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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
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△Episode 85: あの人の背中を追って

 いつも通り平穏な日。何もやることがなくて暇を持て余したわたしは、歩夢の部屋の前へとやってきていた。ドアをノックすると、少し遅れて返事が戻ってくる。それに応じて扉を開けると、歩夢の姿はデスクの前にあった。机に落とした視線を上げ、おもむろにこちらを振り返る。どうやら本を読んでいたみたいだ。


「歩夢、何してたの?」

「何……って、これですか?」


 彼女は机の上にあったそれを取り上げて見せてくれる。サイズの割にかなり分厚くて、どこぞのラノベみたいな感じだ。


「これ、お仕事についての本なんです。いろいろ載ってるんですよ」

「仕事……?」


 タイトルには「やりたい仕事が見つかる!」と書いてある。それをパラパラとめくって目を通すと、たしかに膨大な量の職業が載っている。ゲームのディレクターとか、シナリオライターとか、プログラマーとか……プロゲーマーとかもあるのか。中には名前も聞いたこともないような職業も載っている。

 さて、どうして歩夢がこんな本を読んでいるのかというと……などと思っていると、訊くまでもなく彼女の方から語り始めた。


「私、前に人助けがしたいって言いましたよね。けど、よく考えたら『何になりたい』とかは全然決めてなかったなって……」

「ああ……なるほど」


 何になりたい、ね。確かに歩夢は櫻に憧れてるけれど、よく考えたら櫻って不思議な仕事してるもんな。ここに来て長いけれど、大家をしてるのとスーパーでパートしてるくらいしか知らない。櫻の人助けって……趣味なのか?

 そんなことは脇に置いておくとして、それより今は歩夢の方だ。わたしが来た時点でだいぶ煮詰まってたみたいだし、少しくらいは手を貸してあげなきゃな。


「ねえ、歩夢。わたしも一緒に考えていい?」

「え、いいんですか?」


 わたしがそう提案すると、彼女は驚いたように目を丸くした。どうやらそんなことを言われるのを全く想定していなかったようだ。歩夢は自分のことは自分のことだ、ってすぐ抱え込むからな……。


「言ったでしょ、わたしも一緒に歩夢の夢を追いかけるって」


 そんな歩夢の助けになりたくて、わたしは一緒に夢を目指すことにした。優しい歩夢が傷つかないように、私が助けるんだって。あの約束からしばらく経つけど、未だにあの光景が思い出されて頬が熱くなる。

 彼女も同じ光景を思い出していたのか、少し頬を赤らめる。そしてばつが悪そうに髪を弄ると、ようやくその表情を緩ませた。


「えへへ、ありがとうございます。隣で一緒に見ましょう?」

「……ん。じゃあ……」


 歩夢が用意してくれたスツールに腰掛け、わたしも本を覗き込む。今開いているページは、主に人助けに関連した仕事が載っているページだった。こちらもまた先ほどの職業一覧に負けず劣らず様々な職業が名を連ねている。


「人助けって一口に言っても、いろいろあるんですよね」

「そりゃまあ……そうだね」


 ここにも載っているけれど、カウンセラーとか、ソーシャルワーカーとか、人を助けるための仕事はたくさんある。何がしたいのか、どんな人の役に立ちたいかによって、就く職業は変わってくるらしい。中にはわたしにはよく分からない分野もあって、それだけいろいろな需要があるのかとひとりで勝手に納得する。

 それは裏を返せば、目的意識を持って動かなければ何にもなれないかもしれない、ということなのだけれど。そう思うと、ずぼらなわたしには少し荷が重いな、なんて感じたりする。まあ、わたしにとってはそうでも、歩夢にとってはそんなこと些細な問題でしかないだろう。


「何か、これになりたいっていうのは見つかったの?」

「うーん…………」


 わたしがそう尋ねると、彼女は深い溜め息と共に唸って、その場にぐんにゃりと突っ伏した。指でページをパラパラとめくったりして弄び、現実逃避をしているかのようだ。煮詰まっているように見えていたが、事態はさらに深刻なようだった。


「何というか、どれもしっくり来ないんですよね……」

「そうなの?」


 頑固な歩夢のことだから、てっきりやりたいことはもう決まってしまっているのかと思ったんだけれど。歩夢の表情を見る限りは、案外そうでもないらしかった。

 ぼんやりと虚空を眺めたまま、彼女は再び溜め息をつく。何か言葉を掛けようかと思った矢先、彼女は静寂を破るように語り始めた。


「なんか、どれもわたしの思ってるのと違ってて……何て言ったらいいのか分からないんですけど……」

「…………」


 思ってるのと違う、か。その言葉には、少しだけ思うところがあった。

 目の前にあるのは紛れもなく人助けの仕事であり、それが思っているのと違うと言うのは、意欲がないと取れるかもしれない。普通なら多分そうだろう。けれど、歩夢の場合は少し事情が違うのだ。

 歩夢は人助けの仕事をしたいと言うけれど、実際のところその心は「櫻のようになりたい」というのが正確だ。本当の家族のように手を差し伸べて、悲しみに寄り添えるような、そんな在り方を望んでいる。きっと、それは職業という範疇では収まりがつかないようなものだ。だから、ここに載っているような職業じゃ、彼女の希望を満たすことはできないだろう。

