22 医務室にて。
雨が降っていた。
僕は寝台に一人、横たわっていた。
辞書みたいに厚い半透明のガラス窓から、弾ける雨粒の音を夢うつつに聞いている。
不規則な雨音は柔らかい心音みたいで、しばらく朦朧とした思考に脳を浸けていた。
…何か、大事なことを忘れている気がする。
心に失くすまいと誓った何かがすっぽり抜け落ちて、怠惰な霧に頭をすっぽり包み込まれている。
それなのに、何故か酷く虚しい。
ゆるゆると、微睡む。
欠伸をする意欲もなく、目を閉じてー---------。
目を。
閉じていいのだろうか。
鉛のような瞼を薄ら眼で押し止めて、考える。
やっぱり、何か納得いかない。
何かを、決意したはずだ。
何って、それはー---------。
「……ロキロキっ!!」
くそっ、なんだって僕はこんな悠長に………!!
頭に雷が落ちるようにその記憶が思い出され、僕は全力でベッドから飛び出そうとして。
「ぐ、ぐぎあああぁぁぁぁ!?」
全身に迸る激痛と共に、床に崩れ落ちた。
何だこれは。
体中に針金を貫き通したように、全身が危険信号を発している。
悲鳴とかいうレベルじゃない。もはや拷問に近い。
受けたことないけど!
やばい。これはまじでヤバい。大事なので何万回でも言う。ヤバすぎる……!!
「ちょ、起きたなら言ってよ! うわっ、何か潰れた芋虫みたいになってる…!」
小鳥のようなソプラノボイスが歪んだ鼓膜に響く。聞き覚えの無い声だ。
…潰れた芋虫は酷くないか?
絶えず五臓六腑どころか四肢すらも苛む激痛に悶絶しながら、声の主を視界に収めようと首を上に向けて。
だめだコレ。首も壊れたブリキの人形みたいに激痛でかくかくしてる。
ここで死ぬのか、僕は……!?
「【樹種縛鞭】!」
突如、蛇のような蔦が僕の体に巻き付いた。
そのままクレーンゲームみたいに上に持ち上げられて、ゆっくりとベットの上に寝かされる。
「…ほ、かのおっ……!! みぃ、…んな、は…!?」
すごい、我ながらゾンビみたいな声が出た。これなら声優とか狙えるんじゃないだろうか。
いや、ゾンビ専門の声優ってなんだ…?
「ちょ、ちょっと待っててね。今楽にしてあげるから…!」
楽にされてしまうのか…。
お父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください。
「【治癒】」
ぽう、と暖かな淡い深緑の光に体を包まれる。
全身を蝕む激痛が、少しずつ、絡まった糸をほぐしていくように和らいでいく。
よかった。あのままだと現実逃避のために、永遠に心の中でボケツッコミを繰り返す自動コントマシーンが出来上がっていたかもしれない。
「あ、体動かしちゃだめだよ。今はとにかく絶対安静。さもないと、数か月間痛すぎて気絶するけど痛すぎて目が覚めちゃう永久機関が完成しちゃうから」
どうやら、想像の五倍は恐ろしい永久機関が完成するところだったらしい。
「なーんか危機感ない顔してるね君。あとちょっと間に合わなかったら、全身の魔力が逆流してとんでもないことになってたんだよ」
「…とんでもないことって?」
「人間爆弾ができちゃうくらい」
人間爆弾とは穏やかじゃない。
でもちょっと興味もある。どんなふうに爆発するのだろうか。
そこでやっと光が途切れ、相手を認識することができるようになる。
ふわりと流れる若草色の長髪は、後ろで一つに束ねてある。俗にいうポニーテールだ。
紅玉の丸い瞳は憮然と開かれており、何よりも注意を引くのはその、尖った耳。
異世界に来て四ヵ月半。
僕は初めて森人に遭遇した。
「はい、応急処置終わり。まだ痛いとことかある? 意識はもちろんあるね。呼吸にも異常は無さそう……っと」
そう言って書類に何かを書き込む森人の少女。
歳は僕と変わらないほどだが、華奢な体にしては背が高い。服装はなんともファンタジーっぽく、民族衣装というやつだろうか。
…。
………。
「おーい、大丈夫? 反応ないよー? 魂抜け落ちたみたいな顔になってるぞー?」
ぐ、とその端麗な顔が近づく。愛嬌のある顔立ちだが、ひそめられた眉のせいで冷たくも見えなくはない。
…。
……はっ、いかん。
いきなりファンタジーが目の前に飛び出してきて思考がフリーズしていた。
先生とかも魔法は頻繁に使っていたが、泥臭いというか現実味が強すぎるというか…。
それがどうだ。森人といったらもうファンタジーの具現のようなものではないか。こういう衝撃をカルチャーショックと呼ぶのかもしれない。
「……もしかして、痛みのせいで精神逝っちゃったとか、記憶がブッ飛んだとか? ど、どどどどうしよう…!? そんなの新入りの私の範疇じゃないよね! な、殴れば治ったりして…?」
「い、いやそんな、昭和のテレビじゃないんだから…。 僕はいたって正常だよ。むしろ君のおかげで助かった。本当にありがとう」
「よ、良かったぁ。またカーラさんにどやされるかと…。ていうか、むしろ謝るのは、私の方なんだけどね」
「謝る…? なんで?」
「いや、さっきも使って見せたみたいに、私って植物にお願いする魔術が得意なんだよね。正確には植物に宿る精霊に、だけど。それで、あなたたちが襲撃されたとき、私もほんとは護衛をする予定だったんだけど…。森全体に話しかけるのは難しくて、ちょっと制御失敗しちゃって…」
話の先が見えてきた。
彼女が失敗してしまったのは森の精霊に呼びかけること。思い出されるのはあの津波のような植物の災害。すなわち、あの“根の大攻勢”を起こしたのは…。
「ほんっとにごめんなさい! 敵の位置を調べるつもりが、森の怒りを鎮められなくて…!」
「ああ、あれね…。まあ確かにびっくりはしたけど、怪我したわけじゃないしさ。逆にあれのおかげで時間が稼げたくらいだよ」
「そう言ってもらえるとすんごく助かる…。できればカーラさんの目の前で」
「カーラさんって、料理長の?」
「そ。あの人料理長兼、医師もやってるんだよね。私も新人だから、とりあえずあの人の下で働いているんだけど…。怒ると怖いんだよね~。いつもは不愛想だけどいい人なのに、あれがほんとの人間爆弾だよ」
「ああ、そう…大変なんだね」
なんだろう、治療してもらうはずが、僕が愚痴を聞く側になってる…。
「そ、それより! 僕が助かってるってことは、他の二人も…!」
「大丈夫、二人とも軽傷だし、ちゃんとカーラさんが治療してますので! あの人、腕は超一級品だからね」
「よかったぁ~」
安堵の深いため息と同時に、眠気に襲われた。
これはもう、耐えられる自信がない。
まあ、頑張ったし、これくらいー------------------。
「それよりも君だよ! 君! なんであんな無茶したのさ。体中の筋肉繊維やら血管がズタズタで、目も当てられなかったんだからね! 次からはもっと、って寝てるし。………呑気な顔ね。な~んか怒る気失せちゃった」
弟子は師匠に似るんだな、と思いつつ、今度こそ僕は眠りについた。
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