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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
9/88

□Episode 9: ふたつの灯り

 薄暗い部屋。マウスのクリック音と、カタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。被りっぱなしのヘッドホンからは、耳にたこができるほど聞き飽きた曲が流れている。

 目頭を押さえ、作業から逃避するように時計に目を向ける。


「やっば……もうこんな時間か……」


 時刻は午前六時。空も仄明るくなってきたし、朝早い人なら既に起きているような時間帯だ。

 と言っても、あたしが早起きして作業をしているわけではない。むしろその逆。もうずっと起き続けて身体がクタクタだ。

 どれもこれも、あたしのスケジュール管理が甘かったせいなのだが。まさか同じ日に三つも仕事の納期が重なるとは。締め切りは午前十二時。今日は仕事をしている余裕はないから、こうして今やっているわけだ。


「うぐぐ……あと少し……」


 三本目のエナジードリンクを飲み干す。もうメロディは全部できてるから、あとはミックスを調整するだけ。……それだけなのだが、まあ例によって難航しているわけだ。

 十分経ち、二十分経ち、ひたすら同じ作業を続ける。そして、時計の長針が六を指す頃。


「はあ……ようやくできた……」


 何とか納得のいく形に仕上げられたかな。それぞれの取引先にメールを送信し、机に突っ伏す。もうダメ。何も考えたくない。もうここで寝たって良いくらいだ。

 ……でも、喉渇いたな。エナジードリンク以外何も飲んでなかったから、当たり前と言えば当たり前だ。お茶でも飲むとしようか。


 ふらふらする身体を何とか支えながら、壁伝いでリビングへと出る。そのまま台所へ。グラスに麦茶を注ぎ、ぐいっと一気にあおる。


「っぷはぁ……染みるわ……」


 よく冷えた麦茶が身体中に流れ込んでいくのを感じる。

 ……ふう。少し気分が落ち着いたかもしれない。緊張の糸が解けて、一気にリラックスした気分になる。よく頑張ったよ、あたしは。その頑張りに金メダルをあげたい気分だ。

 さてと。ゆっくり休憩したところで、ちょっと仮眠でも取ろうかな。そう思って立ち上がった瞬間だった。


「――あっ――!?」


 急に襲い来る耳鳴り。その後、視界が急にモノクロに変わり、身体がぐらりと傾くのが分かった。これはさすがにまずいのでは。そう思ったときには、既に手遅れだった。

 床との正面衝突は免れたものの、さっぱり身体が動かない。もうダメか。ザーッという騒音に飲まれながら、真っ白な世界に落ちていくのだった。



「――さん! 依織さん――!」


 あたしを呼ぶ声に誘われて、ゆっくりとまぶたを起こす。あたしは今、どうなって――。


「ん……」


 光に慣れて、だんだんあたしを呼んでいる人間の輪郭がはっきりとしてくる。見覚えのある銀髪がゆらゆらと揺れている。


「あゆ、む……?」


 その映像がはっきりしたその瞬間、こちらを覗き込んでいる歩夢と目が合った。あたしの意識が戻ったことを確認すると、彼女は嬉しそうな表情をした。


「あ、よかった……目が覚めたんですね」

「ああ。……ここは……?」


 横になったまま首を動かして、部屋の内観を確認する。どうやらあたしの部屋みたいだ。


「台所で倒れてるのを見つけて、ここまで運んできたんです。びっくりしちゃって……もう目が覚めないかと思いました」


 安堵の表情を浮かべているのは、それだけ真剣に心配してくれていたということなのだろう。あたしの身勝手で歩夢に心配を掛けて……大人として情けないな。


「ありがとね。でも、もう大丈夫――っ……!?」


 起き上がろうとして上体を起こすと、こめかみに割れるような痛みが襲いかかってきた。思わずうめき声を上げ、頭を抑える。


「だっ、大丈夫じゃないじゃないですかっ! まだ休んでなきゃダメです!」

「みたいだな……。ごめん、迷惑掛けるな……」


 再びぐったり横になっていると、ドアを開けて来訪者がやってきた。


「歩夢、雑炊できたよ!」「ありがとう、すずちゃん!」

「すず……?」


 手に持ったお盆に小さな土鍋を乗せて、すずが部屋に入ってくる。そしてあたしを認めるやいなや、急いでこちらへ駆け寄ってくるのだった。


「依織ーっ! よかったぁ……心配したんだよ……?」

「……すず……ごめんな。ありがとう……」


 胸元に飛び込んできたすずを抱きしめて、優しく頭を撫でる。すずにまで心配掛けてたなんてな。本当に情けない限りだ。


「すずちゃんには私のお手伝いをしてもらってたんですよ。よく働いてくれて、助かりました」


 そんなことを話しながら、歩夢は土鍋の蓋を開ける。中から香る出汁の良い匂いが食欲を刺激する。そういえば、昨日の深夜から何も食べてないんだっけ。


「それは……すずが作ったのか?」

「うん! 頑張ったよ?」


 すずが、ひとりで……。何だか成長を感じる。立派になったな。


「朝ご飯、食べてませんよね?」

「ああ。ありがたくいただくよ」


 安静にしつつ、椅子に座って雑炊を口に運ぶ。ああ、すごく美味しい……。疲労困憊のこの身体には、優しい味加減がとても心地よい。

 思わず溜め息が出てしまうほどに、心身共に疲れ切っていることを自覚した。


