02 死神に咆える
「…きろ…起きろ…起きろって!」
肩を揺さぶる振動と共に、僕は目を覚ました。
まず感じたことが、床の感触が違う。
数秒前は電車の赤いクッションの椅子だったのに対し、ふさふさした植物のようなものに横たわっている。
「おい、城だぞ城!!」
はしゃいだ様子の長谷川くんが、強引にも僕の手を引っ張った。
抜けそうな肩が心配になって立ち上がり、周りを見渡す。
すると目の前には、頑丈です、とキャッチコピーが見えるような城壁がどっしり居座っている。
後方には視界を覆う緑、緑、緑。つまるところ草原である。
涼しい風が前髪を揺らした。
「…コレナニ?」
思わずカタコトになってしまったが仕方がない。
しかし、こういうときこそ落ち着くのだと、某神父様は言っていた。素数はいずこに…。
「ここは遺跡っぽいね。見た感じ、中世ヨーロッパみたい。このデカい城壁があるってことはお城もあるのかな」
口に出して状況を整理しようとすると、横から訂正が入った。
「いえ、恐らくこの城は近世ヨーロッパのものですね。城があるということは、王様が権力を握っている証拠ですから。実は中世ヨーロッパの王様は領主達の代表者といった立場で、領土についてはそこまで強い決定権を持っていなかったんです」
はきはきとした聞き取りやすい敬語。知的な眼鏡と、剣呑な雰囲気。
制服を一部の乱れも無く着こなしている姿から、彼の性格の一端がわかるだろう。
いつ使うかもわからない知識を披露したのは、半田瑛貴。
初対面だが、実は僕は彼のことを知っていた。
五教科テスト満点の半田瑛貴。風の噂で耳にしたことがあった。
彼も平静を装ってはいるが、隠し切れない動揺が眼に宿っている。
「とりあえず見た感じ、ここら辺にいるのは俺らだけっぽいけど? どーする? キャンプでもする?」
「すこぶる楽観的ですね。一体、今どんな状況かわかってるんですか? 明日生きていられるかも分からないのに」
まあどうにかなるだろうと、高を括っている長谷川くん。それに対して半田くんは剣呑な雰囲気で答えた。
何となくこれは、喧嘩になりそうな予感する。予防しなければ。
「まあ、落ち着きなって。今はどう動くべきか考えようよ」
「そうそう。とりあえず、人でも探そうぜ。ここで突っ立ってても、なんもいいことないからな。頑張ればどうにかなるっしょ」
それ聞いた半田くんは、少し動揺した様子だった。
まあね、長谷川くんはマイペースというかなんというか…。
「怖くは、ないんですか? だって、こっ、こんな急に! 訳の分からないことになってるのに」
「…別に、怖くないわけじゃねえよ? けどさ、ここで後ろ向きな気持ちになってたって何も変わんないじゃん」
長谷川くんは依然としてその悠然とした態度を崩さない。
きっと彼は将来、大物になる予感がする。
「明日のことは、明日の俺がどうにかする。今日の俺は、今日できることをする。まあつまり、そういうことってわけ。でもさ、ちょっと楽しそうだろ? サバイバルって感じするじゃん」
にやっと人懐っこい笑みを浮かべる長谷川くん。
対照的に半田くんは深くため息をつき、眉間の皺を抑えた。
「なんだよ、二人そろってそんな目で俺を見て。俺の顔に何か顔についてる?」
「いや、君はポジティブなんだね、って思って。それに今日の自分に打ち勝てる人って、中々いないんだよ?」
僕なんか、とりあえず面倒なことは後回しにする癖がある。
今日できることを今日する、というのは強い意思がなければできないのだから。
「ん~? 別に俺だって宿題とかからは逃げるぞ? やるのは興味ある事限定な」
「全然ダメじゃないですか。 ちょっと感動した僕が馬鹿だった…」
「そんなこと言って~。半田も運動からは逃げてんだろ?」
「な!? それとこれとでは話が別でしょう!?」
「まあ、落ち着きなって。人間なんだから得手不得手があるのは当然だよ」
ふ、と安堵のため息が、憎たらしいほどの快晴に溶けて消えた。
◇◇◇◇◇◇
「まあ、とりあえずお城に入ってみようか。雨風も少しはしのげそうだしね」
