09 智謀
小川のせせらぎの音や、小鳥の囀りが心地よく響く森の中。
小動物が樹上を走り回り、時折木の実を地面に落とした。
一人の少年が、物憂げに歩いている。
眼鏡が日光を反射し、整えられた髪が彼の性格の一端を表していた。
はあ、とため息を一つ。
そして、俯いた拍子に小石に躓き、そのまま柔らかい地面に身を投げ出す。
平たく言えばズッコケた。
勿論、狙ってのことではない。
どんなに地面に草のクッションが敷かれていようと、痛いものは痛かったようだ。
「クソ、なんで僕がこんな目に合わなきゃならないんだ」
身を起こして膝についた汚れを払いながら、一人愚痴る。
はあ、とため息をもう一つ。
今度は服の裾に木の枝が引っ掛かり、バランスを崩して後ろ向きに倒れる。
「…踏んだり蹴ったりだよ、もう。ああ、暖かいベッドと風呂が欲しいなあ。ついでにもっと軟らかいパンも…」
ベッドは硬い。風呂は無い。日々の食事も地球と比べると硬くてまずい。
これだけで以前、自分がどれだけ恵まれているかがわかった。
億劫そうに瑛貴は立ち上がる。
そして、異変に気付いた。
小鳥の鳴き声がしない。
小動物もどこかへ消えている。
そして空高くそびえる大樹の頂点に、それはいた。
不気味に輝く二つの眼。
黒く歪んだ翼。
外見としては鴉を倍したようなものだが、見る者に不快感を与える姿がそうではないことを物語っていた。
野生の鳥が魔物化したのだろう。正に、魔鳥。
しかし、大きさが普通のものとは一線を画していた。
マナ濃度の高い森の奥から獲物を探して来たであろうその外見は、翼を広げれば三メートルはある巨体だった。
目が合う。
きっかり三秒後、蓮斗は魔鳥とは反対の方向に全力で逃亡していた。
「無理無理無理!! 無理ですから! あれと戦うとか絶対無理ィ!」
魔鳥は耳障りな声で一声鳴くと、蓮斗に狙いを定めて飛び立った。
禍々しい影が自らの頭上に落ちることを確認した瑛貴。
「ああ、くそ! やるしかないのかっ!」
覚悟を決めて振り向き、落ちた影の上空に向けて杖を振りかざした。
先端の紅い宝石が輝き、そこから魔法陣が展開される。
「威力調整、照準調整ーーーーーーここだっ!」
魔鳥の高度と速度を目測で大雑把に計算しながら、魔法陣に流し込むは風の魔力だ。
「【象るは刺、廻る緑風、還る起点、荒咆風喰】!」
実態を持たぬ圧縮された風の魔術が、魔鳥に向けて放たれた。
周囲の空気を巻き込みながら進む暴風は、命中すれば地面へと墜落すること間違いない。
当たればの話だ。
魔鳥は空高く舞い上がり、悠々とそれを回避する。
マズイ、機動力が想定と違う! と、焦りを顔に浮かべる蓮斗を見て、勝利を確信した魔鳥の、紫色に輝く眼光がなびく。
そして大きく旋回し、凶悪なかぎ爪をもってして獲物に止めを刺しにかかってくる。
「【牙を剥くは大地、暴れ喰らえ、土崩激槍牙】!」
無論、瑛貴とて簡単に殺される気は毛頭ない。
発動した魔法陣は地面に拡大され、形を変えた大地は先端へと鋭く尖った柱に姿を変える。
が、やはり魔鳥は急激に減速し、再び天空へと上昇した。
それだけで針の形状を模した土の柱は、無用の長物と化してしまった。
魔鳥は油断していない。
狙いを定めた獲物に注目し、如何なる攻撃も見過ごさぬように機を見計らっている。
そんな魔鳥は未だ上昇を続けている。
そして再び急降下しようと翼を大きく広げ、瞬間、右翼に強力な衝撃が走った。
何が起きたかも解らぬまま、バランスを崩した魔鳥は無様に落下する。
眼下に映る瑛貴の顔には、会心の笑みが浮かんでいた。
「一度放った魔術を術者に引き寄せる大幅な指向性の変化、これが原型を持たない風魔術の利点だ!」
強力だが、飛翔する相手にとっては回避は容易な風の魔術。
つまり、一度空中に放った魔術をブーメランのように舞い戻らせたのだ。
そう、当たればの話である。
そして落ち行く先には、無骨な一本の柱。
魔鳥は何とかもう一度旋回しようと藻掻くが、その二メートルもある巨体はそれを許さない。
汚い断末魔を上げながら、重力に引かれて柱へと勢いよく突き刺さった。
どす黒い鮮血が飛び散り、はみ出した内臓がびちゃりと垂れる。
絶命。
凄惨な死を間近で目視した瑛貴はその場にへたり込む。
それが魔術行使特有の倦怠感か、自らが作り出した鮮烈な死によるものかは言うまでもない。
そして、吐いた。
肩で息をしながらも、腰に吊った魔力補給用の小瓶の蓋を震える手で開き、中の液体を口に流し込んだ。
胃液が逆流する苦みよりもさらに苦い味が口内に広がり、激しく嘔吐く。
やがて吐き気も収まり、立ち上がる。
「…なんで、僕がこんな目に合わなきゃならないんだよ。くそぉ…」
歩き出す。
震える小さな一歩は、それでも一歩だ。
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