 櫻のようになるのは……きっと難しいだろうな、歩夢も、わたしも。あんな風にいつも笑って許してくれて、誰かを幸せで満たせるような振る舞いなんてわたしにはできない。改めて櫻のすごさを思い知る。


「櫻のようになりたい、か……」


 歩夢に悟られぬように口ごもる。結論を導き出すのは簡単だったが、それを口にすることだけはためらわれた。これだけ彼女が真剣に考えているのに、それを打ち砕くような発言をしてもよいものか。それだけが気がかりで、何も言えずじまいだった。


「…………」

「心晴さん?」


 しばらくそんなことをぐだぐだと考えていると、いつの間にか歩夢の視線がこちらを捉えていることに気がついた。ずっと黙り込んでいたのを不審に思ったのか、怪訝そうに見つめられる。


「どうかしたんですか、心晴さん?」

「い、いや……何でもないよ……?」


 言うにしても、まだ心の準備ができていない。ここは適当にはぐらかして、後でちゃんと決心がついたときに言うべきだ。

 そう思ったのだが、それを追求するかのように彼女の顔がぐっと近づいた。


「いいや、その顔は隠しごとしてるときの顔です。言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってほしいです」

「だ、だけど、さ……」


 歩夢の将来に関わることなのだから、そう簡単にわたしが口出ししていいものではないと思う。それが彼女にショックを与えかねないものならなおさらだ。もう少しだけ考えさせてほしいと引き下がる。しかし彼女はそれを許さなかった。


「私は心晴さんのこと信頼してます。……心晴さんは違うんですか?」

「……っ」


 彼女の言葉に思わず息を呑んだ。わたしは歩夢の夢に付き合うんだって、そう決めたんだ。そして歩夢は、そんなわたしに全幅の信頼を寄せて話を聞こうとしてくれている。単なるわたしの独りよがりじゃなくて、歩夢の方からもわたしを求めてくれている。それなら、こんな問答を続けている意味なんてない。毎度の事ながら、歩夢に隠し事はできないな。

 大きく深呼吸をして、彼女の両眼をじっと見つめる。大丈夫、決心はついた。そして空気を取り込むと、思考を言葉へと変えた。


「……じゃあ、話すよ。わたしが考えてたこと」


 歩夢が小さく首を縦に振る。その表情に怯えの色はなく、わたしの言葉に真っ向から向き合おうとしてくれているのがよく分かった。


「わたしの推測だけどさ、歩夢は櫻みたいになりたいんだよね」


 わたしがそう言うと、しばしの沈黙の後に彼女が首肯する。彼女が自分自身のことをどう思っているかが分かったところで、続きを口にする。


「じゃあさ、もっと別のことに目を向けてみようよ」

「別のこと……?」


 別のこと、と言われ、歩夢がきょとんとした顔をした。何を言われているのかいまいち掴めない、とでも言いたげな彼女のために、わたしは補足の言葉を続ける。


「櫻って、人助けの仕事をしてるわけじゃないでしょ。もしかしたら、その視点でしか見えないものがあるのかもしれないって、思ったの」


 どうしてわたしたちを助けたのか櫻に訊いてみても、適当なことばかり言われて詳しいことははぐらかされてばかり。だけど、その理由は櫻の経験に基づくものなのだと思う。生きてきた人生の中に、櫻をそうさせるだけのものがあったのかもしれない。

 なら、わたしたちも彼女の背中を追いかければ、同じものが見えてくるかもしれない。


「……なるほど、たしかに……」


 わたしの説明を聞いて、彼女は小さく溜め息をついた。どうやら腑に落ちたみたいだ。


「……私、ちょっと焦りすぎだったかもしれません。櫻さんみたいになりたいって、そればっかり考えすぎて、何がしたいのか考えてませんでした」

「うん。まずは一歩ずつ……かな」


 焦ることはない。しっかり自分のビジョンを見据えて、それから飛び出せばいい。その背中を押せるように、わたしもちゃんと側にいないとな。

 歩夢が微笑むのに合わせて、わたしもつられて笑顔になった。


「そうだ、喫茶店なんてどうですか? この前話したじゃないですか、喫茶店のオーナーがいろんな人の悩みを解決する話! あれみたいな感じで!」

「もー、歩夢ってばすぐ影響されるんだから……」


 でも、すっかり元気になってくれてよかった。やっぱり歩夢はこうでなくっちゃな。きっとまた、歩夢は傷ついて悩んで立ち止まることがあるだろう。そんな時には、またわたしがこうして元気づけてあげないと。それがわたしの使命だから。


「あーでも、人助けするヒーローっていうのもいいですねー……うーん、悩みますね」

「……何がしたいのか考えるんじゃなかったの?」


 まあ、今は隣で笑っていよう。歩夢の冗談に顔をほころばせながら、平和な時間は過ぎていくのだった。

このお話で二人が向かう方向はだいたい決まりました。きっと険しい道ですが、二人の愛をもってすれば大丈夫……なはず。

本編では描く予定はないですが、櫻が今の道を選んだきっかけのお話も書きたいですね(n回目)

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