□Episode 73: 積もる笑顔と雪だるま
とある日の昼下がり。早々に仕事を終わらせたあたしは、リビングでしばしの休憩を取っていたのだった。
「ふう……やっぱ仕事終わりのコーヒーが一番だな」
最近はめっきり寒くなったからな。こうして温かいコーヒーを飲むと、身も心もリラックスできるような気がする。リラックスしすぎて漏れた欠伸を噛み殺すと、ふと窓の外に目をやる。
そこには、白い雪がちらちらと降っていたのだった。
「……雪だ……」
思わず感嘆とも唖然ともつかない声が出た。庭をよく見ればささやかに白い絨毯ができている。この調子じゃ昨日のうちから降っていたのかもしれないな。
しかし、普段自室のカーテンは閉めっぱなしだから気がつかなかった。思い返せば今年ももう十二月の半ばか。時が経つのは早いものだ。
そしてあたしも年を取るわけだ、などと思っていると、背後からどたどたどた、と騒がしく駆けてくる音が聞こえてきた。こんなに賑やかなのはひとりしかいない。振り返って、鼻息荒く佇むすずの方を一瞥する。
「雪降ってるね、依織っ!」
「そうだな」
雪ひとつでどれだけはしゃいでるんだか。まるで犬みたいだ。すずは喜び庭駆け回る……ってか。
その興奮も冷めやらぬまま、すずは元気いっぱいに宣言する。
「依織、今からお外行くよ!」
「…………」
開いた口が塞がらなくなった。
何を言ってるんだこいつは。ついさっき雪が降ってるね、って話をしたばかりなのに、その上で言ってるのか。あたしだって寒いのが嫌いなわけではないが、だからといってわざわざ外に出る意味もない。それこそ、毎週続けているランニングの時くらいしか――。
「もー、そんな顔しないでよ。いつもやってる運動の一環だと思えばさ」
「うぐ……」
なんでそこをピンポイントで突いてくるんだよ……。
いつもの運動。毎週歩夢と心晴を連れ出してやっているランニングのこと。もちろん、それは寒い日だろうとこんな雪が降る日だろうと『わざわざ』外に出て行われる。そうやってわざわざ外に出るのだから、今日もそれの一環だと思って外に出てほしい……というのがすずの言い分なのだった。
ランニングしよう、と言い出したのはあたしだから、それに言及されると反論に困ってしまう。
「ね、いいでしょ?」
「うーん……」
すずが期待たっぷりのまなざしでこちらを見つめる。彼女お得意の戦法、泣き落としならぬ甘え落としだ。あたしだってすずと七年くらい付き合ってきたんだ、そんな手に簡単には乗せられたり――。
「……ったく、すぐ帰るからな」
「わーいっ!」
やっぱダメだ。最近すずに甘くしすぎてる気がするな……。
幾ばくかの準備時間を経て、すずに引きずられる形で外に出る。そんなあたしの外出を待ち構えるかのように、すぐさま撫でるような冷気があたしを包んだ。
「うー、寒っ……」
あまりの寒さに、漫画のようなポーズを取りながら歯を鳴らした。
とりあえず厚着はしてきたつもりだったのだが、向こうにとってはそんなものお構いなしといったところか。あたしの努力をあざ笑うように風が吹いて、再びあたしを震え上がらせた。
「えー、すずはこれくらい平気だよ?」
対するすずはカーディガンを羽織るだけと、とても十二月の服装とは思えない出で立ちだ。あたしには到底真似できそうにないな……。
「羨ましい限りだぜ……」
「へへーん、子どもは風の子だからね」
本当にそうだと思う。どうして大人になったら寒さに弱くなるんだろうな……。
そんな会話を繰り返していると、あっという間に公園まで辿り着いた。視界の先には、まっさらな白い世界が広がっている。
「お、だいぶ積もってんな」
「昨日から降ってたみたいだしね。それっ、一番乗り!」
ジャンプで入り口を飛び越えるすず。着地した長靴がきゅっ、と小気味いい音を立てて雪の中に沈んだ。
「依織もおいでよー、遊ぼうよ!」
「すぐ帰るって言ったろ……」
どうにも今日は気分が乗らないんだよな。帰るぞ、と踵を返して促す仕草をするが、すずは一向に離れようとしない。それどころかすぐ傍に擦り寄ってきてお願いをする始末だ。
「いいじゃん依織、ダメかな?」
「……っく」
今日二回目の甘え落とし戦法。この目をされると、断れるはずのものも断れなくなる。どう考えても自分が可愛いのを分かってやってるだろ。まったく、誰がこんなこと教えたのやら……。
「……しょうがねえな」
「やったー! ありがと、依織!」
やっぱあたし、すずに甘いんだな。すずももう十一歳だし、そろそろ厳しく行かないとな……。
「よーし、雪だるま作るよ!」
「じゃああたしが頭作るか。すずは身体を作ってくれ」
「はーい!」
