□Episode 77: アルバムに積もる埃と思い出と
「櫻、こっちのやつは持って行っていいやつか?」
「うん。それは全部捨てちゃうやつね」
とある休日のこと。あたしと櫻は、二階に上がって木造テラス前の片付けをしていた。このテラス周りは、普段使っていないものや自室に置いておけない物を雑多に並べた物置状態になっている。クリスマスツリーやらハロウィンの飾りやらは別に捨てなくてもいいが、それ以外は今日中になるべく整理しておかないとな。
「にしても、急に片付けしたいなんて唐突だよな」
「あはは、ほんとにただの気まぐれよ。思い立ったが吉日、ってやつ?」
「ま、そんなとこだろうな……」
櫻の気まぐれにも困ったものだ。まあ、あたしもそろそろ片付けねばと思っていた頃だし、ちょうど良かったのだが。このまま歩いてテラスに出る分には何の問題もないが、やっぱり散らかっていると気になるからな。
そんなことを考えながら使わない物を持って階下へ降りる。そこへちょうど歩夢が通りがかったのだった。あたしの姿を認めると、不思議そうな目をしてこちらへ向かってきた。
「あれ、依織さん。そんなに荷物持ってどうしたんですか?」
「今片付けしてんだよ。二階の物置のな」
ほら、と抱えた段ボールに入った物を見せた。中には壊れたCDプレイヤーや、もう使わない筆箱やらが入っている。ここに来たばかりの頃の物も入っているのを見る限り、本当にずっと掃除していなかったのがよく分かる。八年間も放置してたらあんなに汚くなるのも頷ける。
「へえー、こんなのが置いてあったんですねえ」
「結構いっぱいあってさ。もうちょい早めに掃除しときゃ良かったよ……」
今はグチグチ言っていてもしょうがないか。よいしょ、とその段ボール箱を玄関近くに置き、次の不要品を探しに階上へ向かおうとする。その背中を歩夢の呼ぶ声が引き留めた。
「あのっ、私も手伝ってもいいですか?」
「えっ、いいのか?」
別に大丈夫だよ、と言おうとして振り向くと、彼女のこちらをじっと見る目と視線がぶつかった。こういうときの歩夢は、何を言ったところで退かないのがいつものパターンだ。まったく、変なところで頑固なんだよな……。
とはいえ、人手が増えるのは嬉しいことだ。それは素直に歓迎したい。
「分かったよ。ありがとな」
「いえいえ、どういたしまして!」
驕ることもなくにっこりと笑ってみせる歩夢。本当に無邪気で素直で……あと、強引な奴だ。
「おーす。調子はどうだ?」
歩夢を連れて二階に戻ると、櫻は荷物の山を仕分けしている途中だった。がさごそと前後左右から物を拾い上げては、必要な物とそうでない物にまとめて置き直す。
「ぼちぼちね。ただ数が多くって、ひとりじゃ終わりそうにないわね……」
「それじゃ、私も手伝います!」
いったん荷物を運ぶ手を止めてそちらに加わろうかと思った矢先、あたしの背後から歩夢が顔を出した。
「歩夢ちゃん、いいの? 悪いわね……」
「いいんですよ。私がやりたいだけですから」
……どうやらその必要はないようだ。安堵して小さく溜め息をつくと、まとまっている荷物の塊に手を掛けるのだった。
それからの作業はというと、歩夢が参戦したことによって目に見えてスピードが上がっていた。取り出しては置き、取り出しては置きの繰り返し作業がてきぱきと進んでいく。歩夢の奴、実はかなり片付けが得意なのかもしれない。
「櫻さん、この雑誌の山要りますか?」
「あら懐かしい。でも今は必要ないわね……」
櫻の返答を聞くなり、歩夢は傍にあったビニール紐で雑誌をぐるぐると括っていく。思わず見とれる手さばきだ。これは流石にあたしにも真似できないかもしれないな。
「この辺持ってくぞ?」
「うん。頼んだわ」
さっき縛られた雑誌の束に、あと細々した物をいろいろと。それを持ち上げて降りようとすると、不意に歩夢が声を出した。
「あれ、このチラシ何ですか? 椿山依織、路上ライブ――」
「わーっ、読み上げるな!」
危うく荷物を取り落とすところだった。乱暴に荷物を下ろすと、歩夢からチラシをひったくる。それはあたしが昔路上ライブをやっていた頃に刷った白黒のチラシだった。かっこつけたデザインとかして、その上何十枚も刷ったせいで大量に余っているのをすっかり忘れていた。まさか歩夢に見つけられるとは思わなかった。
「こっ、これもあたしが持って行くからなっ!」
「えっ、なんでですか? よくできてるのに……」
そんなあたしの事情など知るよしもない歩夢は、純粋な目をして首を傾げた。歩夢が嘘をつくことはないが、今はその正直さが逆に胸に刺さる。
「ふふふっ、依織ちゃんにも恥ずかしい過去のひとつやふたつあるものよ」
「おい櫻、笑うなよな!」
まったく、大恥掻いちまった……。まあいいか、若気の至りと割り切れれば……割り切れるのか?
