20 正体、或いは取引
今年もどうかよろしくお願いします。
過去の記憶だ。今さら何をしようと、これから起こる未来は変わりないことをロキロキは理解している。
だが。知らぬ間に押し殺していた負の感情が、心臓を鷲掴みにすることが分かった。
彼女との思い出が、今、燃え尽くされている。
本能が警鐘を鳴らす。理性が理解を拒む。
眩暈が、する。最低の気分だ。
ーーーーーー初めて会った日のことが、いつまでも昨日のように瞼に焼き付いている。
まだ彼女の髪が、白一色に染まる前の頃の記憶。
窓際の安楽椅子にもたれる、その横顔の精緻さに我が目を疑った、あの日のことだ。
深く深く、記憶の海に沈んでいく。それは抗えぬ膨大な奔流となってロキロキを飲み込んだ。
無数の記憶が紙吹雪のように散り、鮮明な視界から脳に辿り着くことを意識が拒む。
…無理だ。拒むことはできない。
覗き込めば込むほど、その深い琥珀の光彩がこの目を捉えて離さない。
『あなたの目の色、空と同じですね』 白魚のような手のかじかんだ冷たさも。
『走るってどんな気持ちなんでしょうか』 鈴を転がしたような笑い声も。
『名前を教えていただいても?』 流れる黒白の艶やかな髪が。
『月は手が届かないから綺麗なんでしょうか』 いつだってあの窓から見える風景に。
『ねぇ、いっそのこと、二人で逃げてしまいませんか?』
仄かに甘い、あの焼き菓子の匂い。
『孤独を知ったのは、あなたと出会ったからです』
月に溶け込むような純白の肌に。
『私のことを、ずっとずっと忘れないでくださいますか』
暖炉の炎には、いつだって二つの影が。
『形に残るものより、思い出が欲しいです』
ああ、伸ばした手が空を切る虚しさを、あなたは最後まで知ることはなかったのだろう。
『物語は最後に、めでたし、めでたしで終わらないと』
破滅の炎を背景に微笑んだ、あの儚い微笑も。
どうして全部、失った後に後悔するのだろう。
光景は再び、暗黒の空間へと引き戻されている。
ロキロキには、不思議ともう憤りは無かった。むしろ笑い出したい気分だった。
「それがお前の原点カ。クくく、陳腐な悲劇の恋物語と呼ぶにハ複雑すぎたナ。台本には向いちゃいねエ」
虚空に声が響き渡る。この場所に干渉できる者は唯一人、精神魔術の使用者たるシュルクネスに他ならない。
「ここまで高度な精神魔術、一体何者ですか」
「まア、そう焦るナよ。俺様の魔術もまダ不完全でな。全盛期と比べりゃ落ちぶれたもんダ。昔は目を合わせるだけで全て見通せたもんなんだガ」
質問になっていない。そもそも精神世界において術者は絶対的なアドバンテージを誇る。迂闊に動けばどうなることか。ロキロキはここから脱出する方法に思考を巡らせ、はたと気づく。
ロキロキを精神世界に閉じ込め戦闘不能にすることが目的なら、なぜ今そうなっていないのか。あの三人が逃げるための時間稼ぎか。否、逃げたところで数人の部下がここを包囲している。だとすれば、なにがしたいというのか。
「……目的は」
「交渉だヨ。お前の目的は魔法に辿り着くことだろ? だとしたら無駄な挑戦だったナ。渡りから得られるのハ魔法じゃねェ。紛いもんだゼ」
「はいそうですか。と言えるほどの覚悟で、ここまで来たとお思いですか? 例え魔法に通じなくとも、私には使命がある。それにあなたの証言が虚偽でないと、誰が証明できましょうか」
「俺の正体を教えてやル」
虚空に吸い込まれる声は、嵐の前の静けさのように、ふっとその騒がしさを消す。
「我、ツィヒルツィネガン族最後の魔眼継承者にして、“造られし者ども”が一人」
ゆらり、と虚空に影が浮かび上がり、それは徐々に人の輪郭を描く。
「創造主たる二代目魔王、罪のアルトガに誓って偽りは無い」
「………あなたは……一体」
それを知らないはずがない。
この世界の史実に置いて、魔王を名乗った存在は三人。
そのいずれもが人族、或いはこの世の全ての生命体を滅亡の瀬戸際まで追い詰めている。
第一代魔王、終極のレスカリヴォルデは、圧倒的な個の力を用いて宿敵である天界を滅ぼし、世界を征服せんとした。
第三代魔王、血戦烽火のジグレイアは決して結束しないと言われた魔族を一つにまとめ上げ、大陸全土の国々を瞬く間に支配せしめた。
ならば、第二代魔王はどうだったのだろうか。
それには配下など一人として存在しなかった。特別強い戦闘能力を有していた訳でもない。
野望があった訳でもない。大義でも復讐でもない。
ただただ無差別に、世界へと死を振り撒き、おぞましき所業を繰り返した。それが己の存在意義であるがように。
個人として最も生物を殺戮し続け、同じように異形の怪物を生み出し続けた、史上最悪にして最低の狂人。悪魔。決して望まれることのなかった存在。
口に出すことすら憚られる名を、罪のアルトガ。
「名を、炯眼のシュルクネス。産みの親たる魔王に手をかけた、勇者一行の最後の生き残り」
虚空に浮かぶ半透明の影が、色を塗りたくるように形を得る。
「取引だ。魔法への至り方を教えてやる。その代わりーーーーーーーーーー」
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