なんだかんだ中国縦断
中国からの出国、ベトナムへの入国は汚い身なりの私でもすんなり通れた。中国人の役人からは会う人会う人から「中国はどうだった?」と聞かれて参った。毎回毎回、笑顔で「グッドだったよ!」「また来るよ!」と答えてまわった。国境になっている川は氾濫して茶色の濁流が流れている。
国境を越えるとそこはベトナム、モンカイ(芒街)という街だ。特段風景も変わらないので何も考えずフラフラ歩いているとおじさんに話しかけられた。そこで私は久しぶりに「うーむ、困った」が出てきてしまう。
私はベトナム語を全く知らなかったことに気づいた。なんだか急に不安になってきた。中国では漢字で筆談もできたのでそこまで困ることはなかったし、中国語も少しなら理解できるようにもなっていた。しかし、ここはベトナムだ。当然おじさんはベトナム語で話しているのだろう。「私は中国人じゃないよ」とアピール。ようやく私が中国人ではないとわかると、「エクスチェンジ(両替)」というワードが出てきた。そういえば私はベトナムのお金も持っていないことにそこで初めて気づいた。こんな路上なんて間違いなく違法で、ぼったくられているのは百も承知だが、最低限のお金がないと移動もできないと思い、小さな額の紙幣のみ渋々両替してもらう。
おじさんが今度はバイクの後ろを指差し、「乗れ」と言う。どこにいくか聞いても全く要領を得ないので、運賃を要求されても絶対に払わないぞと心に決めてバイクに跨った。5分も走らないうちにバスが多く止まっているバスターミナルのようなところへ着く。おじさんが私の腕を引っ張りながら「ハーロング?ハーロング?」「OK?OK?」としつこく聞いてくるので私もだんだんイライラしてきた。私は日本語で、おじさんはベトナム語で少し口喧嘩のようになり、私は一人で反対側へ歩いていった。おじさんは着いてこなかった。
日本に帰国した後にわかったことだが、おじさんの言っていた「ハーロング(Ha Long)」はハロン湾で有名な都市「ハロン」のことであった。モンカイから一番近い都市であり、旅行者の私はハロンに行くだろうとおじさんが勝手に思い込んでいたのだろう。地図でも見せてくれていたら、どうせ私には目的地もなかったのでハロンまで行っていたのにと私はちょっぴりおじさんに申し訳ないなと思った。
さておじさんと別れたものの、どうしたものかと砂埃舞う道を彷徨っていた。スーパーマーケットがあったので、日常品の価格で物価を確認した。ベトナム紙幣は0がやたらと多く、疲れていた私は完全に思考停止してしまう。一旦お店を出て、身なりの整ったタクシー運転手が数人集まっているのが見えたのでちゃんとした両替所を紹介してもらう。多分そこも完全に正規の両替所ではなさそうだったが。
100円=25,900ベトナムドン
インフレした結果こんなに0が増えたのか分からないが不便そうな通貨だ。そしてベトナムにいつまでいるか分からないので、ひとまず1万円分。
私が知っていた地名がハノイとホーチミンの二つ。北がハノイであることは知っていたので、バスターミナルでハノイ行きのチケットを購入し、バスに乗り込む。おっと、見たことのある光景だ。2段ベッド式夜行バス(今、私が名付けた)との再会である。出発まで1時間ほどあったので他の乗客はほとんどいない。「これはラッキー!」と一人ほくそ笑みながら一番運転席に近いところをゲット。ふふふ、二度と臭いトイレの隣で寝るものか。
荷物だけ置いて腹ごしらえに。運転手におすすめのお店を聞いたのが大成功。甘辛いソースがかかった鶏肉と卵の炒め物というシンプルなものだったが、タイ米のような米との相性もピッタリで一日の疲れが吹っ飛んでしまった。そしてまた一人ほくそ笑むのだった。ふふふ。