もやもやとした思いと荷物を抱えつつ、階下へと足を運ぶのだった。
そうしていい感じに荷物が片付いてきた頃、あたしは物置の隅にアルバムの山を見つけた。
「あれ、これってたしか……」
「あらあら、随分懐かしい物が出てきたわね」
その中の一番上を取り上げて埃を手で払うと、見覚えのある表紙が浮かび上がる。そんなあたしたちの様子を不思議に思ったのか、歩夢がこちらへ寄ってきて輪の中に入った。
「何ですか、それ?」
「これはな、昔の――まだここにあたしと櫻とすずしかいなかった頃の写真だよ」
「アルバムなんてあったんですね。見てみたいです」
歩夢に請われるまでもなく、その硬い表紙をそっとめくる。払いきれなかった埃が舞い上がると、もはや思い出の彼方に消えた時代の写真が姿を見せた。
「わぁ、これすずちゃんですか!? 可愛い……!」
まだ幼かった頃のすずの手を繋いで、あたしと櫻が映っている。それを見た瞬間、不思議と昔の思い出が蘇ってきた。昔の事ながら意外と覚えているものだ。
「たしか初めて旅行したときの写真だっけか、これ」
「そうね、依織ちゃんってばむっすりしちゃって」
「るせー」
そっぽを向いて、けれどすずの手はしっかりと握って。青かったなあ、この頃のあたしは。今となっては笑える懐かしい思い出だが。
次のページを開くと、すすの誕生日――もとい、櫻に拾われた日のパーティのケーキと、それを頬張るすずの写真が出てきた。
「あ、思い出した。これ、すずに隠れて用意するのに苦労したやつだよな」
「そういえばそんなこともあったわね。ふふっ、この時のすずちゃん、とっても嬉しそうね」
次のページをめくれば櫻とすずの寝顔の写真、その次は櫻が新しい服を買ったときの写真だ。中にはあたしが真剣そのものの表情でギターを鳴らしている写真もある。……いつ撮られたんだ、これ?
「すごいですね、これ全部みんなの写真なんですね……」
「気がつけばもうすぐ八年になるものね」
「そりゃあアルバムも増えるわけだ」
だからといってこんな物置の隅に放置していいわけではないが……。まあ、それはそれとして。
「なんか懐かしくなっちまったな。現実味を感じないというか……」
「そう? 私は今でも昨日の事みたいに思い出せるけれどね」
そんなことを言い合いながら他のアルバムもめくる。思わぬ掘り出し物が見つかったことで、すっかり会話に華が咲いていたのだった。
「しかし、こうして見るとあたしらの写真ばっかだな」
「そりゃあ一番長いもの。当たり前でしょ?」
あたしがはるかぜ荘に来てから、次の住人――心晴がやってくるまで四年か。それからすぐに歩夢がやってきて、楽しい思い出がその分増えて。二人とも随分長く付き合ったかと思ったが、まだそんなに経っていないんだな。
「そう思うと……ここ最近で随分賑やかになったな」
「そうね……あんまりいいことでもないけどね」
櫻は弱々しく笑った。まるで住人が増えることが本意とは外れているかのような、自重の色を乗せて。そんな表情をしてほしくなくて、あたしは精一杯明るい笑みを返す。
「でも、ここに来てからは二人とも幸せそうだし、今はそれだけでもいいだろ」
「……それもそうね。ふふ、ありがとう」
彼女の真意が何であれ、今が幸せならそれでいいと、少なくともあたしは思う。今こうして生きていられて、櫻のおかげで満足するまで音楽ができて、それ以上に求めることなんて何もないものな。
そういえば、櫻がこうして身寄りのない少女に手を差し伸べる理由を聞いたことがない。いつか聞かせてもらえるのだろうか。何せ秘密の多い人間だからな……。
ぼんやりとそんなことを考えていると、歩夢が他のアルバムを開いてはしゃいでいるのが聞こえた。
「見てくださいこれ、こっちには心晴さんが映ってますよ!」
「お、心晴が来たばっかの時の写真か」
歩夢の持つアルバムには四人で撮った写真が入っていた。あたしもすずも、さっきの写真よりは少し大人びて見えるな。
「こっちはゲームしてる時の写真ですね……ふふっ、心晴さんってばすごい表情してます」
「お、寝落ちしてる。誰が撮ったんだこれ?」
今度は心晴の写真を見て盛り上がる三人。だが、その会話は不意に現れた白紙のページに阻まれてしまったのだった。
「あれ、もうおしまいですか……勿体ないですね」
「そうね……」
歩夢の言葉に、櫻は手を顎に当てて考える仕草をした。彼女が何を考えているのか、あたしには少しだけ分かったような気がした。
そうしてしばらく考えた後、櫻は口を開いた。
「せっかくこうしてアルバムを見つけたんだし、ここにまた新しい写真を入れていかない?」
「そう言うと思ったよ。最近はめっきり写真も撮ってなかったしな」
「いいですねっ、私も映りたいです!」
五人で映す新たな思い出、幸せの形。それは想像するだけで胸が躍るものだった。家族と呼べる存在が増えていく。それに合わせて思い出も増えていく。これほど嬉しいことが他にあるだろうか。
「よし、まずは下で一枚撮りましょうか!」
「はーいっ!」
三人揃って下に降りる。そんな中で、何年後になるだろうか、こうして記録が詰まったアルバムをまた見返す日に想いを馳せていたのだった。
「……そういや、片付けは……」
「じ、時間はたくさんあるんだから、ね……?」
……次の片付けはいつになるだろうか。そんな思いも馳せつつ歩夢の後を追うのだった。
ちょっとだけ過去を振り返るお話でした。依織とすずの昔の話ももっと詳しく書きたいですね……。