湯船という干渉に浸る二人の勇者
〜第六城砦 建物内〜
魔人種との戦闘が終わり、汚れた二人の勇者が建物に入る。
海崎と星華が案内されたのは浴場だった。
前線の士気に関わる環境整備にも、王国軍は力を入れている。城砦にはそれなりに大きな風呂が用意されていた。深夜であることもあり、人のいない貸し切り状態。
「大丈夫?」
「…はい」
上位回復薬で傷や打撲痕はなくなっても、土や煤の汚れ、血糊が付く痛々しい体を見て星華が海崎を心配する。
そういう彼女もまた、同じ様な姿だった。
バシャーーー…
頭から湯を被り、煤や血痕は洗い流せても、心機一転とはならない。
二人の間に沈黙が流れる。
ザパァーー…
湯船から二人分の体積の湯が溢れ出す。
「「ふぅ…」」
4日ぶりの湯船。身体的にも精神的にも疲労している彼女らの身に染みた。
星華も海崎も無言の空間に耐えれなくなり、何を語り出そうか考え倦ねる。
「「はぁ〜…」」
そして二人の言葉は溜息となって出た。
「情けないわね…」
「…はい…。虚しさもあります」
「そうね…」
再び沈黙が流れる。
二人は、「勇者様」ともてはやされてはいるものの、実際には自分を守ることで精一杯だった今回の戦闘で、その無力さを叩きつけられた。
だが、その事実から二人を悩ませたのは別の問題だった。
星華を悩ませたのは、勇者としての力不足と己の存在意義。
海崎の感情を沈ませたのは、仲間としての在り方とも言える問題。
「…澪緒ちゃんは、何でそんなに暗い顔をしているの?」
今回の戦闘は、遠距離職の彼女が短刀を持って戦わざるをえなかった状況下だった。星華にしてみれば、海崎が近接戦闘であれだけ奮闘できた時点で、彼女は勇者として十分すぎる働きをしたと感じている。
それに今回のことを除いても、彼女が零に頼りにされていることも知っている。それは固有スキルがあるからという理由だけでない。星華にしてみれば、海崎が沈む理由は思い当たらない。勇者としての素質も存在意義もはっきりある。
「何って…星華さんこそ、何にそんなに落ち込んでいるのですか?」
海崎は知っている。星華はみんなのお姉さんとしての役割があり、欠かせない存在。仲間から頼りにされ、彼女にしかできないことをしている。だから彼女が何に悩み苦しむのか思い当たらない。
「…力不足だったことよ。任された砦も満足に守れず、あまつさえ零くんに助けてもらって…。私が勇者をしてる意味とか、この世界に残ってる意味ってなんだかなぁ〜って思っちゃって」
二人の脳裏に過ぎる先ほどの戦闘情景。零が二人を庇う様に一人で魔人族二人と麒麟三体を相手にし、僅か数分で片付けたその華麗で流れる様な姿。
勇者の反射神経と動体視力、武術センスに加え、師匠からある程度の武術を学んだからこそ分かる零の異次元の戦闘力。あの場で参戦する方が邪魔になるとまで感じた圧倒的な差を思い返す。
「…でも星華さんは羨ましいですよ…」
「?」
パシャリと星華が勢いよく海崎の方を向く振動が、水面に波紋を広げる。
「…なんの話?」
思わず星華は聞き返す。
「…星華さんは、勘違いしてます。星華さんは私たちのまとめ役で、みんなが頼りにするお姉さんで…。星華さんが勇者をやる意味がどうとか、勇者としての強さとか、星華さん自身が分かる範囲なんてほんの一部ですよ…」
「澪緒…ちゃん?」
「例え星華さん自身でも、自分を貶めるようなことは言わないで下さい…。勇者をしている意味とか、理由とか力不足だとか…言わないでください…。私たちが一つでいられるのは紛れもなく星華さんのおかげなんですから。私たちには必要なんです…」
海崎は自分にそれだけ仲間に還元できる力もなく、それを持つ星華を羨ましく思う。その感情が爆発し、当たる様な口調で言い放った。そして、横を向くと目を見開いたまま固まる星華の表情に気づいて我に返る。
「…す…すみません…」
”何に”とは主語を言わずに海崎は目を逸らし、顔を水面に埋める。そして勢いで言ってしまったことを後悔した。
バシャッ!!
