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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
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◎Episode 71: 糸を編んで、思いも編んで

 今日も今日とてはるかぜ荘は至って平和だ。何か煩わしいトラブルが起きるわけでもなく、普段通りの平穏で幸せな一日が過ぎていくだけだ。


「ふわぁ……」


 とはいえ、平和すぎるのも困りものだ。思わず出たあくびを噛み殺す。

 こうも日常に変化がないと退屈になってしまう。日課の勉強も終わらせてしまったし、本棚の本も読んでしまったし、ただひたすらに退屈だ。何か面白いことでもないかなあ。


「……みんな、何してるかな?」


 仕方ない、誰か誘って何かしよう。そう思って心晴さんの部屋を訪れたのだが、彼女は幸せそうにぐっすりと眠っている最中なのだった。


「流石に起こすわけにはいかないか……」


 そっと扉を閉じて部屋を後にする。心晴さんがダメならば、あと暇そうなのはすずちゃんくらいか。その足ですずちゃんの部屋の前まで向かうと、軽く三回ノックをする。

 十秒ほど待ってみたが、反応はない。すずちゃんも寝てるのかな。一応確認するために扉を開ける。

 そこでは、すずちゃんが何かしているようだった。よほど熱中しているようで、扉を開けて中へ入ったことに気づく様子はない。


「何してるの?」

「ひゃあっ!? 歩夢っ!?」


 私が後ろから声を掛けると、彼女は縮こまったバネのように飛び上がったのだった。


「も、もう、急に話しかけるからびっくりしたよ……」

「あはは、ごめんごめん」


 まさかそんなにびっくりするとは思ってもみなかった。すずちゃんって、いつも周りが見えなくなるくらい集中するからなあ……。


「それで、何してたの?」

「これ? マフラー作ってたんだ」


 そう言って彼女は手元にあった毛糸を見せてくれた。編み針に通された毛糸がマフラーの形を成しているのがよく分かる。


「最近寒くなってきたし、櫻に作ってプレゼントしようかなって。……あっ、これ櫻には内緒ね!」

「ふふっ、すずちゃんってば優しいんだね」

「か、からかわないでよ……」


 照れたようにして、彼女は人差し指を唇の前に当てる。すずちゃんって、本当にみんなのことが大好きなんだな。

 それにしても、マフラーか。先ほどの彼女ほどとは行かなくても、かなり集中してできそうだ。これは良い暇つぶしになるかもしれない。


「私も一緒にやってみていい?」

「歩夢も? いいよ!」


 彼女は余っていた毛糸の玉と編み針を渡してくれる。よし、頑張るぞ!


「――この糸をこうして……そうそう、そんな感じ」


 すずちゃんに手取り足取り教えてもらいながら、編み針をちまちまと動かす。その作業は単純ながら緻密で、コツを掴むのはなかなか難しそうだ。


「ほえぇ、結構難しいね」

「慣れだよ慣れ。慣れればそのうちスピードも上がるよ」

「そうなのかなぁ……」


 そんなことを言うすずちゃんはというと、私が手間取るような手順も、それがどうしたと言わんばかりにこなしていく。彼女自身の万能さもあるけれど、何よりも彼女の言うとおり「慣れ」から来る迷いのない手つきだった。


「すずちゃん、なんかベテランって感じだね」

「前にも依織に作ってあげたことがあったから。その時の感覚が残ってるみたい」

「へー、やっぱりすずちゃんはすごいなぁ……」


 私なんか、一ヶ月もしたら忘れてしまいそうだ。そうならないように、この手順を身体に覚え込ませなきゃ。針を動かして編んで、また動かしては編んで……。まだまだすずちゃんみたいに上手くはいかないらしい。

 それでも、作業を繰り返しているうちにだいぶ慣れてきた……ような気がする。先ほどよりはスムーズに手も動くようになり、心なしか作業スピードも上がった。うん、順調だ。このままマフラー完成まで突っ走れそうだ。


 ……と思ったのだが。いつだって現実はそう甘くはないのが世の常だ。


「ぜ、全然出来ない……マフラーってもっと長かったよね……?」


 集中力が続いたのもあって三十分ほど黙々と毛糸を編んでいたのだが、そんな私の調子とは裏腹に、あまり進捗と呼べるものはできていなかった。これじゃマフラーというよりコースターだ。

 すずちゃんのマフラーはというと、すでに私の四倍以上の長さを編んでいた。かろうじて首に掛けられるサイズであり、私のコースターもどきとは比べるべくもない。


「まあ、少なくとも四時間以上は掛かるからねえ……」

「よ、四時間……?」


 そりゃあ気の遠くなるような作業だというのは覚悟してたし、だからこそ暇つぶしになると思ったのだけど、四時間以上掛かるとは。このコースターもどきを作るのに三十分掛かってて、あとこれを何個分作れば……ダメだ、気が遠くなってきた。


「……ちなみに、すずちゃんのは今どれくらい掛けてるの?」

「大体三時間かな」

「ひえぇ……」


 その集中力もさることながら、すずちゃんのそれですら三時間も掛かっていることの恐ろしさよ。何だか急に不安になってきた。ちゃんと私に完成させられるんだろうか……。


「ま、最初のうちは誰でもそんなものだよ。習うより慣れろ、だね」

「うぅ……そうだよね、頑張ります……」


 とは言いつつも、今ので集中力が完全に途切れてしまった。まだまだ先が長いと思うとやや気が滅入る。ぐったりとしてベッドに突っ伏す私を見かねたのか、彼女は櫻さんによく似た微笑みを投げかけた。


