06 仲間
視界が曇ったレンズのように淀んでいる
拳に伝わってくる生々しい感触は人のものだ。
ただただ、そのためだけに動く。
思考が何かに乗っ取られるような感覚とともに意識が霞み、遠のいていく。
体は言うことを聞かない。
誰かと目が合う。知っているはずの誰か。
恐怖の視線だ。まるで、バケモノを見るような。
そしてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
激しい息切れと共に樹は目を覚ました。
夜の暗い酸素が肺を満たし、鉛を詰め込んだような頭が冴えを取り戻す。
現状をようやく理解して、安堵の溜息を吐こうとしたところで、つま先から震えが走り、指先から頭のてっぺんまでを這いまわった。
激痛が頭を襲う。もう一度深呼吸。頭痛が治まった。
とたんに寒気が体を走り、汗をびっしょり掻いていることに気付く。
不快感で水を浴びたくなる衝動に襲われた。しかも今夜は肌寒く、風が強い。窓を閉め忘れたことが仇となったか。
ここは地球ではないと、そう自分に言い聞かせて顔を回した。
すると、仄暗い暗闇の中に薄水色の物体が映った。瞳のような物体が月光にさらされている。
樹はそれをぼんやりと見つめた。徐々に思考が現状に追いつてくる。
最初に思い付いたのは、幽霊だった。
普通の状態なら、僕だって恐怖で布団にくるまって震えるぐらいしただろうが、生憎、今はより強い恐怖が心に居座っていたため、どこか他人事のような視点で今の状況を傍観していた。
そして数分考えた末、話しかけることにした。
「何か、ご用でもありますか? 幽霊さん」
「…幽霊じゃないもん」
返事があった。少し高めの幼い子供の声だ。
「親御さんは?」
ましてやここは、泣く子も黙る傭兵ギルドエギユースである。
ゆっくり、恐る恐るといった風に扉が開いた。
そこにいたのは予想通り小さな子供だった。人魂の正体はその大きな水色の目だったらしい。とても愛くるしい顔立ちをしている。
しかしおかしな点がある。白い小袖に鳥帽子を着けているではないか。こんな小さな子供が。
「陰陽師?」
まさしく陰陽師のような服装なのだ。
いや、世界観がファンタジーと和風が重複してるぞ…?
「…これ……」
蚊の鳴くような声で子供が巾着袋を差し出した。
恐る恐る受け取ってみると中には石が入っている。
「これって?」
「…お守り、うなされてたから……」
そう言うと子供陰陽師はくるりと後ろを向いて逃げるようにダっと駆け出した。扉を開けて廊下を除いたが子供は既に暗闇に紛れて消えていたのだった。
一瞬、追いかけようかという考えも浮かんだのだが、猛烈な眠気がしてきたので、僕は倒れこむようにベッドで二度寝を開始することとなった。
◇◇◇◇◇◇
「明後日から、実戦訓練を実施する」
朝の授業を終え、昼の訓練を始めるというところで唐突にその言葉は放たれた。三人はそろってフレイオンの目を見つめる。
「何の予告もなしに、実戦とは。一体全体何事ですか。説明を希望します」
弾丸を繰り出すがごとく瑛貴が質問を放つ。
彼の物怖じしない性格が少し羨ましいとも僕は感じた。
「今回の訓練は、魔獣化した野生動物の駆除だ。お前らの実力なら問題ないと俺が独断で判断した。今回は四級程度の魔獣を討伐する。場所はこの町の近く、エルオ森林で行う。準備が出来次第、明後日に出発するからな」
つまり、フレイオンはこう言いたいのだ。訓練の一環として魔物を討伐したいと。それを聞いた三人は顔を不安で硬くした。
脳裏に浮かんでくるのはあの圧倒的な力を持った機魔だ。
ゴクリ、と蓮斗が生唾を飲み込む音が聞こえる。はたして僕達の力は通用するのか。
◇◇◇◇◇
ガラガラと馬車に揺られている。人生で初めて馬車に乗った経験は僕たちの記憶に深く残るだろう。
尻がすごく痛い!
