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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
66/88

△Episode 66: 櫻と掃除と信頼と

「うーん、暇だ……」


 とある日の昼下がり。手持ち無沙汰なわたしは、リビングのソファーにぼんやりと腰掛けていた。昼ご飯も食べたし、やろうと思ってたこともあらかた片付けたし、とにかく暇だ。暇すぎてあくびが出てしまう。

 こんな日には、何か面白いことが起きてくれると良いんだけどなあ。そんな都合のいい話あるわけないか。しょうがない、少し昼寝でもしようかな……。

 そう思って今日何度目かのあくびを噛み殺したとき、不意に背後からわたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「心晴ちゃん、ちょっといいかしら?」

「ん……って、櫻……」


 そこに立っていたのは、よりによって櫻だった。櫻が自分からわたしに話しかけてくるときは、大抵ろくでもないことを頼んでくるときだ。今回もまたそうに違いない。

 面白いこととは言ったが、こんなことが起きてほしいとは微塵も思っていない。思わずしかめっ面になってしまった。


「……ダメ、って言ったら……?」

「あら、そんなに露骨に嫌そうな顔しなくたっていいのに」


 その口ぶりからすると、どうやらわたしの予感は的中していたらしかった。何を頼んでくるかは知らないが、何があろうと断固拒否だ。残念そうな顔をしたって絶対なびいてやるもんか。

 櫻は首を横に振って困った表情をすると、踵を返した。これでようやくわたしの平穏は守られる。


「残念だけど仕方ないわね、他の人に頼もうかしら。……あーあ、せっかく働き次第ではいろいろ買ってあげようと思ったのになあ」

「……っ!?」


 ちょっと待った。その言葉は聞き捨てならない。

 ちょうどつい最近気になっていたゲームが発売されて、どうにか資金をやりくりしようと思っていたところだったのだ。

 それについて何かを考えるより前に、わたしの身体は動いていた。


「ちょっ、ちょっと待って……っ!」

「どうしたの?」


 櫻の背中を呼び止めて、振り返った彼女にさらに言葉を続ける。


「……話だけでも、聞いてあげないことはないけど」

「ふーん……気が変わったの?」

「べっ、別に、そんなことないけど……」


 わたしの言葉を聞いた櫻は、まるで勝ち誇るかのようににやりと口角を上げた。腹立たしいことこの上ないが、これもゲームのためだ。ここは冷静に、冷静に……。


「……本当に何でも買ってくれるの?」

「ええ、私にできる範囲なら。流石に土地とか家は勘弁してほしいけどね」


 ……覚悟を決めるしかなさそうだ。これはゲームのため、そう、ゲームのためだ。


「……分かった。……何をしたらいいの?」

「ふふっ、契約成立ね。それじゃ――」


* * *


 数十分後。わたしたちはとあるアパートの前に立っていた。地上三階建て、それなりに大きな建物だ。


「ここが現場……?」

「そうね。心晴ちゃんにはここの掃除を手伝ってもらいたいの」


 櫻の頼みこと……それは、彼女が管理しているアパートを掃除してほしいということだった。何でも仕事量が多いとかで、猫の手も借りたいくらいなのだとか。


「具体的には?」

「具体的にはね……とりあえず一階から三階の廊下の掃き掃除と拭き掃除に、あと植え込みの雑草を抜くのもお願いしたいの」

「うへぇ……めんどくさそう……」


 ただでさえ地道な掃除の中でも地道中の地道なものばかりだ。地道な作業は嫌いじゃないけれど、進んでやるものでもなければ……ね。


「あら、無理そうなら今から帰ってもいいのよ?」

「うぐ、そ、そんなことないけどさぁ……」


 櫻の奴、分かってて言ってるくせに。意地悪だ。そんな言い合いを続けつつ、早速作業に取り掛かるのだった。


「――結構広いなあ」


 櫻から借りたほうきとちりとりで、黙々と三階の廊下を掃除する。実際にこうして中に入ってみると、外側から見た印象以上に広い。櫻が助っ人を頼んでいるところを見たことがないから、櫻はこんなアパートをいつも一人で掃除してるんだなあ。ある意味尊敬するよ。


「よし、っと……」


 ぶつくさ言っているうちに掃き掃除が終わった。たばこの吸い殻とかどこかから飛んできた落ち葉とか、思った以上にいろいろなものが落ちていて掃除のしがいがあった。

 気合いを入れ直すと、これまた櫻から借りたモップとバケツで拭き掃除を開始する。やるからには徹底。隅から隅まで汚れは見逃さない心持ちだ。

 そんな風に拭き掃除に集中していると、不意に傍の扉が開いた。


「おっと」


 危うく扉に殴られるところだった。すんでのところでかわして安心していると、そこから少女が出てくるのが見えた。彼女はわたしの存在に気がつくと、礼儀正しくお辞儀をしたのだった。


「こんにちは!」

「え? あ……こん、にち、は……」


 ダメだ、急に話しかけられたせいでしどろもどろになってしまった。そもそもわたしに話しかけないでほしかったけどけれど……。

 わたしの内心など当然察する由もなく、彼女はにこりと笑う。


「いつもありがとうございます!」

「え……? あ……」


 わたしが何か言う前に、彼女はパタパタと歩いて行ってしまったのだった。


「何だったんだろう、今の子……」


 誰かのことと勘違いしてるんだろうか。いや、櫻の代わりだと思われてるのか……?