手頃な雪を手に取って丸め、雪原の上をごろごろと転がしていく。かなり積もっているおかげで雪の出所には困らないな。そうしてしばらく無心で転がしているうちに、周りを巻き込んで雪玉はみるみるうちに大きくなっていく。何だか少し楽しくなってきたな。
そうして雪玉も結構な大きさになってきた頃、離れた場所からすずの呼ぶ声が聞こえた。
「依織ー、どんな感じ?」
「こっちはだいぶ大きくなったぞ。そっちはどうだ?」
「すずのもおっきいよ! 見て見て!」
すずの転がす雪玉は、既に彼女の膝丈ほどもあろうかというサイズになっていた。これなら頭を乗せても安定してくれそうだな。
すずがベンチのすぐ傍へ雪玉を転がし、あたしがその上に頭となる雪玉を乗せてやる。これで二段重ねの雪だるまが完成だ。これだけでも十分だが、さらにそこへすずが木の枝と石ころで飾り付けをしていく。
「これは……よーし、ここっ!」
「割と容赦なく突き刺すのな……」
「すずは感覚派だからねー」
なんだそりゃ。とはいえ彼女の言うとおり、感覚で配置していったパーツたちは不思議と調和して顔の形を成しているのだが。
「あとは腕をくっつけて……かんせーい!」
「おお……」
腕となる最後の木の枝を胴体に突き刺して、二人で作った雪だるまは無事完成を見たのだった。
なんか、結構大変だったな……。一段落付いたかと思うと、急に額に汗が浮かんできた。それを拭いつつ、しゃがみこんで完成した雪だるまを眺める。
「えへへ、可愛く出来たでしょ?」
「ああ。なんか愛嬌を感じるよ」
曲がった枝を口のパーツにして、雪だるまは笑顔を浮かべている。その表情がどこかすずに似ていて、思わず吹き出してしまった。創作物は作り手に似るなんて言うが、意外とそうかもしれない。
「楽しかった、依織?」
「ん……まあ、な」
「でしょ? やっぱり雪っていいなあ」
実のところを言えば、寒いのなんてそれこそ汗をかくくらいに忘れてしまっていて、「すぐ帰る」なんて言った自分の言葉さえ忘れてしまって。結局すずと雪だるま作りを楽しんでいたのだった。やっぱりすずには甘いみたいだ、あたしは。
いや、今はそんなことはどうだっていいか。楽しむ時は楽しむ、それだけだよな。立ち上がったすずに合わせて、あたしも腰を上げる。
「よっし、もう一個作るよ!」
「まだやんのかよ!?」
帰る時はちゃんと帰るって言う、それでいいよな。……多分、きっと……。
* * *
「ふたつ目完成っ!」
「はあ、疲れた……」
先ほどのものよりは少し小さい雪だるまが、ベンチの横にちょこんと佇む。今度もまた飾り付けはすずの担当で、ひとつ目とはまた違う可愛らしい表情をしていた。
「いやー、満足満足」
「そりゃ良かったよ……あたしは腰が痛い」
昔はもうちょっとアクティブだったはずなんだけどな。すずの動きにもついて行けないなんて、あたしももう年かもしれない。
などと思いながらベンチに腰掛けると、その隣にすずが腰掛けた。
「ねえ、依織」
「ん? なんだ?」
呼びかけに応えてすずの方を向くと、彼女はにっこりと微笑んでいた。
「すずね、今日依織と遊べて楽しかったよ!」
まるで輝きを放つかのような眩しさの笑み。嘘偽りのない彼女の本心が、そこにはあった。
「……すず」
その笑顔に吸い込まれるように、あたしはその小さな体躯を抱き寄せた。わっ、と彼女は一瞬驚きの声を上げたが、すぐに抱きしめ返してくれる。厚着越しでも伝わる幼い体温が、あたしの身体を温めてくれた。
「あたしもすごく楽しかったよ。ありがとうな、すず」
「えっへへ……どういたしまして」
腕から離れたすずがまたにこりと笑った。
あたしがすずに甘い理由、何となく分かったかもしれない。それは、ずっとこの笑顔を見ていたいから。すずが笑う度に周りの空気が華やぐような気がして、だからすずにはずっと笑顔でいてほしいのだ。考えてみれば単純明快、ただそれだけの話なのだった。なんかいろいろ考えていたのがバカみたいだ。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか。だいぶ遊んだもんね」
「そうだな。帰ったら風呂でも沸かすか」
「いいねー」
おもむろにベンチから立ち上がり、二体の雪だるまを残して公園を後にする。なんだかんだ言って、すずと遊べて今日は楽しい一日だった。それに、個人的な気づきもあったことだし。
すずの笑顔を見たいから……か。それじゃあ、もう少しだけ甘くしてみてもいいよな。
「風呂上がったら、なんか甘いもんでも作るか」
「ほんとっ!? すずね、プリンが食べたい!」
すずがまた笑った。それにつられるようにあたしも笑った。そうしてふたりで笑い合い、幸せな時間と共に帰路を急ぐのだった。
去年に引き続き雪遊び回。
ところで僕は厚着してる女の子が好きです。