エルオ森林は広大とまではいかないがそれなりに広い森だ。
エルドリオの町の南東に位置し、豊かな自然を実らせるその森は大気中のマナの密度も高い。
討伐対象は、野生の動物がマナに何らかの影響を受けて狂暴化してしまった、いわゆる魔獣。
どこかでマナが淀み、滞ってしまったのだろう。その影響で最近は魔獣が頻繁に目撃されているらしい。
馬車の中では、蓮斗や瑛貴さえもどこか落ち着かない様子でしきりに顔を顰めては青くしたりと、正に百面相だった。
そうこう考えているうちに、やっとのことで馬車が止まった。
目に映ったのは、のどかで心が落ち着くような農村だった。重厚な水車や、どこまでも広がる黄金の小麦畑。村の小さな子供たちが元気よく飛び跳ねるようにあぜ道を駆け抜け、丘の向こうに消える。
不思議な気持ちだ。懐かしいような、寂しいような、そんな感情が胸を占める。
ちなみに任務では、ここに馬車を止めて森に行く予定である。狩りが長引けば一泊ここに泊まるそうだ。
「ここから行くんですか?」
「いや、案内役がここに来るはずだ」
瑛貴の質問に対しても、やはりどこか義務的な硬い返事をするフレイオン。
すると、樹達と同年代くらいの簡素なワンピースを着た赤毛の少女がこちらへ走ってきた。
「こんにちは。あ、私はキアナ。案内役です」
そう言って赤毛の少女は溌剌とした笑みを浮かべた。透き通った綺麗な碧い瞳だ。森までの案内はこの子がしてくれるらしい。
「最近は魔獣が近くの森に現れるようになってて、もうすぐ納期なのにすっごく困ってるんです。まだ、二つ名もないただの小娘でもありますが、村の総意を持って、今回はどうか、よろしくお願いします!」
「ああ、こちらとしても報酬分はしっかり働かせてもらう。よろしく頼む」
きっちりと返事をするフレイオン。随分俺たちの時とは対応が違うな、と三人は眉を顰めた。
「二つ名って何だ?」
「ご存じありませんか? 十五歳になると与えられる称号みたいなものです」
聞きなれない単語に首を傾げる蓮斗。
礼儀正しく返事を返すところはやはり彼女の性格なのだろう。
「じゃあ、先生の二つ名は?」
「…業火。業火のフレイオンだ」
フレイオンは別にさして興味もないかのように呟いた。
「悪いな、嬢ちゃん。本題に入ろうか」
「はい、一か月前ぐらいからーーーーーーーーーーーーーーーーー」
彼女の家は農家をしていて、ここ最近、不特定多数の魔物による畑の食い荒らしが頻繁に起こっているそうだ。それだけではなく、村人に怪我人も出ているとのこと。そこでそこで傭兵社に依頼したところ、社長が新人の経験になるだろうと考えて依頼が承諾されたらしい。
「森はすぐ近くにあるので、数分歩けば着きますよ。私はこの後村の仕事を手伝わなければいけないので早速行きましょう!」
はきはきと太陽のような笑みで彼女はそう言うと、村の外へ歩き出した。
◇◇◇◇◇◇
今回僕が使用する武器は革製の硬い籠手と、同じく革製の足を保護するサポーターのようなものである。空手を習っていたので相性が良いのと、軽いので扱いやすいことが利点となっている。
一応のため腰には短剣を装備してある。
次に、蓮斗が使用する武器は片手剣。三人の中で一番重量があるが、蓮斗の馬鹿力のおかげで片手剣を両手で持てば上手く攻撃できる。
最後に瑛貴。扱う武器は杖。訓練のおかげで瑛貴は初歩的な魔法が使えるようになっていた。
杖には予め術式が組み込まれており、魔力を注入するだけで魔法が使える。
ちなみに、この訓練ではフレイオンは戦闘に参加しない。少し離れた所から見守るだけだそうだ。不測の事態が起こった場合はすぐに駆け付けてくれるらしい。
「そろそろ始める」
タイミングを悟ったフレイオンが声を張り上げた。
氷のような瞳が三人を冷ややかに打つ。
「…俺からいうことは一つだ。お前たちは仲間だ。自分を信じるな。仲間を信じろ」
低く、聞く者の耳に妙な安心感を与える声。
そんなことよりも、今まで樹たちのことを警戒していたフレイオンが、初めて警戒を解いたような表情を見せたことに三人は少し驚いた。
「なんだ、もう始まっているぞ。さっさと行け」
どこか投げやりに赤髪の青年はそう言った。
三人は駆け出した。
踏み出した足に体重の重みがかかり、不安の重力で体は震えている。
その歩みの先にあるのが希望なのか絶望なのか、その答えを知るのはまた先のことだ。
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