僕たち三人の行動の方針としては、これから城の中の探索を始めるというものだ。
人がいれば助けを求められるし、例え廃墟でも野宿よりはマシだろうという考えである。
「んじゃ、行きますか」
そうしてまずは、入口を探すこととなった。
城壁に沿ってぐるりと歩き続ける。
すると途中で壁が崩壊しており、そこから難なく侵入することができた。
いざ中に入ると、そこは元、城下町だったのだろう。
かつては栄えていたであろう国は物悲しい面影だけを残し、陰鬱な空気に満ちている。
「マジか、人っ子一人いないじゃん。どーするよこれ。てか、どこよここ」
「少なくとも日本にこんな場所は存在しないはずですが…」
「というより、もうほとんどの建物が朽ちかけてるね。だいぶ昔のお城だったんじゃないかな」
活気に溢れていたと思われる広場は、崩落した建物によって見る影もなく、人っ子一人姿はない。
半壊した家の中を覗くと、それ相応の文明があったことが分かる。
苔だらけの硝子の茶碗。
原型をとどめていないボロボロの絨毯。
倒れた石の椅子や机。
いずれも影だけを主人とし、暗闇に沈む。
僕たちは城の中央に向けて進むことにした。
「すっげ、城だぜ。見ろよ、あのデカさ。信じらんねぇぜ」
長谷川くんの言う通り、城壁からでは見えなかった巨大な城が、城下町からだと見上げるように一望できた。
鋭く天に伸びる、三本の尖塔。そのうち二本が半ばから倒壊しているが、威厳は損なわれていない。
城を彩る、むやみに華美すぎない黄金比を完成していたであろう装飾。
純白の翼に剣と天馬を模した、焼け跡の残る国旗の数々。
そのどれもが、ただただ滅びの中で朽ち果てていた。
「なんか、変な感じだね。僕ら三人だけ、この場には似つかわしくない、みたいな雰囲気がある」
ふいに、なんだか自分たちだけがこの光景から取り残されてしまったような、そんな感覚に陥った。
滅びてなお、調和を保たんとするこの空間に入り込んだ、異物。
正体不明の臆病風が、背筋を吹き抜ける。
「確かになんか違うよな。和食にチョコをぶち込んだみたいによ」
「洋食に饅頭のほうがしっくりこない?」
「ハァ、…ハァ、ちょっと歩くペース…落として…一回休みませんか」
後ろを振り向くと少し遅れて、息たえだえになった半田君が追いついてくる。
「さては運動不足だな?」
「うるせぇ…貴方は勉強不足でしょう」
勝ち誇ったようにニヤリと笑う長谷川くんに、半田くんは額に青筋を立てて答えた。
なんにせよ、半田くんの体力のなさは考え物である。
そんな二人を横目に現在地を確認する。
現在地は城下町の中央広場のようだ。中央に噴水があるが半壊しており、首がもげたマーライオンのような石像が物悲し気にこちらを見詰めている。
「なぁ、他の奴らってどこにいるんだろうな」
長谷川くんがふと思い出したかのようにつぶやく。
他の奴ら、とはつまりクラスメイトや別のクラスの人を指しているようだ。
「恐らく、僕たちと同じ状況に陥っているかと。ですが、今は拠点の確保を急ぎましょう」
一理どころか三理はある。クラスメイトを探しているうちにこっちが餓死してしまうだろう。
探すとしても生活基盤が整ってからだ。
他人を心配する余裕なんてない、と僕は心の中で自分に言い聞かせた。
今のところ、居住できそうな場所は見つかっていない。
ほとんどの建物が崩壊していて、住もうにも住めない状態だ。
「城下町の建物は全壊か半壊していますが、城そのものは、あまり傷がついていないようにも見えますね」
「まあ何となく予想はついてたけどね。向かってみようか」
やがて僕たち一行は、城まで辿り着いた。
雑草が好き勝手生い茂る庭園や、初代校長の像みたいなおっさんの石像。
近くで見ても他とは違う味わい深さがある。
それを半田くんは物憂げに見つめると、一言呟く。
「盛者必衰の理、ですね」
「何それ」
「平家物語ですよ」
城門は半壊しているので、簡単に入れそうだ。
そして彼らが城の玄関ホールとも言える場所に、一歩踏み込んだ刹那。
背筋に、正体不明の悪寒が走った。
