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聞き込み1 松下真一

 井土から社内を自由に歩いてもよいという許可を得た私は、二階に戻り社員からの聞き込みを開始することにした。由紀恵から社員名簿を預かると、まずはデスクでPCを操作している青年に声を掛けた。


「忙しいところ申し訳ない、探偵の金田です。ええと君は・・・」


「松下真一です。忙しいと言っても、この事件が片付かないとまともに仕事できそうにありませんからね。協力しますよ、何でも聞いてください」


 私は近くの空いている椅子を引き寄せて、松下の隣に腰を掛けた。


 松下は利発な顔立ちで、しかもなかなか意思の強そうな雰囲気を持っていた。名簿と共に預かった履歴書によると、T大学理学部卒の秀才である。


「松下さんはT大卒のエリートのようだけど、こういってはなんだがどうしてこちらような零細企業に就職したのかな?」


 松下は身体を私の方に向けて、唇の右端を少し吊り上げるような笑みを浮かべて答えた。


「三年前に産業見本市を見物していたときに、花城レンズ工芸のブースでとんでもない物を見たからですよ。これです、見てください」


 松下はデスクの引き出しを開けると、何かプラスチック製のクリアファイルケースのような物を取り出し、私に手渡した。それは一見なんの変哲もないクリアケースであったが、よく見ると表面に細かい凸凹があり、光が当たるとダイヤモンドのように煌めいた


「見ての通りのクリアケースなんですがね、ここに・・そうだ、この不動産屋のチラシを入れてみましょう」


 松下は新聞の折り込みチラシをクリアケースに入れると、両手でそれを自分の顔の前にかざすように持ちあげた。


「あれ、これは・・・」


 確かにクリアケースに入れたはずのチラシは見当たらず、ケースを透かして松下の顔が見えていた。まるで手品である。


「手品じゃありませんよ。チラシはちゃんと中に入っているんです。このクリアケースは社長が作ったインビジブルシートで出来ているんですよ。光を複雑に屈折させて、チラシを避けて通しているんです。信じられますか?これ、社長がほとんど趣味で作ったんですよ。あの人は間違いなく天才だ」


 私ははっきり言って、井土に見せられたミラースーツ以上に驚いた。


「こうやってほらこのまま床に置けば、クリアケースごと姿を消したでしょう。完全に見えなくなった。たくさんあるから、よかったらひとつお持ち帰りください」


「これはすごいな。この素材があればインビジブルスーツも作れるんじゃないか」


 私の言葉を聞いた松下は、突然笑い出した。


「ははは・・・インビジブルスーツですか。常務から聞いたんですね。金田さん、それは無理ですよ。光学迷彩というのはそんな単純なものじゃないんです。このインビジブルシートにしても、ちょっと角度を変えるとほら」


 そう言ってクリアケースの端を持ちあげ少し傾けると、チラシがはっきりと出現した。


「このシートの迷彩効果は真正面から見たときにか得られないんです。だからこの素材でスーツを作っても、やたらキラキラした半透明の全身タイツにしかならない」


「そういうものなのか・・・じゃあインビジブルスーツは不可能だと思うかい?」


 松下は真顔になって少し考えてから答えた。


「社長は確かに天才なんです。ただし科学者ではなく天才職人なんだな。このインビジブルシートだって、いちおうは計算して作ったのだろうけど、最終的には社長の仕上げでないと完成しない。僕は試しにこれからキャストを起こして複製してみたんだけど、まったく迷彩効果は再現できなかった。科学的にはこのインビジブルシートは存在し得ないんです。科学というのはね、再現性がなければ証明できないんですよ。野口英世がノーベル賞を逃したのだって、彼が超絶技巧の天才実験職人だったため、彼の実験結果を世界中の誰も再現できなかったからです。だから僕は科学的にはインビジブルスーツをこの会社で作るのは不可能だと思います。しかし社長が作ったと言ったなら、出来たのかもしれないとは思います。実を言うと僕は社長に何度かインビジブルスーツの図面らしきものを見せられて、意見を求められました。僕は率直にこの図面では無理だと言いました。社長は必ず僕を納得させる図面を書くと言ってました。しかしその社長は今は居ない」


「なるほどね。しかし井土さんは、スポンサー企業から潤沢な資金の提供を受けたと言ってたけど」

「それはそうでしょうね。このインビジブルシートだって、社長にとっては単なる遊びでも、見る人が見れば驚愕の発明ですからね。メタマテリアルの量子ステルスとほとんど同じ効果を、ただのアクリル素材で作れるんですから、これが量産できれば企業はいくらでも金出しますよ。そして僕がこの会社を選んだ理由がまさにそれですから」


「つまり君の能力で量産を可能に出来ると」


「この会社に居るのは僕以外は皆さん職人です。常務は確かに社長に次ぐ技巧の持ち主ですが、まだまだ社長には及ばない。僕だけが社長の技術を数値化して、再現可能にできる知識と能力を持っているんです。どんな大企業に就職しても、こんな歴史的な大仕事に関われるチャンスなんてありませんから」


 松下がかなりの野心を持って花城レンズ工芸に就職したことがわかったところで、別の角度の質問をしてみた。


「君から見て、この会社の他の社員はどういう人たちかな」


「みんないい人たちですよ。この会社はもともと家族経営。家内制手工業ってやつですね。だから古い人たち・・常務と三上さんは社長の家に住み込みですし」


「ああ、そうなんだ。じゃあ、社長と由紀恵さんと井土さん、そして三上さんは同居しているわけか」


「そうです。彼らは本当に家族みたいなものですね。三上さんは社長の親類か何かで、事情があって中学を卒業すると同時に社長に預けられたみたいです。それからずっとここで働いていますから、常務より古いはずです。あの人は社長を神様のように尊敬していますね。いや尊敬というより信仰に近いかもしれない。ただ残念ながら職人としては凡庸で、常務には及ばないんです」


「その常務、井土さんはどういう人かな」


「常務は腕のいい職人ですよ。現在、主要な製品はすべて常務の手による物といってよいでしょう。花城レンズの名を汚さない、超高精度のレンズを作っています。ただ、あの人も科学者ではないので、社長の言うことを無批判に信じちゃうところがある。だからインビジブルスーツの実在を疑ってないんじゃないかな」


「専務の由紀恵さんについては」


「専務は主に事務職で、職人としての技術はありません。仕事の上ではけじめをつけていますが、素に戻るとみんなのお姉さんみたいな存在なんでしょうね。ああ見えて普段はほがらかでよく笑うんですよ。社長は専務と常務を結婚させて、常務を跡継ぎにするつもりだったのでしょう」


「なるほど。それから問題の社長が転落死した時刻だけど、松下さんはどこに居たのかな」


「ええと、たしか一人でここに居ました。だからしばらく気づきませんでしたね。専務と常務が大騒ぎで階段を降りてきて初めて事件を知ったんです。あれはハワイ旅行から帰った翌日でしたね」


「ハワイ旅行?」


「あれ、聞いてませんでしたか。前日まで社員旅行でハワイに行ってたんですよ。例の企業からの資金提供もあって潤っていましたから、社長が奮発して社員全員をハワイに連れて行ってくれたんです。楽しい旅行から帰ってすぐに、まさかあんなことになるなんて思ってもみなかった」


 ハワイ旅行に行っていたというのは新情報であったが、事件と関係ありそうにはない。松下から聞き出せる情報は今の段階ではとりあえずこんなところかもしれない。


「ありがとう、また何か聞きたいことができたら、よろしく頼みますよ」


「ええ、いつでもどうぞ」


 私は次に、最も古参の社員である三上信夫から話を聞くことにした。

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