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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
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◎Episode 81: チョコより甘い二人の時間

 とある日の朝。静謐な自室の窓からは光が差し込み、耳を澄ませば小鳥たちが戯れる声も聞こえてくる。今日も穏やかな一日が始まりそうな、そんな予感がする。そんな自室の椅子に腰掛けた私は、周りの空気に似つかわしくないくらい浮き足立っていた。


「うぅ……ドキドキするなぁ」


 そんなことを言っているうちにまた息が上がってしまいそうだ。今日何度目かの深呼吸をして、心の平静を取り戻す。しかし、なおも胸の奥でチクチクと刺すような衝動は止められないままなのだった。

 ちらりと机の上を見る。そこには、パステルカラーの青い包みがひとつ置いてある。今日はバレンタイン。一年に一度、好きな人にチョコを渡す日。つまるところ、包みの中身は手作りのチョコなのだった。


「心晴さん、喜んでくれる……よね」


 去年と同じ手順で作ったから、多分失敗はないはず。むしろ去年より上手くできた自信さえある。けれど何だろうか、この不安感は。去年の私はよくこんなイベントを平静と済ませられたな、と他人事のように思う。

 いやいや、こんなところで躊躇している場合ではない。首を横に振って雑念を振り払うと、すくりと椅子を立つ。今日最後――そう信じたい――の深呼吸をひとつすると、自室を後にしたのだった。


「……よし、うん。大丈夫、大丈夫……」


 心晴さんの部屋の前に立ち、うわごとのようにそう呟く。大丈夫。私ならできる。そんな決心を固めた瞬間、背後から聞こえてきた声がそれを遮った。


「歩夢? そんなとこで何してんだ?」

「へっ!? あ、い、依織さん。ええっと、その……」


 声の主は依織さんだった。不思議そうな顔をしてこちらを見つめている。完全にひとりの世界に入り込んでいたのですぐに言葉が出ず、しどろもどろになってしまう。


「……その、バレンタインチョコです。心晴さんに渡そうって思って……」


 やっとの思いで絞り出せた言葉を告げると、彼女はしばしの後におかしそうに笑った。


「ああ……なるほどな。頑張れよ、歩夢」

「……? はいっ」


 そう言って手を振ると、彼女はその場を去って行った。何だったんだろう、今の……。どことなく意味深な表情をしていたみたいだけれど、何か知っているのだろうか。

 気にはなるけれど、今はそんなことを気に掛けている場合じゃない。私のやるべき事は、この部屋の扉をノックして、心晴さんにチョコを渡すことだ。再び息を整えて、私は扉を軽く三回叩いた。


「はーい」


 すると奥から心晴さんの声が聞こえてきて、すぐに扉が開けられた。心なしか、いつもより早く出てきたような……いや、気のせいだよね。ともかく、顔を出した心晴さんは、私の姿を認めるなり目を丸くした。


「あっ、あの……」

「歩夢……ちょうどよかった」


 後ろ手に隠した贈り物を差し出そうとした瞬間、それを無自覚な心晴さんの声が遮った。私は言葉を途切れさせるほかなく、チョコを渡すタイミングを失ってしまう。まあいいや、しばらく待ってもう一度タイミングを探そう。

 そう思いつつ、招かれるままに心晴さんの部屋に入る。しかし、何がちょうどよかったのだろうか。


「きょ、今日は寒いね……」

「えっ? あ、ああ、そうですね」


 考え事に興じていたせいか、床に座り込むなり発せられた彼女の言葉に反応が一歩遅れた。普段は心晴さんから話しかけてくることなんて少ないのに、どうしたんだろう。対して、私は私でいつもならもっと自然体で会話できるのに、今はそれどころじゃないというか。つまるところ、ここに入ってからの会話は非常にぎこちないものだった。


「心晴さん、今日は早起きなんですね。てっきりまだ寝ぼけてるかと思ったんですけど」

「それは……まあ、うん、いろいろとね……」


 当たり障りのない話をしたり――。


「……そういえば依織、何してるかな」

「依織さんなら、さっき部屋の前で見ましたよ?」

「えっ、あぁ……そっか」


 特に関係のない話をしたり――二人の間の会話に進展は一切なかった。

 も、もどかしい……! できることなら、さっさとチョコを渡してしまって楽になりたい。けど、今ここで突然渡すのも何だか不自然だし。上手い具合に話をチョコを渡すように持って行ければ良いんだけれど……。


「……こ、心晴さんって、甘いもの好きでしたっけ?」

「えっと……うん。それなりに……」


 会話が終わってから後悔した。こんなの、回りくどい上に分かりづらいだけじゃないか。チョコを渡す流れとしては失格レベルだ。

 何か、何か他に上手い会話の仕方はないだろうか。頭をひねれどひねれど出てこないものは出てこない。こんな時、依織さんなら上手い具合に会話を切り出せるんだろうけど。「頑張れよ」って言うだけじゃなくて、少しは手伝ってほしかったです……。

