出国
2012年の出来事をウィキペディアで見て、8年前の旅行に思いを馳せてみた。確か当時、私は大学2年生だった。4流大学のちゃらんぽらんな大学生。我ながら典型的なモラトリアム期間を満喫していたわけである。そんなグウタラ期間の一環として1ヶ月ほどアジアでも一人ちゃらんぽらんとしていたのだ。なぜ今更8年前のグウタラリアム期間に思いを馳せていたか。そう、今では私も社会人6年目。そろそろ自分が社会人に向いてないことに気づく年頃なのだ。よく頑張ってるよ、俺。うんうん。となると過去の思い出にすがるくらいしか今の自分を保つことが出来ないわけである。
うーむ、なんだか暗い方向に進みそうなので、こんな書き出しはもうやめよう。
8月上旬、成田空港までの京成線の車内は半袖の身には寒すぎた。リュックの中にはマウンテンパーカーも入ってはいたが、大きなリュックをガサゴソ探すのに車内は狭すぎた。震えながら寒さに我慢していると近くの席に同じように薄着の若い女性が寒そうに座っており、なんとなく日本人ではなさそうな雰囲気を醸しだしていた。これからの夢と希望に溢れた旅行への期待感に高揚していた私はその女性に話しかけたのだ。今思えば、いくら空いていても電車内で他人に話しかけるなんて、不審者中の不審者だ。その場に正義感の強い大人がいたら取り押さえられても文句は言えないだろう。
私「めちゃくちゃ寒いね。」
女性「?」
やはり外国人だ。
私「(英語で)すごく寒いね。上着を持っているけど着る?」
女性「寒いけど大丈夫、ありがとう。」
当然の拒否。だが特に警戒されることもなく雑談が続くと、彼女は韓国系のアメリカ人で京都など観光に行ってきたと言う。成田空港が近づいてきてた。飛行機の時間まで一緒にお茶でもできればなんて下心をひそかに隠していたが、空港に着くとなんとなく誘う感じではなくなりそのまま別れてしまった。仕方なく一人で時間までフラフラしていると書店があった。海外ではガチガチに固めた計画で観光地を巡るのではなく、公園で読書をしたり、優雅に時を過ごすことに憧れていたので、小説を何冊か買っておいた。
その後は滞りなく出国でき、中国入国も片道切符だったが特に指摘されることなくパスできた。北京空港から市内まで電車が走っているので、それらしき電車に飛び乗る。路線図を見てもイマイチわからない。勇気を出して優しそうな男性に話しかけた。
私「ニーハオ。北京市内まで行きたいんです。」
ニーハオとシェイシェイが唯一知っていた中国語だ。
男性「それなら降りる駅で教えてあげよう。」
その後は何を話したか覚えていないが、無事目的地の駅についた。別れ際に男性に言われた一言が今でも頭から離れない。
「welcome to china!」
ガッチリと握手をし、電車を降りた私は「中国を目一杯楽しんでやるぞコノヤロー!」と一人息巻いた。