05 中央訓練棟
染み一つない木製の廊下を足音で軋ませながら進む。
教室の扉を開けると、そこには顎髭を生やした老人が書類を整理していた。
目が冴えるような青色の瞳がこちらを向く。
「こんにちは。食堂の昼食は美味しかっただろう? うん、やはりあそこの料理長は腕がいい」
皺だらけの優し気な顔で微笑む老人は三人に着席を促す。
ホアン・レパード。現役を引退した一級傭兵であり、主に学問全般を担当して教える教官である。
細長い長机の上には手書きの羊皮紙と、分厚い古本が何冊。
たった四人だと広く感じるが、三十人を超えればきっと狭く感じるであろうこの教室は、教壇を中心として半円を描くように長机が整然と並べられている。
ぶっちゃけ人数が少なすぎて居心地が悪い。個別塾みたいだ。
「それでは、月の章から教本を開いてくれるかな?さて、魔物と魔獣の生態についてですがーーーーーーー」
なんとも眠気を誘う声色だが、気を確かに持って羊皮紙に噛り付く。
その光景はどうにも地球の記憶を想起させるようで、三人の顔は心なしか和らいでいた。
◇◇◇◇◇◇
現在は午前中の授業を終えて屋内訓練室に向かう途中だ。
新人訓練棟。
この場所は、エギユースに入団した新人を、来るべき実戦のときに実力を発揮できるように育成し、最低限の衣食住を手に入れられるまで、棟の一室を貸し与えてくれるなどの良心的な機能を擁している。
ギルド本部の丁度裏側に位置しており、平時の訓練を目的とした場所として傭兵たちにはなじみ深い建物である。
そんな訓練棟の複雑に曲がりくねった廊下で、瑛貴は大げさに溜息をついていた。
ここ最近、瑛貴の溜息の頻度が増えてきている気がする。
「どうした瑛貴、溜息なんてついて。幸運が逃げるぞ」
「…いいですね、貴方は気楽で」
「どういう意味だよ」
「そのまんまですよ。危機感の欠片もないような人だ」
「うじうじ気持ち悪い奴だな。言いたいことがあんならはっきり言えよ」
「ま、まあまあ。そういえば今日の夕飯って…」
慎重な性格の瑛貴と、大雑把な性格の蓮斗はよく衝突する。
頭脳明晰と身体能力抜群。お互いのコンプレックスを刺激し合っっていることも原因の一つだろう。
そして二人が衝突する度に仲裁するのが僕の役目のようになっている。
…なぜ?
訓練場に着いたので、黒く重厚な扉を開ける。
するとそこには、燃えるような赤髪に、澄んだ湖面のような水色の瞳の青年がそこにいた。
整った顔だが、どちらかと言うとワイルドな印象がある。
全身を黒で統一した服装。
きっちりと乱れなく着こなしていて、窮屈そうで見ているこっちが蒸し暑くなってくるようだ。
そしていきなりセトに向けて炎をぶっ放した、要注意人物でもある。
その名を、フレイオン・クロニクル。現役一級傭兵であり、我らが訓練の教官だ。
軽く会釈をする樹を尻目に、警戒したような表情で三人を見るフレイオン。
「今日はお前らに先天性の呪いやら加護がついてないか確認する」
挨拶も無しに、突然フレイオンはそう言った。
「俺は、まだお前たちのことを認めていない」
冷ややか瞳がこちらを向く。
認めていない、とはどういうことだろうか。
少なくとも、友好的ではないことだけは分かった。
話の流れについていけない三人を気に留めることもなく、フレイオンはコートのポッケトから、何やら小さな白い包みを取り出す。
包みを剥いだ瞬間、ハスキーな声が訓練場に響いた。
「おいおいおいおおイ!! もっと丁重に扱えヨお! 俺様を誰だと思ってんダ!」
小さな包みから取り出されたのは、拳一つ分ほどの大きさの頭蓋骨だった。
流線形の滑らかな形から見るに、山羊とか羊の頭蓋骨である。
それが何やら高圧的な態度で喚いている。
少なくとも僕にはそう見えた。
「んむ? なあんダ、この呆けたアホ面どもハ」
「うわあああああ!! 喋った! 骨が喋ったあああ!!」
突如、今まで呆けていた蓮斗が顔面蒼白になり、頭蓋骨よりも大音量で絶叫した。
そう、蓮斗はその明朗快活な性格から怖いものなしといったイメージがあるが、案外致命的な部分がある。
「あれだよあれ! お洒落なこうべとかいうやつう!! 呪われるって!」
「…それを言うなら〝しゃれこうべ″だよね」
蓮斗は、幽霊云々といったものが大の苦手なのであった。
小さな頃のトラウマだったそうで、今も僕の背中に張り付いて離れない。
「これは…どこかに小型の音声通信機でも隠されているのでしょうか…?」
そんな蓮斗とは対照的に瑛貴は、半分警戒、半分好奇心といったところか。
半信半疑もあるかも知れない。
「ひゃひゃヒャ! こんなどこの馬の骨とも知れない奴を仲間に引き入れるなんてなァ。まあ、骨は俺様だがな! ひやひやヒャ!!」
「……」
饒舌な骨に気圧されて反応に困る。
正直なところ、僕はこの頭蓋骨に対して多少の気味悪さを感じながらも、そこまで嫌悪感があるわけでもなかった。
ホラー映画って割と好きなんだよね。
「クックっく。さっきから好き勝手言ってくれてヨぉ、なにィ!? 誰がお洒落な頭蓋骨だとォ? それってつまり俺様のことだなァ! ヒャひゃひゃっひゃ」
勝手な自己満足に浸る頭蓋骨。
はたから見れば不気味の一言に尽きるだろう。
「それよりもォ、なんか俺様に言うことあるだろぉ」
骨に言うこととは、つまり。
「ひいい!! ごしょ、ご愁傷様です!?」
「ご愁傷様です」
「…ご愁傷様」
蓮斗、瑛貴、そして僕の順番になっている。
「ちっっがーう! このボンクラどもがァ! …フン、まあ仕方がないから教えてやる。けっけっけ。耳かっぽじってよく聞くんだぞぉ!?
俺様の名はァ!! 偉大なるゥ!! ツィヒルツィネガン族の最後の生き残りにしてぇ!! 森羅万象の真贋を見抜く魔眼を持ち!! 魔王を死の淵まで追い詰めた最強の魔族の一人!! そ、の、名、もォ、シュルクネス・ヴォーンガル、だ!!」
と、ここまで傍観に徹していたフレイオンが口を開いた。
「本題に入れ。シュルク、やれるか」
「人使いの荒い奴だなァ! いや、骨使いか! はっハッハ! 任せろ! もう既に見えている!!」
高慢ちきな骨は唐突に沈黙した。
…眼窩。かつて眼球が存在していたであろう、虚ろな穴。
ゆらりと、何かが揺らめく。
虹。七色の炎が、ぽっかりとあいたその中に灯っている。
本能的な恐怖。
見られている。
肉体を超越したその先の精神、自分の心が暴かれるような、悍ましい感覚。
嫌な予感がする。
「お前ーーーーーー」
耳鳴りのようにその声が頭の中で反響する。
最後に骨が何か呟いたと思うと同時に、意識は途絶えた。
最後まで読んで頂き有難う御座います。
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