 そこからはさらにどうでもいいような会話が続き、お互いの腹の内を探り合うような展開が待っていた。


「……お腹、空いたなあ」

「そ、そうですね。お昼ご飯もまだですし……」


 私はと言うと、とっくの昔に我慢の限界に達してしまいそうになっていた。このまま実のない会話を繰り返していても時間が無駄になるだけとしか思えない。

 いやダメだ、もうちょっとくらい我慢しろ私……! いくらチョコの出来が良くったって、渡し方がみっともなかったら意味がない。なるべくスマートに、かっこよく。私ならできるはずだ……。


「……ふぅ……」


 そう自分をなだめすかす。今日何度目かの深呼吸。これが最後にはならなさそうな気はするけれど、少し不安が和らいだような気がした。そして改めて胸の高鳴りを感じる私とは裏腹に、部屋には静寂だけが立ちこめていた。


「…………」

「…………」


 会話の種が尽きてしまい、私から言うことは何ひとつなくなっていた。心晴さんもそういうことなのだろうか。そう思って隣にちらりと目配せしたが、彼女が何を考えているのかはさっぱり分からない。

 相も変わらずチョコを渡しあぐねる私の脳裏に、もうひとつの選択肢が浮かび上がってきた。

 どうしようか。渡し方が大事とは言っても、そもそも渡すことさえできていないのでは意味がない。いっそこのままさりげなく渡すのもありかもしれない。いや、でも心の準備がまったくできていないし、それにこの状況から渡すって言っても……ああ、頭がクラクラしてきた……。

 そんなことを考えながら心の中で頭を抱えていると、不意に隣から心晴さんの声がした。


「そ、そういえば……今日はバレンタインだよね」

「!」


 驚きの余りに振り向いて、心晴さんの顔をじっと見つめる。あからさまどころか、もはやそのものの話題だ……! 急にどうしたんだろう。何を思ってそんな話題を振ったのかは分からないけれど、今ここで乗っておかないとチョコを渡す機会を一生失ってしまうのは確かだ。やるなら今しかない。覚悟を決めろ、私!

 その決心をしたのは、わずか数秒の間だった。そして隠し持っていた包みをしっかりと手に取ると、私はそれを前へと差し出したのだった。


「こっ、これ……!」

「そのっ、えと……!」


 二人の声が重なって、私は驚いて顔を上げた。きつく結んでいたまぶたを開くと、チョコを渡す自分の手の向かい側に、もうひとつ包みを差し出す手があったのだった。


「えっ……?」


 その包みを渡す手――心晴さんは、羞恥に顔を赤く染めながらもじっとこちらを見つめている。私はと言うと、何があったのか理解が及ばず、一瞬思考回路がフリーズしてしまっていた。


「きょ、去年は、歩夢に先越されたから……今年は、わたしから渡そうって、そう思って……」


 心晴さんの口からぽつりぽつりと言葉が紡がれる。その一言一句が語られるごとに、私の感情がどんどん高まっていくのがよく分かった。

 心晴さんが、私のために、自分からプレゼントを……。そんなことが今までになかったから、余計に嬉しさがこみ上げてくる。バレンタインに向けて準備してたのは、渡す相手のことを思ってドキドキしていたのは、私だけじゃなかったんだ。


「心晴さんっ……!」

「わぁっ……!?」


 お互いの贈り物を受け取った後、私は思わず心晴さんの身体を強く抱きしめた。この胸の高鳴りが抑えられない。さっきとは違う意味で、私の心はドキドキしていた。


「嬉しいですっ、心晴さんがそんなこと考えてくれてるなんて……!」

「……そりゃ、わたしだって、歩夢のこと好きだし……チョコくらい、作ってあげたいし……」


 私の胸の中に収まったまま、心晴さんがそう呟く。その言葉に、私はまた喜びの感情を隠さずに抱きしめるのだった。


「わわっ、苦しいよ、もう……」

「えへへ……」


 お互いにお互いの熱を感じながら笑い合う。何だか、また少し心が繋がったような、心晴さんのことをもっと理解できたような、そんな気がした。気のせいかもしれないけれど、今の私は確かにそう感じていた。

 私が満足して腕を解くと、心晴さんは恥ずかしながらも嬉しそうに佇んでいた。彼女の残り香と体温が、まだこの胸に残っている。


「……今日は最高のバレンタインですね」

「うん。……わたしもそう思う」


 再び隣り合って座り込む。そして心晴さんの方へ甘えるようにもたれかかると、彼女も同じようにして体重を預けてくれた。

 そんな中で、私の脳内にふと良いアイデアが閃いた。これは喜んでくれるかもしれない。そう思うと、自然と笑みがこぼれる。


「そうだ、良いこと思いつきました。今年のホワイトデーは、お互いにお返しして食べ合いっこしませんか?」

「あ……いいね。今から考えなきゃね」


 そうやって笑い合って、どちらから求めるでもなく手を繋ぐ。お互いの暖かさを感じる度に、心地の良い鼓動を感じていた。


「心晴さんが何作ってくれるか、楽しみです」

「ふふっ……歩夢のためなら、何でもできそうかも」


 また生まれた二人の笑い声が、チョコよりも甘い時間に溶けていくのだった。

ドロドロ甘々カップルです。はい。かわいいね。

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