星華は勢いよく湯を自分の顔に掛ける。
バシャッ!!バシャッ!!
顔を洗って上を向く。
「…あり…と…」
掠れた小さな声で星華の声が漏れる。
「?」
「ありがとね…」
今度は聞き取れる声で、海崎の言葉にお礼を言った。
「…いえ…」
「あぁ〜あ。今日は鉄分も塩分も放出しちゃったわ」
海崎の目には、先ほどとは一転し、明るく振る舞おうとする笑顔が映った。
星華の心の中では複雑な思いだった。だがそれでも、自分が必要とされていることに感謝する。ぐちゃぐちゃな自分でも分からない感情を抱えつつも、彼女らが求めている”みんなのお姉さん”である自覚を強く持つ。
自分より年下の女の子が、こんなに苦しんでるのに、自分が悲しんでなんていられない…。奮い立たせる様に己を強く持つ。
空元気でも、見栄でも、私はみんなのお姉さんだ。それだけは譲ってはいけない。
星華はそんな思いで自分の中のマイナス感情を封じ込めた。
「それで?澪緒ちゃんは何に落ち込んでるの?」
星華の目には、先ほどまでの自分の様な海崎の姿が映っている。彼女の姿を見て、いつもの彼女に戻すのがお姉さんである自分の役目だと決意していた。
「…私は…私のは勇者の義務とか責任とか、存在意義とか星華さんみたいな崇高な悩みじゃありませんよ…」
「どういうこと?」
「もっと醜くて自分勝手で傲慢な願望の代償です…」
星華は海崎がはっきり言及しないが、伝える気がないということを察する。目を逸らす彼女の正面に来てニコやかに笑う。
「残念だったわね、澪緒ちゃん。私はみんなの星華お姉さんよ?悩みは放っておかないわ。話すまでこのまま長風呂ね。私は何時間でも耐久できるわよ?」
「…強引ですね…」
「押してダメなら押し倒せって言うのが我が家の家訓だからね。引いたりはしないわ」
「…」
海崎は言うつもりはなかった。だが、いつもの星華さんが見せる魅力に縋りたくなる気持ちが芽生える。
「…だから星華さんは羨ましいんですよ…」
海崎は先ほどと同じ言葉を小さく言う。そういうところが羨ましいのだ、と。
そんな彼女だからみんなのリーダーとして頼れるし、頼られる。そして自分はそういう力がないことも知っている。人を導く力や癒す力もない。能力やステータスではない人しての魅力が違う。…海崎はそれを再び強く感じる。
「ん?なに?」
海崎は深呼吸する。自分自身、どこからが勇者としての問題で、どこからが自分の問題なのかわかっていない。
「私は”仲間”でいたいんです…」
「…私達は仲間じゃないの?」
「そうです…そうなんですが…。それは言葉の上でのことで、本当の仲間ではないのでは、と今回思い知らされました」
「…もしかして…零君と?」
「……はい…」
星華は海崎の考えていることがなんとなく分かった。彼女は自分とは違うことで囚われていることを。そしてそれがまた現実であるからこそ、悩ましい問題であることも理解した。
「…あの戦闘の最中、私は零さんの”仲間”ではなく、”守る対象”でした…」
海崎は自分が遠距離職だからこそ、彼を援護できた可能性はあるはずだった。だが、そんな余地は全くなく、ただ見ているだけしかできなかった。それが惨めで、悲しく、虚しい。その事実が重くのしかかる。
「私は…。っ…」
海崎は言いかけた言葉を飲み込む。
「仲間でいたいと?」
言いかけた言葉を星華が紡ぐ。
「…今が仲間じゃないという訳ではありません。零さんもそう思ってくれている…とは思います。でも、…守られる存在ではなく、対等な仲間でいたいんです…けど、それは逆に足手まといになる結果しか見えません。私が対等でいようという思い自体が、彼にとっては足手まといでしかない…それを思い知らされました」
事実、あの場では動かないことが正解だった。零は一人で全てを片付けることはさほど苦労しない。逆に彼女らが動き、不確定要素を増やす方が、彼の足を引っ張る自体になっていた。だから二人は動かなかったし、それが一番の戦力的な貢献の形でもあった。