しかし、踏み出した足はもう止まらない。靴が城の床を踏み抜くと同時に、体が凍りつく。
ゾクリと、今までに今までにない、不吉な予感。
すると床に赤い紋様が、ゆっくりと浮かび上がった。紋様は回転しながら輝きを増す。
「……んだ、これ…」
徐々に、紋様からゆっくりと漆黒の巨体が浮かび上がってきた。
僕たちは驚きで硬直する。
闇のような金属光沢の虚ろな巨躯だ。頭部はその殆どが胴体に埋まっていて、赤い単眼だけが見える。
人型の巨体は血のような単眼を毒々しく光らせた。
いつだったか。
友人に借りたロールプレイングゲームで似たような形状のモンスターを見たことがある。
そう、確か名前が、甲魔。
「GGGGGGGooooooooGGGooooooooooooooo!!!」
三人が呆気に取られている中、甲魔は目覚めの雄叫びを上げる。
明らかに自分達に敵意を向けている。
考えるよりも先に、ありったけの声量で叫ぶ。
「逃げて!」
脱兎のごとく僕たちは走り出す。
否、半田君は長谷川くんにほぼ引きずられているようだ。
「どうなってんだよ! なんだよあれ!」
激しく狼狽した様子の長谷川くん。
当たり前だ。そんなこと、むしろこっちが聞きたいくらいだ。
「…落ち着いて。兎にも角にも、逃げるしかない」
長谷川くんは半田君を器用にも走りながら背負い直す。
人を一人背負って、僕と同じ走力である。分かってはいたが、物凄い運動能力のポテンシャルが彼には秘められている。
そんなことをつらつら考えでもしなければ、やってられない。
現実逃避にすがるも、脳内を駆け巡るのは行き場のない負の感情。
現実味の無い恐怖に追われて瓦礫を避け、入り組んだ街路を全力疾走していく。
角を曲がる際に、一際大きい聖堂が燃えるように赤く染まっているのが見えた。夕焼けだ。
落日の時が迫ろうとしている。
もうそんなに時間がたっていたのか。
街路を抜けた先に、道が四つに分かれた十字路が見えてきた。
「城壁でまた、合流しよう」
「はぁ!? なん、ちょっ」
なぜこんなことをしているのか、自分自身でも訳が分からない。
僕が僕でなくなったみたいだ。
「もう、マジッでぇ!! わけわかんないってのぉ!!」
その激情に突き動かされるように、むしゃくしゃに走った。
二人とは別の道に走り出したのは、甲魔の注意を逸らすためだ。
二兎を追う者は一兎をも得ずとも言う。三人で共倒れよりかは、生存率が高まるはず。
そう自分に言い聞かせながら、後ろを振り返って確認する。
甲魔の姿はなく、夕焼けのさらに向こう側から藍色の闇が迫っているのが見えた。
どこだ。敵の位置が確認できなければ逃亡すらままならない。
以前として変わらない、見えない恐怖。
それに急かされるようにまさかと思い、上空を見上げると、空高く浮遊する黒い塊を目にした。
徐々に大きくなってくる黒点に比例するかの如く、頭の中で本能が警鐘を鳴らす。
そんなこと考えもしなかった。
あの巨体で、よりにもよって跳躍で距離を詰めてくるなんて。
甲魔が僕の後方に着地する、と知覚するより速く、廃墟の壁を盾に、飛来物から身を守る。
次の瞬間、鼓膜が破裂したかのような錯覚とともに、破砕音が吹き荒れた。
朧気に揺れる、その土偶のような巨体。
不吉を纏った鉄の死神は、どうやら僕に狙いを定めたらしい。
そう、《それ》は甲魔だった。
時は、甲魔が二度目の巨拳を振り下ろそうとする瞬間。
かなり遠くで長谷川君が駆け付けようとしているのが、朦朧とした視界の隅に映った。
無理だ。間に合わない。もう逃げろと、そう言ってやりたかった。
甲魔の巨大な拳が、焦らす様にゆっくりと持ち上がる。逃げる術はないと悟った。
走馬灯すら浮かばない。ただぼんやりとした意識が死を直感している。
あの拳が直撃すればきっと、僕の頭はスイカのように弾けるだろうか。それともすり潰されて、この石畳の染みとなるのか。
真紅の眼光が尾を引きながら揺らめく。
大地が恐れ戦くように震える。
重低音が耳鳴りのように残留する。
「…にたくない…………」