 感謝されて嬉しくないわけじゃないけど、何というか、ちょっと複雑な気分だ。……まあいいや、ちょっとでも掃除を進めよう。やりきった暁にはゲームが待っているのだから。


 手分けして作業を行ったこともあり、廊下の掃除は瞬く間に終わってしまった。さて、残るは植え込みの雑草処理だ。


「私は植え込みのお手入れするから、心晴ちゃんは雑草を抜いてってね。なるべく細かくお願いね」

「はーい……」


 正直言ってまだめんどくさいが……やるしかない。千里の道も一歩からと言うし、コツコツとやるのみだ。そんな意気込みもほどほどに、雑草処理を開始する。


「結構植わってるなぁ……」

「植え込みは月一でお手入れしてるんだけど、どうしても汚くなっちゃうのよね」


 先月サボっちゃったから、今回は特にね、と笑う櫻。そんな彼女の傍を通りがかる人影があった。


「あ、大家さん。こんにちは」

「あら、四野宮さんじゃないですか。ご無沙汰してます」


 どうやら住人なのか、櫻は話しかけてきたその女性と談笑している。話の内容は気になるけれど、だからって話に巻き込まれるのは嫌だ。手を動かしつつ、意識だけをそちらへ向ける。


「いつもお掃除ありがとうございますね」

「いえいえ、仕事ですから。四野宮さんこそ、何か困ったことはありませんか?」


 少しだけ気になって、一瞬だけちらりと目をやる。櫻は至って真剣そうな目をして住人の女性の言うことを書き留めていた。その態度は、まさに真摯そのものだと言える。


「――あら、そちらの子は? 娘さん?」


 げっ、気づかれた。どうにかしてやり過ごせないかな……。


「いえ、姪っ子なんです。ちょっと人見知りで恥ずかしがり屋なんですよね……」

「そうなんですか。小さいのに偉いわね」

「…………」


 こ、子ども扱いされた……。くそう、どこに行ってもこれなんだから……。

 結局愛想笑いやら何やらを駆使して、その場はどうにか切り抜けたのだった。


「……ようやく行ってくれた」

「ふふ、心晴ちゃんには荷が重かったかしら?」

「まったくだよ……」


 はあ、と大きなため息が出る。何はともあれ、これでようやく作業が再開できる。さっさと終わらせてしまおう。


「……にしても、姪っ子って。息をするように嘘を吐くね……」

「まあ、いろいろこちらにも事情があるからね。妹ってことにしても良かったのよ?」

「……それはもっとやだ」


* * *


 真上にあったはずの太陽もだいぶ傾き始めた頃。わたしたちはようやく作業を終わらせたのだった。


「ふー、終わった……」


 働いた身体を労うように大きく伸びをする。慣れないことばかりだったせいで疲労感が込み上げてきた。帰ったらすぐにでも寝れてしまいそうだ。


「意外と早く終われて良かったわね。心晴ちゃんのおかげよ」

「そ、そうかな……」


 わたしなんかでも戦力のひとつになっていたのだろうか。というか、よく考えたらなんで最初に頼んだのがわたしだったんだろうか。櫻の考えていることは相変わらずよく分からない。

 ただ……ひとつだけ理解できることはある。


「櫻って、信頼されてるんだね」

「……? どういうこと?」


 廊下を掃除しているときに女の子に声を掛けられたことを話す。あの「いつもありがとうございます」という言葉は、きっと櫻に向けられたものだ。


「草むしりのときもそうだったし……櫻って、良い大家さんなんだと思ってさ」

「何それ、褒めてもご褒美は増えないわよ?」

「ちっ、違うし! もう……」


 せっかく人が珍しく褒めてあげてるっていうのに、櫻ってばわたしのことを何だと思ってるんだろう。

 そんなわたしの怒りを受け流すかのように、彼女はいたずらっぽく笑った。


「ふふふっ、冗談よ。心晴ちゃんの気持ちはちゃんと伝わってるわ。ありがとう」

「っ……」


 櫻の手のひらがわたしの髪に触れる。ぬくもりが伝わってきて、思わず目を閉じる。温かくて優しくてとても気持ちが良い。何だか、櫻が愛される理由も少しだけ分かるような気がした。


「心晴ちゃんの運動不足解消に、と思ったけど、そんなこと言ってくれるなんて嬉しいわ」

「なっ……!」


 前言撤回。やっぱり櫻は何を考えてるのか全然分からない。つい先ほどまで撫でられていた手を払い、じっと彼女の目を睨み付けた。


「やっぱりわたしのこと、バカにしてるでしょ……!?」

「してないわよ? 本当に心晴ちゃんのことを思ってのことだし」


 そう言って彼女はまた私の頭を撫でる。うぅ、調子狂うなぁ……。


「それに、ちゃんと欲しいものは買ってあげるし、文句はないでしょ?」

「…………」


 櫻の口角が上がって、にやりとした表情になる。嘘だ。これは絶対バカにしてる目だ。


「うぅ……櫻のバカっ!」


 そんな言い合いは、暮れ始めた秋の空に消えていくのだった。

心晴と櫻の絡みってあんまりないなあと思ったりしました。もうちょい増やしていきたいですね……

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