「…もし零さんが本当に力が必要な時、私は力になれません。別に、今の関係が仲間じゃないなんて思っていませんよ?でも、…必要な時に力を貸せる存在になりたいと思うのは傲慢でしょうか…。対等でありたいのです…」
「…対等な存在ね…」
星華は自分もまた、海崎の理論でいけば彼と対等な存在にはなりえないのだろうと思う。
「何ヶ月…何年かければ零さんに並ぶことができるのでしょう…あの領域まで行ける未来が全く見えません…」
それは人が羽ばたいて空を飛ぼうとするようなもの。どれほど訓練に鍛錬を重ねても、彼の見せた次元に届く自分は想像できないでいた。
「ふふっ」
「!?」
急に笑い出した海崎は驚く。別に面白い話をしていたつもりもないし、どこが笑いのポイントだったかと自分の言ったことを振り返る。
「ごめんなさい。別に澪緒ちゃんの言ったことを笑ったつもりはないのよ?」
「で、ではどうして…」
文脈も読めずに反応も読めない星華に、海崎は戸惑う。
「澪緒ちゃんがあんまりにも”恋する乙女”をしてるから」
「…は…い?…あの、一応言っておきますけど、別に私は零さんに恋心を抱いている訳では…」
海崎は、目の前のお姉さんが急に修学旅行の女子会並みの発言を繰り出したことに半ば呆れながらも、一応は訂正しておく。
「同じことよ。女の子が誰かのために何かしたいって思った時はもう恋なの」
「そ、それは暴論では…」
「そうかしら?確かに私達と彼らには差があると思うわ。でもね、そこは重要じゃないと思うわ」
「…そうでしょうか…。星華さんも先ほどは自分の力不足を…」
「ええ。でもそれは”仲間との力の差”を感じてではないわ。敵との差よ」
「…!?」
「澪緒ちゃんは零くんに戦って勝とうとしているのかしら?」
「い、いえ…」
「ならいいじゃない。人には向き不向きがあるのよ?何も彼と同じ分野で対等になろうなんて思わなくてもいいと思うけど。他のことで力を貸せばいいのよ。例えば…」
「…例えば?」
「そうねぇ…あ、お茶を煎れてあげるとか?」
「…急に日常的で具体的な内容ですね…」
「私の見立てでは零くんが今一番求めているのはそれだと思うけど?」
星華は、ここに来るまでの旅路で、零が海崎がいれたお茶をわざわざ持ってきたことを思い出しながら語る。
星華の言う意味と、零の意図とは若干意味合いは異なるが、お茶を入れて欲しいという意味自体に間違いはない。
「…考えておきます」
海崎も彼女の意図は分からないが、外でもない星華の助言は前向きに検討することにする。
「それにさ」
「…はい」
「そういう問題ってすぐに解決しないものよ。だって私たちはまだ出会って一ヶ月よ?それまで赤の他人で接点もないのに、全部分かり会おう助け合おうなんて無理な話よ」
「一ヶ月…。そうですね…」
海崎も言われて気づくその時間の短さ。既に長年の関係だと錯覚する程濃密な時間を一緒に過ごしているのだ。
「焦らないでいいと思うわ。歩み寄るにせよ、別の方法で支えるにせよ。もちろん、私もできる限り頑張るつもりよ?それ以上必要かしら。それ以上を彼らが望むかしら。」
「そう…ですね…はい」
二人の体は芯まで温まり、血圧も上がる。
「ちょっとは元気出たかしら?」
覗き込む様に海崎の火照った顔を見て、星華さんは微笑む。
「…元気なのか空元気なのか分かりませんけど…。星華さんのおかげですね」
「お風呂のおかげよ。お風呂はやっぱり偉大よね!零くんが日本人の魂って言う気持ちも分かるわ!」
わざと明るく振舞う星華の心遣いに、海崎は察して感謝する。
「…同感です」
二人は敗北に等しい仕打ちを受けながらも、心身ともに穢れを湯水で流し湯船を出る。
辛い思いも、悔しい思いも、惨めな思いも消えはしない。複雑に入り混じる感情も、どうしようもない。それでも、隣に同じ勇者として奮い立つ仲間がいる限り、逃げることなんてできない。
前に進むしかない。
それを再確認することが出来ただけ、気持ちは楽になっただろう。
長風呂となった二人だったが、少しばかり軽くなった足取りで浴場を後にした。