「美味しい……美味しいよ……」

「ふふふっ、よかったね、すずちゃん」

「うんっ! えへ、いっぱい食べてねー」


 雑炊の温かさとはまた別に、心の内がほんのりと温かくなるのが自分でも分かった。


「――ふう。ごちそうさまでした」


 空になった土鍋とレンゲを置き、一息つく。腹に物を入れるだけでも大分違うな。身体が楽になったような気がする。


「すず、持って行くねっ!」

「ありがとね。……依織さん、ちょっと顔色が良くなりましたね」

「そうか? 二人のおかげだな」


 あたしはこの家で櫻の次に年上だから、普段はずっと世話する役だったけれど、こうして世話されるのも悪くないな。優しくされる度に、二人の温かみを感じる。


「すずも歩夢も……偉いな、頑張ってて」

「そんなことないですよ。今まで面倒見てもらってた分、依織さんにお返ししてるだけですから」


 そう言って穏やかに笑う歩夢。そんなことが言えてしまうくらい底抜けに優しいんだな、この子は。

 程なくして、食器を洗い終えたすずが戻ってきた。それを見計らうようにして、歩夢がゆっくりと口を開く。


「それで……さっきは何があったんですか?」

「倒れちゃうくらい何してたの?」

「うぐっ……」


 二人に事情を問われ、思わず声が出る。ここまでしてもらっておいて何だが、あんまりあたしの事情は知られたくないな。大人として少し恥ずかしいし……。


「むう……」「じー……」

「そ、そんなじっと見つめるなよ……」


 四つの目にじっと見つめられて、たじたじになってしまう。これは何が何でも聞き出してやる、という目だな。ダメだ、多分これは逃れようがない。


「分かったよ、話すよ……。実はさ、仕事の締め切りが――」


 ここに至るまでの経緯を包み隠さず話す。自分で話していて思うのは、なかなか無茶な行動だったということだ。若さを過信しすぎたな。


「――というわけだ」

「もー、無理しちゃダメですよ!」

「ほんとだよ! 倒れちゃったら意味ないじゃん!」


 おっしゃるとおりで。まあ締め切りには間に合ったので万々歳だが、その代償がこれじゃあな。

 ふう、と溜め息をつくと、歩夢が泣きそうな顔になっているのに気が付いた。


「ほんとに……心配してたんですからね……」

「歩夢……」


 拳を握りしめて、真剣な表情をする彼女。ああ、この子は本当にあたしのことを心配してくれてるんだな。信じてなかったわけじゃないけれど、改めて心に響いて、きゅうっと胸が痛む音がした。


「……悪かったよ。もう無理しないから、な?」


 涙を目に浮かべながら、歩夢はこくりと頷いた。彼女のこんな表情、もう二度と見たくはないな。密かに胸の中で誓いを立てるのだった。


「私たちも依織さんの代わりになれるように頑張りますから……もっと、頼ってくださいね」

「すずも頑張る!」

「二人とも……はは、ありがとう」


 腕を伸ばして、歩夢の髪を撫でてやる。その次に、すずの髪も。二人ともえへへ、と笑って顔を見合わせた。


「それじゃ、早速何かしてほしいこととか、ありますか?」

「してほしいことね……あ、そうだ」


 一瞬考えた後、ちょっとだけ頬が緩む。


「じゃあ、一緒にここにいてほしいんだ」

「いるだけ……ですか?」


 こんな時だ、ちょっとくらい甘えたって罰は当たらないよな。

 少し戸惑った表情を見せた二人だったが、やがてそれは笑顔に変わった。


「えへへ、いいですよ。いっぱいお話ししましょう!」

「あ、じゃあすずから話すね! あのね、この前心晴がね――」


 あたしの部屋が談笑で満ちる。思わぬトラブルから始まった一日だったが、もうすっかり元通りの日常になっていた。笑顔と幸せが満ちる、いつものはるかぜ荘だ。


「――そういえば、庭で育ててたお花が咲いたんですよ!」

「あの小さかったやつ? へー、もう咲いたんだな」


 ゆったり流れていく時間に身を任せ、何だっていいような雑談に花を咲かせる。思えばいつも仕事とか家事に追われていた気がするから、こうやってゆっくりする時間を取っていなかった気がする。たまにはこういうのも悪くないな。

 ぼんやり考えていると、大きな欠伸が口をついて出た。会話中に欠伸をするなんて。慌てて隠したが、二人はくすくすと笑っていた。


「ふふ、また眠くなりましたか?」

「そういえば依織、結局寝てないよね」

「あ、ああ、そういえば……」


 ぶっ倒れて意識を失っていただけで、たしかに寝てはいなかった。欠伸が出るのも当然か。


「……少し一眠りするよ。ごめんな」

「いいんですよ。じゃあ、少しお暇しますね」

「起きたらまた遊ぼーね!」


 歩夢とすずが部屋を出て行き、しんとした静けさだけが張り詰める。

 本当にいい子だな、二人とも。優しさが胸に染みて、温かい気持ちになる。このお返しはちゃんとしないといけないな。今度美味いものでも振る舞ってやるとするか。


「はは……楽しみだな」


 小さな希望に胸を膨らませつつ、あたしはゆっくりと深い眠りへ落ちていくのだった。

はるかぜ荘きってのぐう聖キャラ、歩夢とすず。かわいいね(親バカ)

すずは完全に裏表のない性格で他人と関わってますが、歩夢はちょっと他人に気を遣いすぎているところがあるみたいです。そういうところもかわいいね(親バカ)

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