11 エルオ森林 襲撃
木漏れ日を地面に落とす森の中、僕は先ほどから奇妙な気配を感じていた。
初めての実戦だ。ただの杞憂かもしれない。
…きっとそうだ。
こうして見ると、中々神秘的な森である。
空気は和やかで、木々は静かでいて力強く地面に根を張っている。
時折、木々の梢の間を淡い黄緑色の光が宙を漂い、消える。
そう言えば、と座学で学んだことを思い出す。
今のは木精という種族だったはずだ。
余談だが、この大陸では知能持つ種族とそうでない種族で呼称に違いがある。
基本的に、人族、魔族、鬼族、竜族、獣族、精族など、最も大きな〝族″で分けられる。
ここで重要なのが、〝族″の つく種族に属する生物は皆、知能を持っているという点だ。
人族の場合だと、人間、森人、山人・・・・とさらに派生していくらしい。
ちなみに木精は精族である。
精族の特徴としては、実体を持たず、魔力の濃い場所に現れ、滅多なことでは他種族に危害を加えることはないらしい。
地球で言うところの妖精のようなものだ。
森に危害を与えないか自分を監視しているのだろうか。
そうでないことを祈ろう。
そう感慨に耽りながら歩んでいると、突如、ゾワリ、と空気が変わる予感を察知した。
首筋に刃物が突き付けられるような、冷たい悪意。
「なんだ…?」
木の裏、茂み、岩の影。
くまなく視線を巡らせるが、それらしきものは見当たらない。
心臓が早鐘を打つ。
その鼓動が頂点に達したとき、強烈に嫌な予感が脳裏を叩いた。
「上か…っ!?」
上空、生い茂る大木の梢を黒い、何かが横切った。
そして、銀の閃きが視界の端に映る。
刃物の投擲。
気づいたときにはもう遅い。
幾筋もの軌跡を描いて、鋭利な短剣が飛来してくる。
刃は手術刀のように薄く、それ故に切れ味は鋭いのだろう。
考えろ。どうしたら助かる。
思考だ。死ぬ気で考えろ。
そう、刃物の投擲による一撃で標的を仕留めたいのならば、まず狙うのは人体の急所。
頚椎、心臓、肝臓、大腿動脈、エトセトラ…。
この投擲はそうではない。
相手の機動力を奪い無力させるための攻撃。
避けられない軌道の投擲が幾つかあるだろう。
ならば、腕を犠牲にしてでも足を守るべきだ。
そしてその思考を行動に移しーーーーーーーーーーーーーーー。
眼前で黒い上着が翻るとともに、火花が散った。
燃えるような赤髪。
冷たいようでいて、熱い狂暴を孕む、氷のような目。
その手には、波形の刃の両手剣が握られている。
「フレイオン先生ーーーーーーっ!!」
どこに隠れていたのだろう。
一瞬。今の一瞬で、フレイオンは投擲された全ての短剣を叩き落として見せた。
否、まだ終わってはいない。連なるように短剣が空を切り迫る。
フレイオンは揺らめく炎のような剣を構えると、剣先が霞むほどの速さでその全てを弾く。
その顔は微動だにせず、その冷徹な目にのみ紅い闘志が宿っている。
速すぎる。文字通り、次元が違う。
ふわり、と音も無く短剣の主が地面に降り立つ。
身長は低く、それ故に敏捷さと柔軟さを持ち合わせる体捌き。
影のような外套はフードが付いており、その顔貌は闇に隠れており窺い知れない。
「投降するなら、命までは奪わないつもりだが」
フレイオンは口を開きながらも油断なく構えをとる。
対する襲撃者も腰のベルトから八本の短剣を抜き取り、指の間に挟むようにしてゆらりと佇む。
「忠告は無駄そうだな」
ヒュン、という風切りの音が合図となり、続けざまに金属の衝突する甲高い音が響く。
◇◇◇◇◇
「や、やばいってこれ! どうなってんですか!」
その頃蓮斗も、襲撃を受けていた。
黒いフードの襲撃者は魔術使いのようで、先ほどから地面を隆起させる土魔術のようなものを使って執拗に攻撃を仕掛けてくる。
対する蓮斗はなんと黒い巨腕に胴体を掴まれ、駿馬のような速さで森の中を逃避していた。
掴んでいるのは長身の女性で、軽装の鎧の上から焦げ茶色の襤褸布を身に纏い、濃く短い黄髪で橙色の瞳を持っている。
異様なのはその左腕である。
肘あたりからは完全に生身ではなく、黒曜石のような黒く、滑らかな材質になっていた。
そしてどうやら形状を変化させることができるらしく、掌部分が巨大化し、蓮斗の胴を鷲掴みにしている。
「俺は味方だ。あれは敵だ。それ以上でも以下でもない」
普通より少し低めの声だが、質はやはり女性のそれである。
一人称がどうにも男らしく、一瞬男性かと勘違いしかけた蓮斗だった。
「いや敵ってどういう…?」
「喚くな。舌を噛むと危険だろうが」
轟音とともに大地が獰猛に顎を開き、二人を嚙み砕かんと迫る。
前方にも土の壁が立っており、逃げ場が制限されているようだ。
ヤバい、と蓮斗は直感した。
「いいか……噛むなよ、舌を」
「へ?おあああああ!!」
長身の女性は、前傾姿勢で走ることを止め、上体を大きく逸らす。
そして蓮斗を振りかぶり、投げた。
ゴウ、と空気抵抗が蓮斗を包み込み、体にかかる負荷が一層増す。
いつだったか、遊園地で最恐のジェットコースターとかいう触れ込みのアトラクションに遊び半分で乗ったことを思い出す。
