと見える飄々とした風貌の男は、S.S.R.I所長の田村貴仁だ。
「ふーん。あんたらの組織はなかなか微妙な立場なんだな。秘密組織ってのはあれだ、子供向けの戦隊ヒーローみたいな秘密基地を持っているわけじゃないのか」
「はい、これが現実ですよ」
田村はそう言って笑ったが、自己憐憫をまったく含まない乾いた笑い声である。田村は自分の立場には特に不満はないようだ。
「それはそうと山科警部。私たちS.S.R.Iにもいちおう内規がありましてね、私たちの能力を捜査に用いるのは過去のオウル事件やコスモエナジー事件のような、サイキック・アビリティ、いわゆる超能力を悪用していると思われる犯罪に限定されているのです。たとえばうちの宮下のサトリの能力で他人の心を読むというのは、究極の個人情報侵害ですからね。その能力を用いるケースは厳しく制限されなければならない」
「ああ、それはよくわかる」
「さらにこれは個人情報保護だけの問題ではないのです。私たちの能力は万能ではない。宮下のサトリの能力にしても、それが正確に働くためには、なによりも心を読む対象が宮下の能力を知らないことが重要なのです。ぼーっと考え事をしていたり、あるいは熟考している人間の思考は読みやすいですが、心を読まれることを警戒している人物の思考は読みにくい。また、ある程度サイキックに関する知識のある人なら、サトリの能力に対抗する技術を身に付けることもできます。心の周りに私たちがファイアーウォールと呼んでいる防壁を作ったり、あるいはノイズを多量に仕込んだりも出来る。さらには心で嘘をついて偽の情報を読ませることも可能です。私たちの存在が秘密であるのには、そういう理由もあるのです」
「確かに俺だって、あんたらに心を読まれないように気を付けてはいるからな」
「そこまでわかっていただけているのであれば、五角館殺人事件のような安物のミステリイみたいな事件に、うちの宮下を使われるのは正直迷惑であることもご理解いただけるでしょうね。今回の事件のおかげでSNSで噂になっていますよ。県警には超能力捜査官が居るとね」
山科警部は五分刈りの頭を掻きながら、少々ばつの悪そうな顔をした。
「事件の関係者かその身内の者が書きこんだのが広まったのかもしれんな。いや、すまなかった。確かに五角館程度の事件なら、警察の通常捜査で簡単に解決できるしS.S.R.Iに出馬要請するほどのものではない。しかし俺たちの標的はこの事件の犯人じゃなくて、名探偵の方だったんだ。奴の絡んでいる他の事件がね、もしかするとまたしても国家的脅威になるかもしれんということで、あんたらの協力を仰ぐよう上の方からの強い要請があったんだ」
「こちらにもいちおうそんな話は来ましたがね。しかし、それは私たちS.S.R.Iが出張るような性質の事件なんですか」
「サイキックが絡んでいるかどうかまではまだわからんが、超科学的な事件なんだ。ここは超科学捜査研究所なんだろう?」
やれやれ・・と田村は苦笑いを浮かべながら茶を啜った。
「いいでしょう。まずはこの事件にサイキックが関わっていることを確認してください。それまでは宮下君の能力を使用することは制限させていただきます」