誰にも必要とされない人生だった。親からはさしたる興味を向けられず、同級生からも疎まれ、どこにも居場所がなかったように思う。
だが、それでも。
「死に、たく…ない……!」
あの時こうしていれば良かったとか、もっと自分からとか、自分の不運を嘆くとか。そんな後悔ばかりが噴水のように心の底から噴き出してくる。
ああ、そうか。僕はずっと、生きたかったのだ。誰かに頼られて、認めてほしかった。
自分からは何もしない癖に、他人にばかり期待していた。
だから、受動態でいるのはもうやめろ。何もしない自分に言い訳をするな。
最後の力を振り絞れ。体力がなければ魂を削れ。考えることを止めるな。
最後ぐらい、誇れる自分のまま死ね。
あらん限りの気迫を持って、甲魔を睨みつける。
体が沸騰するように、見えない力が猛り狂うのがわかる。
咆えろ、最初で最後の全力を。
「オ、アアアアアアァァァァ!!」
「Coooo、coooaaaa…」
黒鉄に覆われた、甲魔半球の頭部。
その不吉な眼光が空に光芒を描き、ぐるりと、突如としてあらぬ方向を向いた。
釣られてその方向を僕は仰ぎ見た。瞬間、ふわりと優しい微風が頬を優しく撫でる。
それと時間差だった。
その巨体が、まるで紙切れか何かのように吹き飛ばされた。
轟く暴風の音色が耳をつんざけば、金属が擦れる高音が響く。
凄まじい速度で甲魔はすぐ隣の民家に衝突して、石材をその重量で粉砕する。その勢いのまま建物を三つは貫通して、後には夥しいまでの残骸と破壊の痕跡だけが残る。
甲魔はその巨体の大半を膨大な量の瓦礫に押しつぶされており、無理やりにも動けばさらなる量の建物が雪崩となって襲い掛かるだろう。
「おやおや、こんなところに迷える勇敢な子羊が一匹」
頭上から、子供とも、大人とも言えないようなふざけた声が落ちてくる。
長い白髪の髪が、逆立つようにたなびく。
痩せぎすのほっそりとした長身。
中性的な、驚くほどの美貌。
ただ眼光だけが恐ろしく鋭い。真紅の瞳だ。
ふっと消えそうな薄絹の羽衣を身に纏い、空中から淡雪のように降りてくる、その姿はまるで。
「よっと」
白髪の男は軽く地面に着地すると、その刃のような眼差しを僕に向ける。
「やぁ、少年。大丈夫かい?」
「あの……神、様?」
「まぁ、そんなもんだと思ってくれて構わないけどね。…その服装…なるほど。地球からか」
苦笑とともに要領を得ない言葉。
この状況を考えれば考えるほど、混乱する。
やはりここは地球ではないのだろうか。となるとこの男は地球人ではない?
咳き込むと同時に、赤い液体が口から漏れた。
鉄の匂いが鼻腔に充満する。
恐らく吐血したのだろう。
「おっとこんなことをしている場合じゃないねぇ。治療、治療と」
男が右手をこちらに向けた、その時。
金属が軋む音と、パソコンが起動するような音が重なった。
右を向けば貫通した建物に埋もれている、四肢がもげかけた甲魔が。
胸の部分から機械的な音と共に、蒼い球体が露出する。
甲魔の赤き単眼が蒼く不気味に染まる。球体が震え始めた。
なんだ。何が起ころうとしている。
そして、爆音。
視界を蒼が埋め尽くす。何が起きたかすらわからない。ただただ、恐怖で目をつぶることしかできなかった。そんな中、白髪の男が気怠そうに溜息をついたのが脳裏に残る。
「【揺れゆく星座、穿つ地殻、羽搏きの光芒、砕け、星辰失墜】」
男が何かつぶやく。
それは意味の解らぬ単語の羅列のようでいて、確かな力の籠った、正しく魔なる術であった。
そして圧倒的な視界を埋め尽くす光の奔流が熱気を孕んだ暴風と共にーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
実際は数秒の出来事であったが、この時間を永久に続く宇宙の爆発のように感じた。
「大丈夫かい?安心したまえ」
恐る恐る目を開けるとそこには、さっきと変わらず軽薄とも、柔和ともとれるな笑みをを浮かべる白髪の男が。
「化物は…」
「大丈夫。化け物退治はお手の物ってね。君はよく頑張ったよ」
男は手をこちらに向ける。
それを最後に疲れ切った僕の意識は、深い眠りに落ちていった。