「でも、疲れたら休憩も大事だよ。疲れた状態だとミスも多くなるし、かえって効率も落ちるし」

「うぅ……ありがとう……」


 それが彼女なりの気遣いであることは分かる。その優しさに甘えるようにして、私はヒートアップした脳を休めるのだった。つい五分前まで真剣そのものだったすずちゃんも今は柔らかい表情をしている。……編み針を動かす手の方は、先ほどと一切変わっていないのだけど。

 そんな調子で手を止めないまま、彼女は独り言のように呟いた。


「マフラー……っていうか編み物って、作るのにめちゃくちゃ時間が掛かるけど、その分だけ気持ちがこもるものだと思うんだ」

「気持ち?」


 反射的に首をかしげた。言っていることは分かるけど……どんな気持ちなんだろうか。


「うん。誰かに着けてもらいたいなって、これで喜んでくれるといいなって気持ち」

「喜ぶ……かあ」


 彼女の言葉に呼応するように、私の脳裏にマフラーを着けた櫻さんの姿が浮かび上がった。櫻さんならきっとすずちゃんのマフラーを喜んで着けてくれるだろうな。想像の中の櫻さんは、とても嬉しそうな表情をしていて――。


「……なんかそういうの、分かるかも」

「おっ、分かってくれる?」


 本人はからかわないでよ、なんて恥ずかしそうに言っていたけれど、本当にすずちゃんは優しいと思う。優しくて思いやりがあって完璧だ。


「すずちゃん、ロマンチストだね」

「う、うるさいなあ。歩夢だってそうでしょ」


 そう言って頬を膨らませた後、すずちゃんは堪えきれないように吹き出した。それに合わせて思わず私も笑みがこぼれる。


「あはは……でも、すずちゃんは本当に優しくていいなあ」

「そうでもないよ。櫻には迷惑掛けてばっかだから、これくらいしないと……ね?」


 そういうところだよなあ、と心の中で思う。誰かのためにわざわざ何時間も掛けてマフラーを編むなんて、これ以上に優しい行為があるだろうか。本当にすずちゃんはよくできた子だと思う。


 誰かのために、といえば、私は特段このマフラーを誰かに作るとかは決めていなかったっけ。すずちゃんの手の進みが早いのは、もしかしたら誰かの顔を思い浮かべているからというのもあるかもしれない。

 すずちゃんにそのことを話すと、彼女はからかうように笑って言った。


「じゃあさ、心晴に作ってあげたら? きっと喜んでくれると思うよ」

「心晴さんかぁ……」


 そう言われてみて想像しようとするが、よく考えたら心晴さんがマフラーを着けているところを見たことがない。まさか屋内でマフラーを着けるわけにもいかないしね。


「……あんまり外に出ることがないからなぁ……」


 心晴さんにプレゼントするのは私も大賛成だけれど、せっかくならちゃんと着けてほしい気持ちもある。うーむ、困った……。


「そうかな? 心晴のことだし、歩夢のプレゼントとあらば張り切って外に出たがると思うよ」

「逆にそれはどうなのかな……」


 でもまあ、心晴さんが着けてくれるというのであれば、心晴さんにプレゼントするとしよう。ちょうど今編んでいるのも青色だし、彼女にぴったり似合うマフラーが出来そうだ。


「心晴さんなら、どんなマフラーの着け方するのかな……」


 再び心晴さんがマフラーを着けた姿を想像する。どんな表情をするのかな。嬉しそうにするのか、あるいは照れるのか。いずれにせよきっと喜んでくれるのは確実だろう。そう思うと、完成が待ち遠しくなった。


「あー、歩夢ってばニヤニヤしてる」

「えっ!? し、してないよっ!?」


 気がつけば、私の頬は緩んでしまっていたのだった。すずちゃんに指摘されたのが恥ずかしくて、すかさず咳払いをして真顔に戻る。


「えー? 大方心晴のこと考えて嬉しくなっちゃったんでしょー?」

「ちっ、違うよ……!」


 うぅ、ドンピシャの図星だ……。

 でも、心晴さんの顔を思い浮かべた瞬間、すごくやる気が湧いてきたのは確かだった。誰かに着けてもらいたいなって、これで喜んでくれるといいなって気持ち。すずちゃんの言っていたのって、こんな感情なんだ。


 胸の中で火花が散る。やがてそれはやる気の火を灯し、自然と手が毛糸玉へと伸びていた。時間が掛かるとか面倒くさいとか関係ない。一日、一分、いや一秒でも早く心晴さんにこのマフラーを渡してあげたいという気持ちが何よりも勝っていた。


「さっ、さあ! 早く続きしよっ! ねっ!」


 ひとつ深呼吸して、気持ちを整える。やる気十分、今ならいくらでも編めてしまいそうだ。決まり切った手順、だけどそこには確かに思いも編み込んで。

 心晴さんのことを思うと、針を動かす手も自然と早くなるのだった。

歩夢とすずはそれなりに年が近いし二人とも子どもっぽいので噛み合わせが良いと思ってます。かわいい。

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