07 才能
生物の願いを具現化するもの、魔術。
その神秘は未だ半分も解明されておらず、謎に満ちた奇跡のようなもの。
そんなマナにも、幾つか法則があることが調査によって判明している。
例えば、自然。生命が芽吹けば芽吹くほど、大気中のマナ濃度も比例するように高くなる。
例えば、戦場。多くの血を流した場所には、残留する魂や負の感情が澱み重なり、どす黒い色のマナは濃くなる。
自然に関して言えば、エルオ森林は十分にその条件を満たしているといえた。
マナは常に空気中で大河のように流れを作っている。
つまり、空気中を漂うマナの流れを感知し、発生源まで辿れば、自然とマナの濃い場所へと辿り着くことが可能である。
マナ濃度が高い場所に行くにつれ、魔物や精霊が呼び寄せられるので、結論から言えば目当ての魔物と遭遇するというのも想像に難くない。
現在、僕たちはそれぞれが感知したマナの流れへと、単独行動で進んでいた。
◇◇◇◇◇
頭上には、無数の木の葉が絶え間なく揺れていた。
同時に葉の隙間から零れ落ちる木漏れ日も、小さな魚群のように地面を泳ぎ回っている。
視界一面の緑。
涼しく、どこか柔らかな空気を吸い込むと、なんとも眠りを誘う葉と葉が擦れ合う音が耳を擽る。
そんな穏やかな森の中で、似つかわしくない獰猛な唸り声が僕の耳朶を打っていた。
角が奇妙に変形し、毒々しい赤色へと変色した瞳孔。
蹄は鋭利な刃物ように削られているし、胴体やしなやかで細い足にも、発光する青紫色の血管が浮き出ていた。
元々はこの森に暮らす一匹の鹿だったのだろう。
不運なことに、マナの過剰摂取で狂ってしまったその悪夢から救い出す方法を、僕は殺す他に思い付かなかった。
躊躇はない。してはいけないと自分に言い聞かせる。
完全に理性を失った鹿の魔物は、ただ愚直に突進を繰り返す。
僕はそれを見切って躱し、反撃の一撃を側頭部へと何度も叩き込んでいた。
低級とはいえ、魔物は魔物だ。
体は普通の鹿とはやはり比べるまでもなく、頑強である。
もう何度目になるかもわからない突進。
それに反撃する自分の動きも、さらに正確になってきた。
そろそろか、と心の中でポツリと呟く。
体の奥。深く眠っているものを呼び覚ます。
血管を張り巡らすように、体の中を熱く沸騰させる〝それ″。
ゆっくりと、焦らずに右手に力を集中させる。
突進。呻き声を挙げながら草木を薙ぎ払い、歪な角が自分を狙うのがわかる。
対する樹は、腰を深く落とし、右手を深く引く。
左手は牽制に前へ伸ばす。
黒光りする角が迫る。
限界。限界まで動かない。
「ここ、だっ!!」
眼前に迫る魔物から決して目を逸らさず、左足を軸として右足を左回転させ、突進を躱した。
砂利と僅かな粉塵が舞い上がり、突進による暴風が前髪を吹き上げる。
そして、限界まで耐え、魔物が通り過ぎる、意図して作り上げたその一瞬。
視線が交錯する。
不気味なその眼光から感情を読み取ることはできない。
それを僕は確信の籠った目で見つめ返した。
握り締めた右手を、躊躇なく、その側頭部へと叩き込む。
その威力は先ほどの反撃とは比べるまでもない。
強烈な一撃は頭蓋を砕き、容易くその先の脳を破壊する。
吹き飛ばされた魔物の体は大樹に激突し、沈黙。
暫く死体を眺めた後、自然は自然に還るのが最善だろうと思い、その場を去った。
僕には魔術の才能がない。
魔力を術式に通し、炎の球を出したり、水を操ったり、雷を落とすような事象を起こすのが魔術。
しかし、それとは別に、体外ではなく体内で、術式を介さずに魔術を使う術がある。
複雑な術式はいらない。ただ、魔力を流す。そうすることで肉体は爆発的な力を発揮できる。
それを人族は、闘術と呼ぶ。
体の中の魔力を練り上げ、体の部位を強化させる。
たったそれだけ。
しかし、それを意図的に発動することは絶妙の神業に等しい。
地獄のような弛まぬ努力によってそれを身に着ける者、何度も壮絶な死線を潜り抜けた者が掴む一筋の光のような覚醒、あるいはその両方を成し得た者。
例外中の例外として、ある日突然、闘術の才に目覚める者がいる。
僕には魔術の才能はない。
この世界で魔法が使えないというのは致命的な欠陥であり、それだけで使える者とは顕著な実力差が現れることとなる。
しかし、闘術の才能はあった。
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