あれは物凄く酷かったが、今回のはそれの比じゃない。
圧倒的、浮遊感。
からの、落下。
「おがああああああああああ!?」
あわや地面に接触、とまではいかないものの、本気でこれは死ぬのではないかと感じるような高度に達したとき、体に黒い腕が巻き付いた。
グイ、と上に全身が引っ張られ、そのまま前へと突っ込むように加速した。
そして、急停止。
「降ろすぞ」
無慈悲な宣告とともに圧迫感が消え、地面すれすれで落下する。
蓮斗は目を回すようにふらふらとおぼつかない足取りで重心を保つと、両の手で頬を叩いた。
「あ、たまがクラクラする…」
「さっさと下がれ、死にたいか」
辺りを見回すと、後方に鬱蒼と茂っている樹木と、前方に美しい湖が現れた。
何が何だか分からないまま、黒いフードの男が、向こう岸からこちらに近づいてきていることだけがわかる。
まだかなり距離がある。
「なあ、あれは敵なんだろ。戦うなら俺だってやれるぜ」
「お前はそこから動くな。足手纏いにしかならん」
「ええ…? この流れで?」
「俺の名は、レクス。昏き誓約のレクスだ」
名前も男みたいだ、と蓮斗は不思議に思う。
レクスの短い黄髪が風に揺れ、色素の薄い橙色の目が睨むように細くなる。
そして、次の瞬間、水の飛沫が散った。
蓮斗の一呼吸より速く、レクスは駆けだしている。
は、と口から唖然とした声が漏れた。
レクスは疾走している。
湖面の上を。
いや忍者かよ!と心の中で突っ込んでしまう。
よくよく見ると、両足も黒くしなやかで金属質なものになっている。
恐らく何らかの魔術なのだろう。
水面を低い前傾姿勢で沈むことなく走るその姿は、否応なくここが地球ではないことを再認識させられる。
対する黒フードの男もしゃがみこんで地面に手を当て、魔術を行使した。
大地がひび割れ、獰猛に隆起しながらも形をとる。
竜の頭部を模したそれは咆哮すると、水面を豪快に割りながらも接近する。
魔術と人間が肉薄し、そして。
◇◇◇◇◇
一方その頃、瑛貴も。
「こっ、今度こそこれは死んでしまう!! 死んでしまいますからぁ!!」
絶叫と轟音が静謐の森に響き渡る。
「フハハハハハハ!! 大丈夫! 人間は死ぬ死ぬいう者こそ存外死ににくいものと心得ておりますからな!」
「そう問題じゃねぇぇぇぇ!」
眼鏡には罅が入り、身に着けていた衣服は粉塵にまみれ、髪もぼさぼさだ。
そんな瑛貴は、漆黒の巨盾を持つ大男の後ろに隠れ、息も絶え絶えに絶叫を上げていた。
周りの木は抉れ、地面には踏み砕いた後のような荒々しい傷跡が残っている。
塵埃が吹き荒び、既にこの場所はかつての神聖な面影をなくしていた。
そして瑛貴の前に仁王立ちで盾を構える筋骨隆々の巨漢。
口元には不敵な笑みが浮かんでおり、その眼光は油断なく正面の敵に向けられている。
「哀れな森鬼よ。俺の名は堅牢のリラウだ。覚えて逝くがよい」
堅牢の二つ名を冠する凄腕の傭兵に対して、襲撃者は人間ではなかった。
その醜悪な顔貌は憎々し気に歪んでおり、息遣いは荒い。
身の丈二メートルはあるリラウと向かい合っても遜色ない巨体。
茶色の汚れた肌に、異様に長く伸びた犬歯、そして豚のような鼻。
体には肩や腕など、所々に金属の鎧を身に着けている。
森鬼。
半狂乱の頭を冷静にしながら瑛貴は思い出していた。
それは鬼族のなかでも異質な存在だ、とこっちの世界の授業で習ったことを思い出す。
遥か昔に最悪の魔術師に体を改造された森人の末裔。
醜い要望に狂暴な性格からどの種族にも忌み嫌われ、生活圏を狭めていった森鬼は、今ではその姿を消しているはずだ。
「黙れ…、小賢しい人間風情が…知ったような口を! 聞くな!!」
爆発かと見紛うほどの突進。
地面が捲れ上がり、土埃が宙を吹き荒ぶ。
森鬼は森人が本来得意とする魔術が使えない代わりに、強力な身体能力を得ている。
「ムッハアァァ!!」
細かい土砂によって視界が制限される中、リラウは豪快な気合を放つ。
地面に突き立てられた黒く巨大で無骨な盾を軽々と持ち上げると、岩すら砕くであろう突進を、軽々といなした。
衝撃を完全に逸らされた森鬼は、四足獣めいた姿勢で地面を削りながら制動する。
「貴様…その技、英雄の類か…」
「英雄だと? 自分如きが偉大なる先達と比べられるとはな」
「なら何なのだ…! この砕巌のミケレの猛進をいなすその技は、力は! 貴様が英雄足り得ないのなら! 何が英雄なのだ!」
いや名前と見た目が釣り合わなさすぎるでしょう!と瑛貴はつっこむが、それ言うと怖いのであくまで心の中だけである。
「英雄か。この俺などーーーーーー」
英雄。この世界は、未だ一騎当千が有り得る世界だ。
たった一人の強者が千の軍勢を壊滅させることは珍しいこともない。
果てしない研鑽、あるいは才能によって選び出される、強者の中の強者、それ即ち英雄である。
地面が衝撃によって揺れ、砲弾の如き速さでミケレが肉薄する。
「足元にも及ばんわ!」
轟音、鳴動、そして。
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